みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

杉並の大宮八幡宮の桜祭りと善福寺川緑道

2009年04月11日 10時36分58秒 | まち歩き

Dsc01143_2 ここがへその緒と言われている子育て神社の大宮八幡宮です

ここはこの神社を参拝し、川縁に行くと非常に美しい景色が展開する

境内には、大きな木々が皇族の方など始め有名な方のお手植えのものがある

朝は祝詞を挙げていらっしゃる

この神社の右手には、お手水鉢があって、ここ手を洗い、口をすすいで、身を清めます

Dsc01144 左がその清めるDsc01145_4 場所で、まずは参拝前に作法通り

右がご本殿。

いつも必ずどなたかお出でです

お宮参りの方がおいでになっていたりしたわ

ここでね、北朝鮮のミサイルが発射された時に、わたしは桜茶をいただいて、何も気がつかずにのんびりしていた

奥の本殿では、巫女舞があったわ   ご神体Dsc01147_6 は鏡で、正面にありますよ     我が身照らして身を慎めなさいと言うことだろうか

神様がよくご覧になっておいでであるということだろうか

鈴を巫女さんがしゃらんしゃらんと鳴らして、雅やか笛の音が少し流れていました

手を挙げて、鈴を鳴らす、呪術的な要素があるらしい

神主さんは直衣をお召しになっていました

ここは神聖な場所です

神社では白衣をお召し物にしています

Dsc01154 この脇の門を行くと、そこには善福寺公園や和田堀公園へと続いています。大宮遺跡の碑があって、ここで昭和44年に弥生時代の方形周溝墓を発掘調査したところ、なんと関東では始めて勾玉やガラス玉など貴重なものが出土したそうで、学術的な評価は高いのです

左がその碑になり、奥には桜が満開になっていた

ここから、ずっと川縁に散策すると、とても陽気もよく、大勢の方々が春爛漫を堪能していた

桜が薔薇科であることを知らない友人がいたけれど、そうである

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桜に日が輝くと、華やかで優雅な感じがする

中国の某雑誌が桜は日本の信仰の象徴と言うけれど、どこの国の人でも、好きな方はいらっしゃると思うし、誰もが神道を理解しようと努めているわけではあるまい

ただ、今年は花持ちがよく、長い期間眺める幸運に恵まれた

空は快晴だったり、花曇りだったり、その日その日でいろいろ変化したが、人々の目を楽しめてくれた          Dsc01160 

桜咲く頃、人々の顔はみな優しく、通りすがりの人の微笑みを見るのが好き

憩う方々、ほんとうにみなさん、ゆったりとして良いことを思い出す

あまりに明るい陽光に、北朝鮮からミサイルが発射されるなぞ、嘘のようにのどかだった

そうあってほしくなかったのに・・・・

日本人は相手国を支援しようとするのに、過去のことがあるとは言え、憎しみや政治的な駆け引きだけしか表に見えてこない

わたしは思う。こういう景色を知らず、黙々と仕事 に従Imgp0568事される北朝鮮の庶民を。上の階級だけは良い暮らしをできても、下はお気の毒でならない

韓国の方も親戚が北にいる方もいるだろう どんなに不幸なことだろう

日本だって、太平洋戦争で敗戦してロシアとアメリカに統治されて分断されていたら、人ごとではないもの

同じ民族が、対立している、こんな不幸があるだろうか

日本人は、ほとんどの人は北朝鮮の貧しさを知ってImgp0578 いて、同情さえしている          ミサイルを発射されても、ふと、戦闘にならねばいいがと祈るばかり

こんなうららかな美しい日本の春や自由を満喫せず、飢饉以外に戦争の渦に巻き込まれてしまっては、上は仕方なくても庶民はどれほど苦労することか

わたしは必死に桜を撮影し、PCをご覧になって思いとどまってほしかった

わたしだって、自分以外に可愛い兄弟や甥や姪がいて、大事な両親がいるのだもの

何かあれば、そのままで澄まされない問題でもある

しかし、自衛は大切なものの、むこうが仕掛けてきてどうにもならないと言うのももどかしい

何かあっては黙ってはいられないが、それが武力攻撃Dsc01237 になっていいものかどうかはよくよく思案しなくてはならないだろうし、真剣に世の中を思案している人もいれば、今が楽しければいいと先のことも思案しないでいる方もいる                                                 

