Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

家族のつくり方 マルコ3:31-35

2010年03月15日 | Celebration
私たち海外居住者は、家族と海を隔てて分かれて暮らし、ついつい疎遠になってしまうことがありますよね。でも、どんな子供も親は可愛いと思っているように、子供は、自分の親には長生きをして欲しいと切に願っているものです。特にクリスチャンの場合は、親がクリスチャンでなければ、「何とかして永遠の命を伝えなくては!!」という、一種の緊迫感があります。そこで、家族に対する5つの愛の表現方法をご紹介しましょう。それは・・・

音信不通にしない。
実際に訪問する。
家族の交わりのために予算を立てる。
家族といる時は写真をたくさん撮る。
家族のために祈る。

当たり前のようですが、とても基本的なことですよね。ですが、この5つのポイントは “愛情の表現”であって、“愛を生み出す”ものではありません。では、“真の愛を生み出す”にはどうしたらいいのでしょうか? 実はその答えは、一つだけなんです。それは、『イエス様を信じること』。そう言うと、「えっ!? じゃ、ノンクリスチャンの家族は、イエス様を信じてないから愛を生み出せないって言うの!? 」と思われるでしょう。勿論、ノンクリスチャンの方々でも、愛のある素晴らしい家庭を持っておられる方々は沢山います。ですが、それはこの世だけに限っての話しなんです。

クリスチャンとは、永遠の命に生きている人たちです。私たちは、人間の本性は霊であり、肉体が滅んでも、霊は継続するのだということを知っています。でも、そのことは、クリスチャンでない人達も気が付いているのです。般若心経の、色即是空・空即是色(シキソクゼクウ クウソクゼシキ)も、物質はエネルギーに転換し、エネルギーは物質に転換するという、アインシュタインの相対性理論も、目に見えないエネルギー(霊)の存在のことを語っているのです。それが、聖書が言う、永遠の神の世界なんです。

この地上で私たちが親と過ごす年数は、50~60年位でしょうか? でも、神の国では永遠の時を過ごします。私達には、肉の家族だけど霊の家族でない人と、霊の家族だけれど肉の家族でない人がいますよね。どちらの家族が神の国と共に住むことになるのでしょう? 言うまでもありません、霊の家族だけです。だからこそ、キリストを信じることが、真の家族愛を生み出すことなのです。クリスチャンの方は、「真の家族愛を築くにはキリストを信じるしかありません!」とはっきりと言えないといけません。だって、天国へ行った時に、愛するお父さん、お母さん、子供たちがいなかったら困るでしょう

では、“霊の家族”って何でしょう? 先ほどの5つのポイントは、私たちは誰から何も言わなくても行っていますよね!でも案外、私たちは 「別につくらなくても家族は家族!」と思っているものなんですよね。でも、それは間違いです。真の家族はつくって行かなければならないのです。何故なら、この世の全てのものには目的があるからです。ピアノにだって、椅子にだって、このカーペットにだって、目的に従ってデザインされていますよね。それと同じように、当然家族にも目的があるのです。

全盲のテノール歌手・新垣勉さんをご存知でしょうか?彼は沖縄でメキシコ系アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれました。しかし、赤ちゃんの時に、助産婦さんが間違って家畜用の洗浄液を目にさしてしまい、彼は全盲になってしまいました。一年後、お父さんは妻と子供を置いて、アメリカへ帰ってしまいます。その後お母さんは再婚し、彼はおばあちゃんに育てられることになります。

それから新垣さんは、おばあちゃんが母親と言われ、実のお母さんをお姉さんだと言われて育てられました。ところが、彼が14歳の時におばあちゃんが亡くなり、その時に本当のことを知らされます。子供の頃から、「めくら!」とか「あいの子!」(差別用語です)といじめられ続け、自分を育ててくれた人からも嘘をつかれ、彼はそのショックで、遂に高校一年生の時、井戸に身を投げようとして自殺を図ります。その時は幸い命は助けられたものの、彼は生きる望みを全く失っていました。

ある日、そんな彼に転機が訪れます。ある時米軍ラジオ放送から流れる賛美歌を聴いて、「あぁいいなぁ~歌いたいな」と思いました。それで彼は讃美歌を聴くために教会を訪ねたのです。そこで教会の牧師さんと話している内に、新垣さんは今まで鬱積していた思いが溢れ出て来たのです。そして、彼は今までの自分の心の奥底にあった気持ちを全てその牧師さんにぶつけたのです。「僕はアメリカに行って、自分と母親を捨てた父を見つけて殺してやる!僕の目をこんなにした助産婦も絶対に許せない!お母さんも絶対に許せない!」

