霞汲む西が東に向くミスか
ROBOTの語源が、チェコ語で"労働"を意味する
"robota"だということを最近知った。
そういえば、知らないことを鮮烈に、
知識として記憶に残してくれたのがマンガだった。
手塚マンガから教わったことは多い。
淫行懇意
締まりよい菜の花歯のないよりまし
菜の花は好きな景色だ。
中野から東中野に向かう左側の土手が
真黄色に染まる数秒間が好きだった。
電車はただまっすぐ走る。
JR総武線先頭車両の運転室は
ブラインドで被われている。
覗くと運転士はのんびりと新聞を読んでいた。
電車はただまっすぐ走っている。
飛べない鍋と
春の夜や尼僧の嘘にやよのるは
昔、神戸のやや山手の方に住んでいた。
有馬温泉の下湯が銭湯で、今思えば贅沢にも
温泉三昧な毎日だったわけである。
風呂上がり、腰に手を当て飲むフルーツ牛乳が最高の快楽で、
時たま連れていかれるお好み焼き屋が極楽だった。
懐かしくはない。今も鮮明な映像と感触が在る。
ただ少し時間が経ってしまっただけだ。
掲句とはまったく関係ない話だな。
なんでこの文書いたんだろ。
有馬のマリア
雉諍いて野辺の定価歳時記
投げ釣を父親と一緒にやったのは、小学校の2年生くらいだったと記憶している。
神戸と明石の間に須磨という所がある。
なだらかなおとなしい砂浜。
そこで赤い虫を餌としてつけた針と錘りをグルグル廻し
ハンマー投げの要領で沖に投げる。投げ釣。
もちろん子供の力だからそう遠くへは飛ばない。
さほど深くもない海、
なにか獲物がかかっていやしないかと釣り糸を引く単純な釣だ。
何かがかかった記憶はあるが、それを持ち帰ったことも、
ましてや食べた記憶もないからすぐに放って返したんだろう。
魚にすればいい迷惑だ。
唯一覚えていること。
砂浜の端のほうから淡路島に向かって、
大きな鉄骨の橋梁のようなものが組まれていた。
本州、淡路、四国をつなぐ「夢の架け橋」だと父が言った‥‥記憶がある。
海に飛び出す大きな建造物。
子供の目にはとてつもない未来に見えた。
十年後、須磨に行く機会があった。
橋梁はそのまま、中途半端な形で海に突き出したまま錆びていた。
夢はまだ完成していなかった。
それがゴミ処理用の橋であったことを知るのは、そのまた数年後のことだ。
死んだら談志
粉の捏ねる音友と通る猫の子
粉を捏ねて餃子の皮を作る。以前数回試みたことがある。
手間のかかった分、実に美味かった記憶が。
テーブルの上を粉だらけにして、こねまわし、叩きつける。
その方法でよかったかどうかは神のみぞ知る・・・
粘土で遊んだ記憶と、砂場の泥団子遊びが一緒くたになって蘇る。
力を入れるという作業は楽しい。
手の下の弾力が愛おしい。
オーストラリア在住の方の「写真&俳句」のブログ。
そこに掲載されていた、韓国風手作り餃子の写真に刺激されてできたブツ。
餃子喰いてぇ~~。
人気募金に
チチと夜鳴く南京泣くなよと父
それが南京虫というものだと聞いたのは、かなり後からだったと思う。
子供は分解好きだ。使わなくなっていた母親の時計の裏蓋をはずして
ゼンマイを出して、回転軸の押さえに使っている赤く光る石を
ルビー?だと思い込んでカッターナイフで取り出そうとした。
先の細いドライバーなどなかった頃だから、ナイフの刃先でねじを廻した。
結構うまく分解したのだが、そこまでだった。
組み立てられずにバラバラになった時計は
マッチ箱に入れられ、宝ものというより
見てはいけないものとして引き出しの奥の座敷牢に
その後十数年保管されていた。
人気尽きんに
映画館君が手紙近火が癒え
映画はここのところアジア系が多い。
ハリウッドのファストフードに少々食傷気味な時に、
こってり系のリアルすぎるブツは効いた。
おかげで沈み込んでたモノがウゴウゴル-ガだ。
ATGの時もそうだった。
キツいのはいい。たまにね。
人気預金に