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アクション映画の次は任侠映画か?? と、思いきや、今日のメッセージは、日本人独特のメンタリティ、『忠義心』から始まった・・・。よし松親分は、あの清水次郎長の最後の子分で、滋賀県大津の町を取り仕切っていたやくざの長。彼が死の床にあった時、親分の息子が連れて来たのは、何故かお坊さんではなく、大津に赴任して来たばかりの若い宣教師だった。彼はよし松親分の枕元でこう語りかけた。
「よし松さん、天国には神様がいて、私達はみんな神様につくられた神の子なのです。しかし、私達はその神様に対して罪を犯して、天国へ帰れなくなってしまいました。慈悲深い神様は、何とか私達を赦してあげたいと願いましたが、聖い神様は、どうしても罪は罪として罰しなければなりません。そこで神様は、自分のひとり子であるイエス・キリストをこの世に送って、私達の罪を全て肩代わりするために、十字架にかかって死んでくださいました。だから、このイエス・キリストを信じれば、私達の罪は赦されて、天国へ帰ることが出来るのです。」
この話をずっと黙って聞いていたよし松親分は、うっすらと目に涙を浮かべながらこう答えた。「先生、ようわかりました。」と。そのあまりに素直な返答に驚いた宣教師。しかし、よし松親分はしっかりと語り続けた・・・。
「先生、わしのようなヤクザ者でも、自分の子供はかわいいものです。そして、子分達もかわいい。もし、子分が何かしでかしたら、わしは自分の子供を身代わりに差し出すようなことも致します。本当にわしは今まで悪いことばかりして来ました。とても聖い神様の前に出れるような身分ではありません。しかし、このような者のためにも、自分のひとり子をこの世に送ってくださって、わしの罪の身代わりになってくださったということを聞いて、安心致しました。もう、何も思い残すことはありません。」
そうしてよし松親分は、病床洗礼を受けた翌日、イエス様のいる天国へと帰って行ったのである。
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実はこの救いの背後には、よし松親分の昔話があった。かつて、県庁を大津から彦根へ移すことが議会で取沙汰された。郷土愛に燃える大津市民の猛反対にも関わらず、次の議会で県庁移転が決定することになったその当日、よし松親分の子分300人が県庁へと乗り込んだ。議会は蜂の巣を突付いたような騒ぎとなり、知事も議長も窓から逃げて、当然議会は中止。子分達は全員現行犯で逮捕されてしまった。それを後で知ったよし松親分は、子分達を助けに一人で警察へと出頭した。
「今回の事件は、わしがやりました。このわしが命令したのです。子分達は、わしの命令には逆らえません。ですから、悪いのはわしです。どうぞ、このわしをお縄にして、子分達を赦してあげてください。お願いします。」こうして子分たちの身代わりになったよし松親分は、12年の実刑を受けたのである。
イエス様が人の罪の身代わりとなったという話を、よし松親分はとても他人事として聞くことが出来なかった。それが信仰へと至らせた。宣教師も呼ばれて来たものの、ヤクザの親分前にいったい何を語そうかと悩んだそうだ。しかし、キリスト者が伝えるべきことは結局これしかない。「あなたの罪のために死んでくれたイエス様を信じれば、天国へ帰ることが出来る!」まさにこの時、よし松親分はイエス様と出会うことが出来たのである。
「自分はとても、神様の前に出ることなど出来ない。」と、心から遜る時、神様は大きな憐れみをくださる。イエス様が十字架に掛けられた時、右側にいた男もその一人だった。彼も最初はイエス様に毒づいていた。しかし、最後の最後に悔い改め、彼は何とクリスチャン第一号となった。信仰は、ただ恵みとして受け取るだけで良いのだ。
イエス・キリストを真ん中に、左右の十字架に付けられているのは、実は私達であるということに気付かなければならない。イエス様を受け入れて右につくか、拒んで左につくか。私達は、必ずそのどちらかを選択しなければならない。私達の人生の全ては、そのことにかかっているのである。
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ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。(使徒4:12)