モスクワで沿道の人々に手を振るサッチャー元英首相(1987年3月)
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8日に脳卒中のため87歳で死去したサッチャー元英首相は、数回にわたって脳卒中を繰り返した後、2002年に公の場を退いた。それ以降は公の場に姿を見せることは非常にまれだった。
以下はサッチャー元首相の名言集:
「何かを言ってもらうのは男性に、何かをしてもらうのは女性に頼みなさい」──全国都市女性ギルド連合会議向けの講演で(1965年5月20日)
「意見の一致には危険が潜む:何についても特定の意見を持たない人々を満足させようと試みることになりかねない。党が何を望むかについてしっかりした信念に基づくことなく生き残る立派な政党などない」──保守党会議で(68年10月10日)
「私が生きている間は、女性の首相が誕生するとは思わない」─テレビインタビュー(73年3月5日)
「赤いシフォンのイブニングドレスを着て、化粧し、パーマをかけた私が、西側諸国の『鉄の女』ですって?冷戦の戦士ですって?まあ、正しいでしょう。人生の基盤となる価値と自由を守ろうとする、私の姿をそう説明したいというのであれば」──(76年1月31日)
「ロシア人は世界制覇に夢中になっていて、これまでで最強の帝国になる手段を急速に獲得している」──「鉄の女」と呼ばれることになった演説で(76年1月19日)
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「「U」 ターン(180度転換)というメディアで人気のあのキャッチフレーズを息をひそめて待っている人々に、言いたいことは1つだけ。『Uターンしたければどうぞ。私は転換しない』。私はあなた方だけではなく、海外の友人にも、友人でない人々にもそう言いたい」──保守党会議で(80年10月)
「物事に反対するだけでは勝てない。物事に賛成し、自分のメッセージを完全に明確にすることによってのみ勝利できる」──(75年2月11日)
「最終的に自分の思い通りになるなら、私はいくらでも忍耐強くなれる」──下院で(82年3月31日)
「不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。 誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。 疑問があれば、私たちは信頼をもたらしたい。絶望があれば、私たちは希望をもたらしたい」─総選挙での勝利後にアッシジの聖フランシスを引用し(79年5月)
「No! No! No!」─欧州理事会に関する議会での声明で(90年10月30日)
「環境問題といった単調な問題への対処に政治家人生の半分を費やせば、現実の危機を管理するのは興奮する」──フォークランド紛争に関するコメント(82年5月14日)
「経済学は手段であって、目的は核心を変えることだ」──サンデー・タイムズ(81年5月1日)
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「一緒に仕事をすることができる」──ソビエトの書記長就任前のゴルバチョフ氏との会談後(84年12月17日)
「心がやさしいだけだったら、誰一人として善きサマリア人のことなど覚えていなかっただろう。彼にはお金もあったのだ」──テレビインタビューで(86年1月6日)
「社会なんてものはない。個人としての男がいて、個人としての女がいて、家族がある。ただそれだけだ」──雑誌のインタビューで(87年10月31日)
「好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう」──首相就任10年目に関するコメント(89年5月3日)
「どんな外交官でも劇作家でも、ジュネーブ・サミットでのミハイル・ゴルバチョフに対する(ロナルド・レーガン米元大統領の)言葉をもっと良くできるなど想像もつかない。『われわれがあなたを信用しない理由を説明しよう』。この言葉は率直で断固としていて、聴きやすいものではない。しかし、新たな始まりと信頼に根差す新たな関係への明らかな招待だ」──レーガン米元大統領の葬儀での追悼の言葉(2004年6月11日)