死んだら談志2024

水仙花死んだら談志完成す
回文俳句&吾郎関連の諸事雑事
copyright 2024 by goro iguchi

回文は行く その百二

2006年03月16日 01時27分41秒 | Weblog

風は浮くともに兄もと喰う鯊か

少し違う時間帯を過ごすと
世間がちょっと違って見えてくる。
ふだん歩かない裏道に入り込むと
その蠱惑的な誘いに冒険心がくすぐられる。
いったい今まで何を見てきたんだろう。
頼りなげな疑問がむくむくと頭をもたげる。
ま、そこからいろいろあるのが、またおもしろいのだが。


↓押すのも勇気
信じ個人史
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回文は行く その百一

2006年03月15日 01時33分02秒 | Weblog

睦る日の人生煎じ野蒜摘む

下鴨、上賀茂、レイライン‥‥。
京都は奥が深い。
こここのところ「京都チャンネル」の『京都魔界案内』がおもしろい。
8~9年前の番組のようだが、回によるテンションの高低が激しい。
UHFならではのカルトな面を見せたかと思うと、
CATVならではのお手軽安直思いつき企画をやる。
ゲスト解説者の話にもよく"ピー"がかぶさる。
しかも被せ方が確信犯的に中途半端なので部分可聴。
ワルダクミ満載のアナーキーなプログラムだ。


憎い俳句に
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回文は行く その壱佰

2006年03月14日 00時01分21秒 | Weblog

顔の傷三郷市土佐みずきの丘

いわゆる切手収集が爆発的にブームになったことがある。昭和42年頃のことだ。
最初は封書に貼ってあった記念切手を剥がすことだった。
ほとんどが青地に白菊の絵の15円切手。
そこに混じって、スポーツや文化財、著名人の横顔といった絵柄に出あった。
数年前の東京オリンピック、新幹線営業開始の切手もちらほら混じり、
剥がされてぱりぱりになった小片は、何物にも変えがたい宝物になる。
やがて「月に雁」だの「見返り美人」だの「蒲原」だのという名前が、
クラスの後ろの方で囁かれ始めた。
一枚数千円もする切手がある・・・、古い手紙に貼ってあるらしい・・・、
○○君のおじいちゃんの手紙に貼ってあった・・等々。
子どもにとって初めての金銭感覚。濡れ手でアワの夢物語。
家に帰ると、いぶかしがる祖父に古い手紙を見たいと頼み、
いくつかの束をもらったように記憶している。
その時は何枚か戦前の切手を見つけたのだろう。
友だちが持っていた「切手カタログ」でその存在を確認し、価格を調べた。
宝物は1枚200円程度の数字で取引されていた。
もちろん切手商がそんな価格で買い取るはずはなく、
使用済み切手はまとめて100円になるかどうか程度のものだった。
それでも、切手に書かれた年号が自分より遥か年上であり、
押された消印が行ったこともない場所のものであることに興奮した。
時間を経過した小さな紙切れ、それはとても美しかった。
祖父にもらった手紙の束の中には、
父が戦争中異国の地から祖父母に宛てたハガキがあった。
黄ばんだ薄手の紙に書かれたカタカナ交じりの若い文字。
宝物ということでは、それは何物にも変えがたい宝物になる。


異端身体
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回文は行く その九十九

2006年03月13日 00時02分29秒 | Weblog

核武装貝寄せよいか嘯くか

ワンカップ系の日本酒が増えた。
いい酒がかなりの種類発売され、それなりの価格で楽しめる。
なにより試飲感覚で、次々と違う銘柄を味わえるのだから
いやはやこれはたまらない。
200~380円の立ち飲み屋と思えば
これはかなり楽しい。
まだまだ美味しいことはありそうだ。


嫁よ清めよ
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回文は行く その九十八

2006年03月12日 03時52分09秒 | Weblog

菓子載るは生かせと世界春の鹿

某所にて、CCRのライヴを見た。もちろん映像だ。
そのディープサウスぶりは、スタジオ音源よりも胸に来る。
若干20数歳の若造とは思えん。
観客の熱狂具合もわかる。
いやぁ目の保養、心の栄養。



