死んだら談志2024

水仙花死んだら談志完成す
回文俳句&吾郎関連の諸事雑事
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回文は行く その壱佰

2006年03月14日 00時01分21秒 | Weblog

顔の傷三郷市土佐みずきの丘

いわゆる切手収集が爆発的にブームになったことがある。昭和42年頃のことだ。
最初は封書に貼ってあった記念切手を剥がすことだった。
ほとんどが青地に白菊の絵の15円切手。
そこに混じって、スポーツや文化財、著名人の横顔といった絵柄に出あった。
数年前の東京オリンピック、新幹線営業開始の切手もちらほら混じり、
剥がされてぱりぱりになった小片は、何物にも変えがたい宝物になる。
やがて「月に雁」だの「見返り美人」だの「蒲原」だのという名前が、
クラスの後ろの方で囁かれ始めた。
一枚数千円もする切手がある・・・、古い手紙に貼ってあるらしい・・・、
○○君のおじいちゃんの手紙に貼ってあった・・等々。
子どもにとって初めての金銭感覚。濡れ手でアワの夢物語。
家に帰ると、いぶかしがる祖父に古い手紙を見たいと頼み、
いくつかの束をもらったように記憶している。
その時は何枚か戦前の切手を見つけたのだろう。
友だちが持っていた「切手カタログ」でその存在を確認し、価格を調べた。
宝物は1枚200円程度の数字で取引されていた。
もちろん切手商がそんな価格で買い取るはずはなく、
使用済み切手はまとめて100円になるかどうか程度のものだった。
それでも、切手に書かれた年号が自分より遥か年上であり、
押された消印が行ったこともない場所のものであることに興奮した。
時間を経過した小さな紙切れ、それはとても美しかった。
祖父にもらった手紙の束の中には、
父が戦争中異国の地から祖父母に宛てたハガキがあった。
黄ばんだ薄手の紙に書かれたカタカナ交じりの若い文字。
宝物ということでは、それは何物にも変えがたい宝物になる。


異端身体
コメント
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