読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

先祖教

2007-04-05 20:51:06 | Weblog

柳田國男によれば日本の宗教心は先祖教だそうである。確かに我々は仏壇やお墓や法事の席で手を合わせるとき法然や親鸞の教えである念仏で浄土へ行ける事を意識したことは無く、亡き人を思い浮かべ、供養し家庭や家族を守ってくれるよう祈る。浄土真宗では本来この供養をすると言うことも祈る事もしないのである。先祖教では村での死者を供養することによって村を守って貰うことを願うのである。その供養の場として寺院が作られた。戦国時代それらは有力な戦国大名を多く出した愛知県に最も多くが集中したのだそうだ。4、400以上の寺院が有ると言う。全国では75,000余だそうだ。

岩波新書「報道被害」から

2007-04-04 15:56:19 | Weblog

この新書のなかで「ペーパートライアル」と言う語が目に付いた。犯罪などの新聞報道で容疑者の名が出されるが、その段階で既に犯人と疑われ、断定されるような記述が報道され、そのために有罪の判決が有ったと同様な社会的結果が生じると言う事だ。職場を追われ、友人は無くなり、近所付き合いは無くなり、子供も学校へ行けない状況が生じるのだ。この書の筆者は弁護士で数多くのケースを検討し報道被害の問題を提起し、その縮小に提案を出している。

小説と言う語

2007-04-03 18:23:17 | Weblog

「逆説の日本史」の井沢元彦氏は小説と言う言葉は嫌いだそうである。それは差別言葉だと言われるのだ。儒教においては小人と言えば人格の低い人と言う意味で同じく小説とは「小人の言説」を意味するのだそうである。作り事の話である小説は
中国文学史では小人の言説と言う軽蔑の意味を含めて小説と言われるのだそうだ。中国では詩が高級な芸術だったのだ。

草野心平

2007-04-01 14:55:57 | Weblog

草野心平と言う詩人の名は知っていた。高校の国語の教科書に、その詩が繰り返し現われる常連の詩人である。心平が文化勲章を受け、皇居で記念撮影をしたときには彼は既に車椅子であった。鬼籍に入ってからもう何年が経つのだろう。「富士山」と言う長詩の冒頭の連を高校時代の国語の教科書で読んだ。中日新聞朝刊に草野天平の名が有って、心平を思い出し、おやっと思って読んでみると草野心平の実弟であり、30才を過ぎて心平に詩作を習ったと言う事だ。詩を習うとはどんなことをするのだろうと思った。