宝刀は抜きたくない。だが、自衛はしなくてはならない。この矛盾をどうするのだろうか。わたしたち普通の日本人は、戦争による悲劇を生みたくないのだ

しかし、他国が北朝鮮へきちんと対応してくれないのはどういうことだろう  日本なぞ自分たちには関係ないということだろうか

もう世界は貿易や助成金や研究を含めて、日本人をそう軽々しくは扱えないはずである

世界の文明の終着駅である国で、保存されているものも大切なものばかり   Dsc01192

シルクロードを通り、中近東ともヨーロッパともアメリカともつながりの深い日本。中近東の紛争に日本は外交上大事な役割を果たせるはずであるし、朝鮮半島の方々はいわゆる兄弟のようなものだわ

東京大空襲の時、焼夷弾が炸裂する際、何も知らない小さな子どもが「ああ、綺麗」と言いながら、見上げて負傷し、命を失ったりした悲劇、そんな地獄がこの世にあっていいものでしょうか

Imgp0592_2 人間が始めた戦争は、人間が抑制して廃絶しなくてはなりません

ふと、この桜の映像をご覧になった方々が、日本を愛でてくださって、この四季の美しい日を守ってあげたいと思ってくださればいいなあと、甘いことを考えていました

でも、撮影当時は、まだミサイルが発射されず、このままでいてほしいと思いました

公園には子供達が遊んでいて、家族連れがいたり、通りすがりのおばさまから、「この時期になるとみなさん、カメラマンになって羨ましいわ」と声をかけられて、誰とでも仲良くなれそうな気分になったわ

Imgp0585 桜は染井吉野だけではないから、いろいろ種類があって、心がうきたったり、あるいはふと亡き先生を偲んだりしました Imgp0587

濃いピンク色の花は華やかで、八重になっていた ぼんぼりみたいで可愛らしい

白い波のようになった桜、みなさんもう日本人の方ならご覧になっていますでしょう

しかし、この和田堀公園や善福寺公園の緑道は鳥の声が響き、横笛を吹く方が古風な雅やかな曲を奏していて、こんなにみんな仲良く平和に生きているのに、世界は争うことばかり起きていますよね          上野の公園とは違って、お酒を飲んでいる方はいないし、Imgp0566サラリーマンの宴会もない

誰かが、桜なんて、どこにでも咲いているし、どこで見ても変わらないと言っている方々も多いけれど、わたしはそうは思わない

本来、静かに優しく見るもので、桜は下を向いて咲いてくれるから、見上げると綺麗に拝見できると述べていた

ほんとうに下から見上げて、下々を楽しませてくれる花である

穏やかな春の日溜まりのImgp0581 中、しずしずと歩く

ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらん

(紀友則)

わたしは、天皇万歳を叫ばない人だけれど、しかし、ご成婚50周年(金婚式)をお祝いしたい気持ちはあり、お釈迦様の生まれた花祭りもあることだし、そういうおめでたい日々に、物騒なことで日本中が震撼するのはいかがなものかなと思っていたのです

これからが北朝鮮問題やら中近東へ自衛隊を派遣したいアメリカの思惑など、国際社会の中で、日本はまるで大海に漂う一艘の小舟のように、その運命は危ういのだわ

平安が長く続きますように、神社では自然と手を合わせていました

 


東郷寺と多磨霊園の桜

2009年04月04日 00時47分14秒 | まち歩き

Dsc01090 東京で桜が満開になったとニュースで知り、更に以前母から京王線沿線の多磨霊園に駅から近い、東郷寺の桜が綺麗らしいわと聞いていたので、天気の良い日に伺いました。

