読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

関東と関西の始まり

2009-09-26 15:53:58 | 歴史

1221年(承久三年)の承久の乱に勝利した鎌倉幕府は後鳥羽上皇を隠岐に順徳天皇を佐渡に流し京都王朝の権威は低落した。後、出家していた後鳥羽の兄を還俗させ後高倉上皇とし、これを「治天の君」としてその子を後堀河天皇として即位させた。この乱に関わった貴族を全て処刑し、幕府の支配下におかれた朝廷では将軍の親族で東国側と親密な関係を持った西園寺公経や九条道家を中心に編成された。後鳥羽の多くの荘園は幕府が没収し後高倉上皇に寄進すると言う形をとり、京都朝廷は幕府の規制の下に置かれた。北条泰時も時房も在京し続け六波羅に住し六波羅探題と言われ朝廷の監視をする事になった。
この後、京都朝廷側から従来、東国鎌倉を「関東」と呼称して来た名称を鎌倉幕府は自らの呼称として常用し、鎌倉側からは京都を含む西国を「関西」と呼ぶようになった。
岩波新書、網野善彦著「日本社会の歴史(中)」より


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