Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

愛の軛(くびき) マタイ11:25-30

2008年01月13日 | Celebration
 「クリスチャンになったら、神様が言った事を守らなければならなくて自由がなくなる?」「クリスチャンになったら、お酒も、煙草もダメ!日曜日は、礼拝で遅くまで寝てられないから大変?」そんな思いに囚われていませんか??

 また、神様が言っていること、聖書が言っていること、教会の牧師さんやクリスチャンが言っていることに対して、「確かにそれは、正しいし、いいことだし、できたらいいよね・・・、でも、現実問題、それって、今の私には、むずかしい・・・。」そんな思いに囚われていませんか?確かにクリスチャンになって、問題が解決するよりも悩みが増えてしまったという方々も多くいらっしゃると思います。神様の価値観と自分の価値観がなかなか実生活の中で一致できない、神様の価値観の中で歩んでいきたいと思っているけれど、なかなかそれが実行できない方々もいらっしゃると思います。

 素晴らしい伝道者であったパウロさんもそのギャップに苦しんだ一人です。(ローマの信徒への手紙7:18-19)それでは、どうしたら、「クリスチャンになったら自由がなくなる」と考えている方たちやクリスチャンとしての歩みに息苦しさを感じている方たちに「クリスチャンになる喜び」や「クリスチャンとしての喜びの歩み」を理解していただけるのでしょうか?クリスチャンになっても私たちは、人間です。

 「大変!」「どうしよう!」「困った!」と思うことがたくさんあります。しかし、クリスチャンの特権は、そんな状況に立った時、静まって神様の御声を聞くことができます。神様の御声は、いろいろなことを通して聞くことができます。聖霊様が直接、語ってくださることもありますし、礼拝のメッセージから、語られることもあります。しかし、私たちがすぐに、いつでも、はっきりと分かる形で語られるのは、聖書からです。

 さて、今日のメッセージの聖書箇所は、マタイ11章25-30節。とても有名な箇所です。とかく、ストレス、問題の多い現代社会、クリスチャンであっても、クリスチャンでなくても、肉体的、精神的に疲れます。そんな疲れた私たちに対して、イエス様は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)とおっしゃってくださっています。

 今、背負っているあなたの問題は、何ですか?あなたの重荷は、何ですか?イエス様は、その問題、重荷を持ってわたしのもとに来なさいと、おっしゃってくださっています。この世の中は、「~ができなければ受け入れられない」とか、「~を持っていないと認められない」とか、「こんなことをしてしまう人は、だめだ」などと言う条件によって人を判断したり、また、人に判断されたりします。その条件は、無数にあり、その条件に私たちは、振り回され、疲れてしまいます。しかし、イエス様は、ありのままの私たちを受け入れてくださいます。そして、私たちを回復に導く休息を与えてくださるのです。

 また、休ませてくださるだけではありません。私たちが、持っている問題、重荷を解決に導いてくださるのです。イエス様は、どのように私たちの問題や重荷を解決に導いてくださるのでしょうか?マタイの11章29節以下にその方法が書かれています。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:29-30)イエス様は、柔和で謙遜な方です。そのイエス様から学ぶことによって安らぎが得られるとおっしゃっています。

 それでは、「イエス様の軛を負う」とは、どう言うことでしょうか?「軛(くびき)」と言う言葉をご存知ですか?「軛(くびき)」とは、「2頭の牛やろばなどの首につけて、鋤(すき)や車を引かせるために使用する木製の道具」のことです。現代は、牛やろば以上に動力のある農作業機械や自動車がありますが、聖書の時代は、牛やろばは重要な動力であり、2頭を一緒に働かせるために使う「軛(くびき)」は、大切な道具だったのでしょう。

 また、申命記22章10節には、異種の動物、力差のある動物を同じ「軛(くびき)」につなぐことを禁じています。それほど、「軛(くびき)」につながれて働く動物には注意が払われていました。また、聖書では、「軛(くびき)」は、「隷属」、「苦役」、「律法の制限」、「罪の重荷」を象徴する言葉です。大工さんであったイエス様は、「軛(くびき)」作りも当然されたと思います。イエス様は、作られた「軛(くびき)」は、働く動物たちに負担を掛けることがなく、動物たちの働きも最大限に引き出されたに違いありません。

 「イエス様の軛を負う」とは、「イエス様が共に歩んでくださる」と言うことです。神様であるイエス様が、私たち、一人、一人と共に歩んでくださるのです。先の申命記に書かれているように「軛(くびき)」につながれる動物は、同じ力、同じ種類である必要がありました。しかし、神様であるイエス様は、私たち以上の力を持っていらっしゃいます。そのイエス様が敢えて私たちに寄り添って歩んでくださるとおっしゃるのです。また、イエス様と共につながれている私たちの「軛(くびき)」は私たち一人一人にイエス様がオーダーメイドで作ってくださるものです。ですからその「軛(くびき)は負いやすく、荷は軽い」のです。

 このようにイエス様は、イエス様ご自身から共に歩もうと、私たちに語りかけておられます。私たちは、一人で自分の重荷を負う必要も、一人で無理をする必要もないのです。イエス様と共に歩む決心をしましょう。すると、イエス様の私たち一人一人に対する「軛(くびき)」を負ことにより、イエス様からたくさんの祝福を知ることができます。それは、私たちが想像する以上の祝福であり、私たちの心に安らぎが得られるのです。今週もイエス様がいつも、私たちの隣に寄り添い、私たちと共に働いてくださることを覚えて歩んでいきましょう (文とイラスト・田中美鈴


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