わたしが母と花見をするのは珍しいことです。東郷平八郎氏の別荘後に、東郷氏を偲び、建立されたそうです。

もう、3月に古木のしだれ桜は咲き終わっていました。残念です。来年できれば伺ってみたいものです。

山門は重厚な感じで端正であり、黒沢明監督の「羅生門」という映画の作品に登場する門のモデルとなったと言われています。    Dsc01040_2

府中の崖線の段丘を利用して造られていて、急勾配の階段が迫っています。門は昭和10年のものらしいです。

ここへ伺う前に、もう寺の手前の丘の上から、綺麗に澄み渡った青空に白い雪をいただいた富士山がくっきりとよく見えていました。

門前にしだれ桜の大木が数本ありました。

日蓮宗の総本山である身延山久遠寺から苗を移植したと看板に記載されていて、開花の時期に多少ずれています。染井吉野より早く、3月下旬にはほぼ満開となったそうです。

今はもう、葉桜になりつつあり、もう今年は見納めです。

Dsc01051 桜は、染井吉野だけでは勿論なく、種類は豊富で、眺めるたびに、楽しいものです。このしだれ桜は汚れを知らぬ15才の乙女のようであります。

看板には、名も無い兵士の死を慰めるように咲く花であると書いてあったような気がします。いや、兵士が流した血のようにうっすら赤いとあったのでしょうか。記憶が曖昧で申し訳ありませんが、どちらにしても、桜は日露戦争始め、多くの名も無い兵士の心に死ぬ間際、想起したに違いない花です。

墓地の奥のほうに、そういう方々のお墓があるそうです。花見の客は入れません。神聖な場Dsc01078 所なのです。わたしは、参詣して、お線香をあげて合掌しました。

Dsc01065 賽銭箱はなく、実に質実剛健な雰囲気のお寺でした。わたしのような人間がいていいものかわからないものの、母とそっと手を合わせて、祈りましょうと言いました。

わたしの小学校の先生は、特攻隊の生き残りの方で、戦友と「靖国で逢おう」と言い合ったそうで、桜を見ると涙が出て来るとよく授業中に話しておいででした。もうお亡くなりになり、奥様は「それはもう昔の話ですから」と話しておいででしたが、わたしがまだ幼い年だったので、靖国の桜と言うと、先生を思い出します。

とても素晴らしい方で、わたしがなんと初めて悪さをした時そっと叱ってくださって、私が転校する際、「赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった」と歌を歌って、微笑んで見送ってくださったのを懐かしく思い出します。わたしはそれから、まじめに通って悪さを学校でしないと心に誓ったのです。

わたしは小学校一年で、「同期の桜」と言う歌のDsc01062 意味をそっと知りました。とても涙がこみあげて来ますから、聞かないようにしています。

日本人は外国人にまるで軍人はすべて悪魔のように言われて描かれていますが、普通の人が多かったと思い、一部の心ない人間の指令でおかしくなった過去をぞっとする想いで振り返ることがあります。

日露戦争は、始めたからには勝たねばならない戦いだったと思います。でも奢ってはいけなかったのです。しかし、英霊という言い方より、静かにわたしたちを見守ってくださる仏様たちと思うと、優しい気持ちになれます。

バルチック艦隊を破ったとよくテレビでも放映されていDsc01074_3 ますが、輝かしいと言うより、戦場の兵士にして見れば地獄を見たことでしょう。わたしどものために申し訳ないことです。そして、これと違った側面より、日本が軍国主義化したことは、反省します。

ただ、わたしたちは戦闘のような状況に立たされた場合、どうしたらいいのでしょうか。明日は北朝鮮からミサイルが飛んで来るらしいと言うので、少し戸惑った気持ちで、祈るしかありませんでした。宣戦布告を受けた場合、あなた様は現代であればどう思われますか、などと心で思っていました。

