読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

正岡 律

2007-04-17 20:48:24 | Weblog

司馬遼太郎の「ひとびとの跫音」を読んでいる。正岡子規の妹の律の事が書かれている。律は兄の子規を蝋燭の火を両袖で風から守るようにして介護して来た。子規の死後33才で共立女子職業学校に入学し卒業してからもそこで教師として働いたと言う。現在の共立女子大学である。思い出した事がある。私は大学時代、男声合唱団に属していた。明治大学のグリークラブと交歓演奏会が有り東京まで出かけた折、その演奏会が共立講堂で有ったと記憶していた。近くに共立女子大学があった事も僅かに記憶に有った。律の事を読んでいてそんな事を思い出した。

岐阜市立図書館

2007-04-16 18:33:53 | Weblog

昨日、岐阜市立西部図書館へ行った。二度目だった。最初に行ったときには図書館と言うよりは図書室と言う規模で入り口にも確かそのように表示されていた。ここへは来ないなと思いながら帰ったがネットで調べて見ると岐阜市立図書館は分館など五箇所ほどに図書室が市内各地に配置されていて図書をネットで検索して本館その他の分館に有る図書を予約でき、最寄の図書室で借りられる事が分かった。尤もこれは他の図書館でも出来るが西部図書館が最も近いので有り難いと思った。

別所

2007-04-14 15:14:03 | Weblog

昨日、播州三木城の場所をグーグルの地図とグーグルアースで調べていた。三木と言う地名はともかく別所と言う地名も有ることが分かった。さも有りなんと言うべきか。別所長治の一族が自決してから家臣の多くは百姓になったと言う、明治になって姓を名乗るようになって三木を名乗る人が多く出た。三木露風、三木清などが出た。政治家に三木武夫がいるが出身地が徳島とあり彼もその一人かも知れないと思った。

播州三木城

2007-04-13 20:32:48 | Weblog

昨年10月、業者仲間で鷲羽温泉へ行った。途中、山陽自動車道の三木サービスエリアで休憩した。丁度そのとき私は司馬遼太郎の歴史随筆をバスの中で読んでいた。播州三木城について書いてある部分を偶然に読んでいた。「ここの事だ。」とバスから飛び出しサービスエリアの建物に入り地図を見たが三木城がどこにあるのか確かめられなかった。三木城は別所長治の居城で有る。その頃、信長が毛利を打とうとしていた。秀吉はその命を受け別所長治を身方につけようと働きかける。姫路城の黒田官兵衛の勧めで一時は織田方に付くが後に毛利方に戻ってしまった。別所は室町時代からの武家の名門の誇りが有り、出自の分からぬ秀吉を相手にしなかった。結局これが別所氏の命取りになった。秀吉に城を取り囲まれ二年の篭城の後、別所一族は壮烈な最期を遂げるのである。

識字率

2007-04-12 14:59:02 | Weblog

世界で日本は識字率が非常に高いと言う事は金田一春彦も司馬遼太郎も書いている。日本が戦後暫く、GHQの支配下に有った頃、アメリカの民間情報教育局は日本語の表記の複雑さに驚き、現状では将来日本で文字が読めない人が増加するだろうと考え、日本語を全てローマ字表記に変える事を提案した。それに先立ち日本人の識字能力をテストする事にした。日本の戸籍簿から無作為に1万人を抽出し指定の場所で試験を受けさせた。金田一春彦はこの試みに参加しており、小田原地域を担当していた。ところが試験会場に担当地域から一人欠席者がある事が分かった。東京で戦災で焼け出された老婆が小田原の親戚に身を寄せていたらしい。しかたなく金田一はそこまで迎えに行く事になり、その家に行って見ると老婆は寝ており、自分は小学校も行っておらず字は読めないから換わりに娘をと言い、娘は代わりに出かける支度までしていた。事情を話して老婆を無理やり連れて行き試験を受けさせたが零点ではなかったと言うのである。名前を「はな」と言い、その文字だけは読めたのである。こうして全国の試験結果では文字が読めない人は零に近い事が分かり、日本語をローマ字表記に変えると言う提案は実行に移されなかったそうである。

