10月10日(土)
台風の進路を心配しながら午後になった。いま雨は小降り
になっている。
かつて10月10日は体育の日で、晴れる日が多かったと思
う。体育の日は1964年10月10日に東京オリンピックの開会
式が開かれたのを記念してつくられた祝日だった。
それから56年。今年の大会は延期されたが、1964年のオ
リンピックにはとりわけ感慨深いものがある。
1964年は私が小学校6年の時だった。私たちは班に分か
れて、オリンピックの歴史を学び、壁新聞をつくった。5輪
のマーク(5つの大陸の輪)を書き、戦争が終わって約20年。
日本が復興できて、平和の祭典が行われることを喜び、心待
ちにしたものだった。
私は当時多気郡大台町立三瀬谷小学校児童会会長だった。
オリンピックの前に三瀬谷小学校の新校舎が竣工され、初め
ての運動会が新校舎で開かれた。それは確かオリンピックの
翌日だったと思う。
私は、10月10日の開会式をテレビで見て、おおいに感動し
た。翌日の運動会でスピーチをすることになっていたので、
感動と緊張でその晩は眠れなかった。
運動会では、うまくスピーチすることができたが、それか
らが大変だった。その後、夜眠ることができない病気にとり
つかれ、約1年間苦しんだのだ。その間、親はあれこれと心配
した。
結局、1年後に県立三重大学病院で教授先生に診察をしても
らう事になった。診察後「薬はいらないのか」と尋ねた親に、
先生はただ一言。「お父さんやお母さんが悪い」と言っただけ
で、たいしたものだ。その晩からぐっすり眠れるようになった
のだった。
いま思えば、私の親(特に父親)は、私が一番になる事を
望んだ。その親の期待に応えなければならないと何しろ無理を
していたのだと思う。
10月10日が忘れられないのはそんな事件があったからでもある。