頑固未婚が
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回文は行く その九十七

2006年03月11日 02時06分29秒 | Weblog

気分はね少し致死超す涅槃吹

久々に音楽が演りたくなってきた。
しばらく弾いてないと指というより感覚が鈍る。
とりあえず起きたら触る?こと。
明朝覚えていればよいが。



夢楽ふくらむ
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回文は行く その九十六

2006年03月10日 00時00分56秒 | Weblog

キスがずれ咲くか若草レズが好き

もう時効だから、いいかな‥って話を。
祖父は今でいうヘヴィスモーカーの部類だった。
ただ喫い続けるというタイプではなく、
かなりキツイやつを好んで喫う、いわゆる煙草呑み。
重い木を手前に倒して机にする座卓。
その中に缶入りのピース、通称缶ピーがあった。
煙草の匂いは嫌いではなかった。いや好きな香りとして馴染んでいた。
よく煙を輪ッかにして吹きだし、膝に抱いた孫を楽しませた祖父。
その場所は甘い香りに充ちていた。
可愛がられた孫は小学生2年生になったある日の午後、
祖父の真似をして缶ピーから一本を抜き出す。
まずは香りを嗅ぎ、その甘い香りにうっとりとする。
苦手だったがマッチを擦って煙草の先に火を点ける。
吸うという行為がよく分からなかった。
銜えたものの、火はさほど燃えず香りもしない。
吹いてみた。
先が真っ赤になって燃えた。
で、息継ぎのために、そのまま胸いっぱいに吸った。
煙が一気に口から肺に流れ込み、一瞬喉がきゅっと閉じ、
次の瞬間激しくむせた。
その後はお決まりの痛い、苦しい目が回る・・・ということになる。
それ以降、煙草は一切喫っていない。
近隣で喫われるのもどちらかというと好まない。
ただ、あの甘い香りは別だ。
あの香りを自分から吐きだすことができたら・・と夢想する。
大人の証。そして遠い記憶。
叶わない望みではない。
が、その禁断の果実には触れるなと、遠い声がする。
叶わない望みも、時にあった方がいい。



鎌倉熊か
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回文は行く その九十五

2006年03月09日 00時39分58秒 | Weblog

煮馬刀貝つまみ君待つ胃が手間に

かって中学や高校生の頃、お小遣いを貯めてもそう頻繁にレコードは買えなかった。
アルバムが2000~2500円、シングルが370円~500円の時代。
こういった話題はこの世代共通で、それぞれ工夫を凝らして音を漁っていた。
弁当代を浮かせる、パチンコで稼ぐ、夏休みのバイト代をあてる、
コーラの瓶を拾う、人に買わせて借りる、ラジオでエアチェックする、
中古盤を買う、貰う、質屋を探す、親戚の家から持って帰ってくる・・・。
中古盤の存在を知ったのは高校1年の頃だった。
おなじみソニービル地下と数寄屋橋にあった「ハンター」。
2500円のLPが1200円程度。人気薄及び大量在庫は3枚1000円。
そして足下のエサ箱(段ボール)には1枚100円のアルバム。
シングル盤は値段札をホッチキスでジャケットに留めてあるので
コレクターには不評だったことを後で知った(ハンター穴というらしい)。
新宿では、大ガードの向こうにカタカナ書きの看板を見つけてから、
週に2回程度のペースで通った「トガワ」が行きつけだった。
なぜか発売前の見本盤や、店頭宣伝盤がこっそりひっそり置かれていた。
今にして思えば、宣伝マンや雑誌関係者の小遣い稼ぎか、
放送局からの流出物だったのかもしれない。
言わば貧乏性なのだが、性に合ったといえば性に合った。
その後、どんどんまともな形でレコードを手に入れることが減っていくのも、
これはまぁ、しょうがないといえばしょうがない。



イタチの痴態
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回文は行く その九十四

2006年03月08日 01時58分48秒 | Weblog

兄マスター霾舞いバータスマニア

テープレコーダーが我が家に来た時期も早かった。
60年代後半、音の出る魔法の箱はそれこそ兄弟間での奪い合いであったが、
完全な体力差にものを言わせて自分のものにした記憶がある。
3号、もしくは2,5号のオープンリールタイプ。
速度は4.75cm/sと9.5cm/s。2トラックモノラル。
片面7分くらいは入ったのだろうか。
最初は「あ~」だの「本日は晴天なり」だの
「聞こえますか?」だのを吹き込んでは再生してしていた。
そのうち歌を吹き込む楽しさを覚え、当時流行っていた
「新聞少年」を小さなマイクに向かって何人かで歌った。
音を感知するとメーター替わりにオレンジ色の明かりが点る。
小学生が大声で歌うとそれは苦しげに点きっぱなしになり、
嬉々として再生した音は歪みまくった轟音だった。
その後、マイクとの位置関係や声の大きさ加減を覚えた。
テレビの音を録音しようとスピーカーにマイクを近づけると、
ブーンというノイズが出ることも知った。
「帰ってきたヨッパライ」を真似てテープスピードで遊ぶことも覚えた。
モノラルがステレオになり、2トラックが4トラック・8トラックに増え、
4.75cm/sがサンパチ(38cm/s)に3号は10号に変わり、
やがてオープンリールはカセットにとって代わられ、
ハードディスクへと移っていく。
ただ、機材がよくなる度に遊びが減っていった。
できないことを、なんとかしてやってしまう喜びがあったのは、
録音素材であるテープに直に触れて、切ったり貼ったり、
裏返したり逆さに回したりすることができた頃までだ。