漢字を忘れたら

2007-04-11 14:14:49 | Weblog

私の娘が高校時代の頃だったか中国人は漢字を忘れたらどうするの?と言っていた事がある。日本人だったら忘れた漢字の部分だけ平仮名で書けばこと足りる。ある小学生が新聞で同じ質問をして、そんなとき中国人は発音が同じでやさしい漢字を書いて間に合わせるらしいと金田一春彦が本に書いているのを読んだ事がある。日本人の場合は当用漢字、教育漢字、名前用の漢字などに制限が有り、漢字を忘れていないときでもその漢字が使えず他の漢字を当てる所謂、当て字を使わざるを得ない場合が有る。尤も、漱石の小説や江戸期の古文書を見ていると昔から日本語の文章は当て字に満ちておりそうした文字生活を送ってきてはいるが。

草枕

2007-04-10 15:41:44 | Weblog

金田一春彦の「日本語は京の秋空」を読んでいたら万葉集の「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」が出て来た。同時並行して呼んでいた本で中江克巳の「うんちく事典日本語」にもこの歌が出て来た。前者はこの歌は防人の歌で米に関する言葉が日本語に多い事を話題にした内容の中で引用されている。後者は「草分けと草枕」の語源を解説した中で有馬皇子が658年謀反の疑いを掛けられ、市経の宮(今の奈良県生駒市)で捕らえられ紀伊の藤白坂(和歌山県海南市)で処刑された。この歌はその護送の旅で詠んだものだと解説されている。ここでおやっと思ったのは、前者ではこの歌が防人の作った歌になっているが、後者ではこの歌が有馬皇子が詠んだように解釈できる書き方がしてあると言う事だ。

「正しい日本語101」自害・自殺・自死の項からの感想

2007-04-08 17:12:32 | Weblog

江戸人は素直に墓場に入ったが明治にはそうはしない人が居ると言う。例えば正岡子規は「戒名といふもの用ゐ候事無用に候」と言い、中江兆民は墓を建てるなと遺言したそうだ。ところが兆民の死後15年経って門人が青山霊園に墓を建ててしまった。兆民は無宗教であったためその葬式は「告別式」としたと言う事だ。これが告別式の始まりだと言う。私はこれは維新政府の神仏分離令が引き起こした廃仏毀釈の副産物かとも思う。これが日本人の信仰心を破壊し、梅原猛氏はこのとき神も死んだと言う。

言語形成期

2007-04-07 11:46:00 | Weblog

金田一春彦の「日本語は京の秋空」と言う本に出てくる話だ。誘拐事件が発生し犯人の脅迫電話の声のテープが出来、それが公開されると筆者の家へ多くの報道陣が押しかけるそうだ。犯人の言葉の中に必ず犯人の生まれ育った地域が推定できるアクセントが有り、その意見を求められるからだと言う。的中率は90パーセントだと筆者が言う。グリコ誘拐事件は解決していないので的中しているかどうか分からないと言う事だ。14歳頃までに生まれ育った地域で身に付いた言葉のアクセントは直そうとしても直せないものだそうだ。その時期が「言語形成期」と呼ばれる期間である。そう言えばこの期間に日本の言葉を通じ人が出来るからと言う理由で小学校で英語を教える事に反対している人達に百マス計算で脳を活性化させる事が出来る事を発表し名を知られるようになった川島隆太氏やベストセラーとなった「国家の品格」の藤原文彦氏がいる事を思い出した。

男と言う字

2007-04-06 15:18:47 | Weblog

漢字の成り立ちや語源の本を見ると大抵は男と言う漢字については田で力を使うので男だと説明されている。白川漢字学はこれをきっぱりと否定する。中国紀元100年頃に出来た説文解字は許慎の編纂したものだが許慎は甲骨文字や金文の存在を知らなかった。そこに説文解字の限界が有ったと白川漢字学は批判の目を向ける。そうした批判は一般向けに書かれた漢字についての解説書、岩波新書「漢字」の中に既に見られる。この解説書は一般向けのものとしては最初のものだったと後に上智大学の渡辺昇一氏との対談で白川氏が話している。男の文字の下の部分、力は鋤の形だと説明される。