死んだら談志2024

水仙花死んだら談志完成す
回文俳句&吾郎関連の諸事雑事
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回文は行く その六十六

2006年02月08日 00時03分15秒 | Weblog

雉諍いて野辺の定価歳時記

投げ釣を父親と一緒にやったのは、小学校の2年生くらいだったと記憶している。
神戸と明石の間に須磨という所がある。
なだらかなおとなしい砂浜。
そこで赤い虫を餌としてつけた針と錘りをグルグル廻し
ハンマー投げの要領で沖に投げる。投げ釣。
もちろん子供の力だからそう遠くへは飛ばない。
さほど深くもない海、
なにか獲物がかかっていやしないかと釣り糸を引く単純な釣だ。
何かがかかった記憶はあるが、それを持ち帰ったことも、
ましてや食べた記憶もないからすぐに放って返したんだろう。
魚にすればいい迷惑だ。
唯一覚えていること。
砂浜の端のほうから淡路島に向かって、
大きな鉄骨の橋梁のようなものが組まれていた。
本州、淡路、四国をつなぐ「夢の架け橋」だと父が言った‥‥記憶がある。
海に飛び出す大きな建造物。
子供の目にはとてつもない未来に見えた。
十年後、須磨に行く機会があった。
橋梁はそのまま、中途半端な形で海に突き出したまま錆びていた。
夢はまだ完成していなかった。
それがゴミ処理用の橋であったことを知るのは、そのまた数年後のことだ。



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