春夜に寄るは

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回文は行く その九十三

2006年03月07日 01時03分37秒 | Weblog

真面目な菜花敷く死なば斜め縞

秋葉原はかって電気少年のメッカだった。
小銭で買い集められるパーツや、
Sony製なら数万したカセットデッキが1万円を切って手に入る街。
どこの国のものかもわからない取り扱い説明書に、色の悪いカセットテープ。
不機嫌な早送りに、ガシャと機械的に跳ね上がる蓋。
そういった不自由といかに楽しくつきあうか。
秋葉原から教わったことは、それこそ数えきれない。



抱いたみたいだ
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回文は行く その九十二

2006年03月06日 01時55分14秒 | Weblog

優雲華や箸に縁は薬研堂

そういえば、もらったエレキギターからピックアップを外して、
別のギターにマウントしたことがある。
こういう場合、だいたいパワーアップや、音の向上を計るのだが、
この時は、旧いギターに、その一世代前のモノを取り付けた。
少し知識のある人なら、それはまずやらない作業。
案の定、実にしょぼい音になった。
しかし数年後、それが狙っても再現できない音であることが判明する。
ま、それはまたの機会に。


馬琴新木場
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回文は行く その九十一

2006年03月05日 01時36分31秒 | Weblog

ふい凪ぐと春の蚊乗るは研ぐナイフ

旧き良きもの。残る力のあるものは残る。
残ればいいってもんでもないが。
人間はどうなんだろう



板金金歯
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回文は行く その九十

2006年03月04日 00時45分12秒 | Weblog

雛祭り泣き入りいきなり妻な日

小学校に上がる前のことだ。
ある日父が8ミリカメラを買ってきた。
新しもの好きだったから、特に理由はなかったのだろう。
例えば子供を撮るとかが主な理由なら、
現存するフィルムに残る、自転車に乗って走る息子の姿が3カット、
のべにして10数秒のみということはありえない。
延々と続く昼休み会社屋上の、女子社員のゴルフ練習も、
今となっては懐かしい絵柄だ。
そういえば運動会のフィルムもあった。
教室の窓越しに撮影されたそれは騎馬戦のようであり、
引きの絵で縦横無尽に動くカメラは、
ただただ混乱の中の我が子を探す親の目だ。
これが延々と続くのだから、新しいもの好きなわりに
それほど映像に興味を持っていたとは思えない。
その頃撮影されたものの中で一番面白いのは、
テレビ放映された「世界のサーカス」?の画面を写したものだ。
白黒の画面。球形の網の中を走るバイク。ゴーグルをかける瞬間の目。
鮮烈なカット割で小刻みに場面が切り替わった。
誰が撮った画なのか、今はもう確かめる術はない。


今にも二枚
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回文は行く その八十九

2006年03月03日 04時36分57秒 | Weblog

田舎寿司包み滲みつつ静かな胃

クラシックギターは、それはそれでよくできた共鳴胴を持っている。
現在ではそれを利用したスピーカーが売られていることを思えば
あながち無謀な工作ではなかったのかもしれない。
部屋の隅に吊るされたそれは、楽器としての威厳を保ちつつ
スピーカーとしての役目を果たしていた。
サウンドホールに埋め込まれた12cmの黒い円形のコーン紙は、
低音が鳴る度に大きく息をするように震えた。
少し喘いでいるかのように、全身から微妙な震えと軋みが伝わる。
まだジャズなどには遠い時期、
ハードロックのドラムは身体に堪えたようだ。
その後、3回目の引っ越しの際
角のゴミ捨て場にそっと置いて手を合わせた。



時々ドキと
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回文は行く その八十八

2006年03月02日 00時09分06秒 | Weblog

夜勤ですか菫見透かす電気屋

スチール弦を張られたクラシック・ギター、その運命は過酷だった。
もちろん過剰なテンションはネックを見事な順反りに仕上げ、
糸巻きあたりには彫刻刀で縦にGibsonの文字が彫られ、
挙句の果ては、倒れた拍子に打ち所が悪くヘッドに皹が入った。
ネックの幅が広く、それでなくても不憫な音になってしまった彼、
そのポジションをフォークギターに明け渡すのに、それほど時間はかからなかった。
そんな彼が再び日の目を見るのは、
サウンドホールに旧いラジオから取ったスピーカーを埋め込まれ
ギター型スピーカーとして復活する数年後のことだ。



野にも芋煮の/A>
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