話変わって、境内には良い教えが書いてありました。

「敵こそ味方」

Dsc01080 日蓮聖人の御遺文らしいのです。 非道の仏敵提婆達多は、仏陀の精進のために逆説的には第一の善知識となる、つまり毒をもって薬となすと言うように、競争相手がいて用心し己を磨くことになると教えでした。

心を戒めて用心することは、遠くに敵はいるのはなく、近くにいて逆境にありながら奮励せよと言うことらしいのです。

そうか、自分の一番苦手な危ない相手が自分を磨くためのものになる、よくよく用心し、常日頃、油断するなということなのでしょう。
今の日本にも通じる言葉だと思います。未熟なわたしの心にも響きました。

桜が綺麗だからという理由だけで参上し、教えDsc01036 を受ける、これこそ宗教のありがたさ、押しつけがましくない、教訓であると、感心しました。

悠然と佇む大門、日本人はこういう風にどーんと腰を落ち着かせて、怯まず、生きるしかないんだなと思いました。

臆せず、でも奢らず、謙虚に、慎重に・・・いや、わたしには難しいけれど、かくあるべきなのでしょう。

わたしは、それから、近いので、桜に釣られて、多磨霊園へ向かいました。参道の桜を眺めながら歩くのもいいものです。

霊園は、巡回パトロールがあるようで、散策しても今は大丈夫なようです。以前、たったひとりで、亀井勝一郎のお墓へ伺った時、すごーく怖い思いをしたことがありましたが、今の時期はDsc01051_2 人出が多く、安心です。

「歳月慈悲を生ず」と言う碑の言葉をまた拝見しようと、探しましたが、わからなくなってしまって、待たせた母を怒らせてしまいました。

しかし、非常に桜は綺麗に咲いていました。ただし、昔は丘だった場所が新しい霊園に開拓されて、しだれ桜の木も無惨になくなっていたらしいです。確か、小泉首相の在任中に、ここを公園化しようと新聞に記載されていましたの

Dsc01135_3 に、こういう変貌は望ましくないことだと思いました。桜の枝は無惨にも折られて、しだれではなくなっている木も多くありました。

母は、霊園の桜を撮影するのをいやがっていましたが、わたしはそう悪いことをなさる仏様はおるまいと言いました。みなさん、きっとわたしたちを案じてくださっていると述べました。

わたしは、名誉総裁通りというのでしょうか、広い中央の道を歩いていたら、いやでも大きなお墓が眼に止まりました。             Dsc01122_2

山本五十六と東郷平八郎のお墓でした。よくどういう方々か実際は知らなくても、黙って合掌しました。

右が、そのお墓のある場所付近です。どうか明日大事がおきませんように、犠牲者が出ませんように、と祈るしかありませんでした。

のどかで、みんなで優しく花鳥風月を愛する現代の日本人に、いったいどうしてこんなことをするか理解しがたいのです。

政治の裏側は知らないものの、人道に反することをするのは、やはりあってはならないことでしょう。

Dsc01116 「願わくば、花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

(西行法師)

静かにその寿命を終えるのはしかたないこと。しかし、不条理な死に方はしたくないものです。

多磨霊園の奥には桜の満開な並木道があります。うららかな春のひだまりで、心和む場所になっていました。

Dsc01118_7 西行の法師の和歌を ふと思いだし、でもまだ死ぬには惜しい人物が日本人でいるはずだ、国際社会で日本人は北朝鮮の方々が全員ご覧になれない風景を今眼にし、北朝鮮のエリートですら、日本人の風流心に心ある人間は気に留めずにいられぬであろうよ、と思ったのです。

食糧難や、経済封鎖、武力行使、威嚇、それが けしていい結果にならないことを一番知っている国が日本なのです。

明日から8日まで北朝鮮の方々がミサイルを発射せず、日本人と仲良く花見をできればいいのにと思うほどであります。

「敵こそ味方」、この言葉、よくよく噛みしめましたよ。

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みなさん、心安らかに今日は夜も更けて、おやすみなさい。