みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

2002年出雲と松江旅行記パート4

2008年11月27日 19時17分35秒 | 旅行記

日本最古の神社、杵築大社(出雲大社)へ向かいました。アイルランドから移住して来たギリシャ人の血筋を持つラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「日本民族の発展の初めの地」と述べています。

ギリシャ神話にも同じ様な話があるのですが、亡き妻を取り戻そうとイザナギは妻のイザナミを黄泉の国へ探しに行きます。「古事記」の有名なお話があります。その黄泉の国を支配するのが大国主尊ということになります。

10月は出雲では「神在月」と言います。八百万の神様達が集まって来ます。この国のその後を相談するためです。さて、今後のこの迷走している日本はどうなるのでしょうか。

出雲大社には千家さんという宮司さんがおいでになり、天皇家といえども大社の中には入れないそうです。古代の国譲りの時にどういう約束が取り交わされ、中はほんとうにどうなっているのでしょう。昔、松江のある殿様が無理に大社の戸を開けさせたところ、大蛇が火を吹いていて、驚いてやめて、信仰篤くなったと言われています。

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上の写真の傘をさして、紫の袴をお召しになった方が宮司様だと思われます。明治の最初の頃、ハーンが逢った時は、土地の生き神様のように尊崇を集めておいでだったそうです。

手水のところに、その時の第80代出雲国造千家尊福公詠という板があり、

「霜雪にしをれぬ松の操こそ春の先にあらはれにけれ」

と書かれてありました。大社には、大きな鳥居がありまOptio430_02032830_049_2 すが、広場のような場所からずっと奥の松林の方まで続いていて、昔は松江の殿様クラスの方しか通れなかったそうです。そこをずっと辿って、歩いて行き、原始宗教の名残を拝見しました。

つまり、男女和合して、豊穣と子孫繁栄を祀るような置物がいくつも並べてあったりして、小さな場所で祀られてあったのです。庶民が今も祀っているのでしょうか。

松林は昔はわたしなぞ、歩くことも許されなかったのです。不思議な感慨に打たれました。

Optio430_02032830_057 ハーンは、千家尊紀氏に案内されて、初めて昇殿を許された外国人でした。彼が松江や出雲に特別な感慨を抱いたのは奇跡的な境遇からして、驚くべき事ではないかも知れません。

社の中にさらに小さな社があって、何を祀っておいでだろうと、小糠雨に打たれて眺めていました。

有名な、注連縄は大きくて太く、普通の神社と巻き方が逆です。中では結婚式を挙げている方々がいました。ステンドグラスの教会のような様子でした。

Optio430_02032830_056 ここで、四回柏手を打つのですが、二回は自分の幸福のため、あと二回は相手のために打つらしいとハーンが述べていました。

荘厳な中に、現代的な部分を垣間見て、うーんと時代を感じました。ここには古い因習とか、古い怖いお話など飛んでいってしまうような明るさがありました。

宮司さんの千家さんのお宅の前を通りました。千家尊紀氏は、千家尊福氏の弟さんです。

千家尊福氏は、出雲国造家に生まれ、教派神道系出雲大社Optio430_02032830_059 を創始し、埼玉県・静岡県知事、東京府知事、司法大臣を歴任しました。

今も埼玉県の大宮の氷川神社の古い碑には、千家氏の名前が残っています。ここは、大正天皇が守護神として大事になさったらしいです。

出雲には、仏教徒もおりますが、なぜか浄土真宗だけはないそうで、その理由は神道を宗教とすることに抵抗があったらしいのです。今はどうなのでしょう。わかりません。

伊勢神道に対して、出雲神道もあったわけですね。たいへんな勢力を持っていたと言われます。ここに平田篤胤の思想が入っていたらしいのですが、わたしは詳しいことは存じません。

ただ、ハーンはギリシャ神話の世界が廃墟して存在するだけだったのに対して、明治の当時に宗教として生活に息づいていたことに驚愕し、賛嘆したらしいようです。

わたしは、何か背中がぞくぞくしてきましたが、古い大社を眺めて、大黒様の宝物館などを見学して、奈良の東大寺の建築の柱に、この出雲大社の建築技術が生かされていたらしいことを知り、たいへん感動しました。

そして、現在の皇后陛下の講話の冊子をいただいて参りましたら、気分が柔らかくなりました。

大社の横側で眺めていると、イギリス人らしき男性が、大社に向かって、手を合わせていて、はっとしました。ちょうど下の写真のところです。

きっといろいろな知識があってのことと、推察しました。

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わたしは、ほんとうに中はどうなっているのだろうか、パンドラの箱のようなものなのだろうか、と想像して、遠くから眺め、千家さんと知り合って、ハーンは何を知ったのだろうかとふと思いました。

これだけの文明を持った民族が昔いたことに、日本人とは言え、失礼な言い方ながら、なにか得体の知れない不思議なものを眺めた気がしました。古代史は、だから謎に包まれて、人の心を捉えるのでしょうか。日本が安泰でありますように、そう思って立ち去りました。

この世には、「顕」界と「幽」界と両方があるのでしょうか。わたしの頭では本を読んでもあまりよく理解できませんでしたが、神道の非常な古さと荘厳さを感じさせるものでした。

続く