死んだら談志2024

水仙花死んだら談志完成す
回文俳句&吾郎関連の諸事雑事
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回文は行く その九十四

2006年03月08日 01時58分48秒 | Weblog

兄マスター霾舞いバータスマニア

テープレコーダーが我が家に来た時期も早かった。
60年代後半、音の出る魔法の箱はそれこそ兄弟間での奪い合いであったが、
完全な体力差にものを言わせて自分のものにした記憶がある。
3号、もしくは2,5号のオープンリールタイプ。
速度は4.75cm/sと9.5cm/s。2トラックモノラル。
片面7分くらいは入ったのだろうか。
最初は「あ~」だの「本日は晴天なり」だの
「聞こえますか?」だのを吹き込んでは再生してしていた。
そのうち歌を吹き込む楽しさを覚え、当時流行っていた
「新聞少年」を小さなマイクに向かって何人かで歌った。
音を感知するとメーター替わりにオレンジ色の明かりが点る。
小学生が大声で歌うとそれは苦しげに点きっぱなしになり、
嬉々として再生した音は歪みまくった轟音だった。
その後、マイクとの位置関係や声の大きさ加減を覚えた。
テレビの音を録音しようとスピーカーにマイクを近づけると、
ブーンというノイズが出ることも知った。
「帰ってきたヨッパライ」を真似てテープスピードで遊ぶことも覚えた。
モノラルがステレオになり、2トラックが4トラック・8トラックに増え、
4.75cm/sがサンパチ(38cm/s)に3号は10号に変わり、
やがてオープンリールはカセットにとって代わられ、
ハードディスクへと移っていく。
ただ、機材がよくなる度に遊びが減っていった。
できないことを、なんとかしてやってしまう喜びがあったのは、
録音素材であるテープに直に触れて、切ったり貼ったり、
裏返したり逆さに回したりすることができた頃までだ。




春夜に寄るは

コメント (1)
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