教会には、肩を震わせて泣いてた人がいました。それは新垣さんではなく、彼の話しを聞いていた牧師さんでした。その牧師さんは今まで誰からも大切にされなかった、愛されなかった、まだ高校一年生なのに、親を憎みながら、井戸に身を投げようとした彼の苦しみ、憎しみ、哀しみ、悔しさを自分の身に感じて泣いておられたのです。そして新垣さんも、「僕のために泣いてくれる人がこの世にいるのか?!」と、その牧師さんの姿に、今まで感じたことのない衝撃を受けました。

それから、新垣さんがその教会へ通うようなったのは言うまでもありません。そして、何とその牧師さんは、3人の子供がいたにも係わらず、新垣さんを新しい家族として迎え、一緒に暮らしはじめたのです。そうして、今まで憎しみと苦しみの連続だった新垣さんの人生が、感謝と喜びの人生へと変えられて行きました。愛だけが人を変えるのですね! 私はこの話しを通して、牧師の仕事というのは、ただ『神の愛を伝えること』なんだなぁと、つくづく思わされました。

その後、新垣さんは神学校へと進み、本格的に声楽も学びました。彼はイタリア人のボイストレーナーについて歌を学んでいたのですが、ある日、その先生からこう言われたのです。「君には日本人が持っていない才能がある。君の歌声はラテンの声なんだ。確かに、君はとても辛い体験をして来たけれど、その声は恵みなんだよ。だから、お父さんに感謝しなくちゃ」と。彼はこのことをきっかけに、本当にお父さんのことを赦すことが出来たのです。

自暴自棄だった彼が何故、そんなにも変えられたのでしょうか?牧師さんを通してイエス様の愛に触れたんです。正に“愛は全てを包括する”のです。新垣さんとこの牧師先生は、何と素晴らしい家族ではありませんか!? 勿論、真の家族になるためには、大変なご苦労があったことでしょう。それは、ただ可愛そうだけでは、人生を前向きに生きることが出来ないからです。

真の愛は、強さに裏付けられていなければなりません。何故なら、愛には責任が伴うからです。そしてその強さは、正しさに裏付けられていなければなりません。人は正しくなければ真に強くなることは出来ないからです。その強さは自分の正義や、誰かの正義では真の正義とはなり得ません。真の正義とは神様の正義、聖書の正義なのです。

それでは、真の家族を作るための5つの方法をお話し致しましょう。皆さん、家族と言うのはただ一緒にいるだけではダメなんです。ただ楽しければいいじゃダメなんです。何故なら、私たちには 天の国で、家族と共に働くという目的があるからです。常々お話していることですが、教会には礼拝、奉仕、学び、奉仕、交わりの5つの働きがありますが、これ等も働きは、どれもとても大切なものです。ところが、「交わり」についてはあまり語られていませんよね。でも、この交じわりが唯一天国へ継続されるものなのです


あなたが生まれて初めて神様の愛を感じた時

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(Ⅰヨハネ4:10)

 あなたが初めて神様を感じた時の経験を分かち合いましょう。それが、私たちの愛の出発点だからです。


今、あなたは満たされていますか?

あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。(Ⅰテサロニケ3:8)

今、自分は幸せか?ということを確認します。私たちはついつい、「もう少し~だったら」と思いがちですが、大切なのは今です。今のあなたの心の状態が大切なのです。今、幸せならばその喜びを分かち合いましょう。もし、そうでないのなら、何が幸せを阻んでいるのかを分かち合いましょう。


あなたはどんなことに罪を感じていますか?

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。(ローマ7:15)

私たちクリスチャンは、十字架の血潮によって罪を赦されていますが、この地上で生きている間は、どうしても自我から離れることは出来ません。自分はどういうことで罪を感じているのか、その罪に対してどのように対応しているのかを、勇気を持って分かち合いましょう。


あなたにとって一番大切な人は誰ですか?

今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。(ガラテヤ6:10)

あなたにとって本当に大切な人は誰でしょうか? そしてあなたはその人に対して何を望み、何を与えたいと願っているのでしょうか?そのことを分かち合いましょう。


これからの人生をどのように生きて行きたいと願っていますか?

世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。(Ⅰヨハネ2:17)

あなたは、これからの人生を、神様にあって、どのように生きて行きたいと願っていますか?自分の人生で、何を目的としているのかを分かち合い、祈り合いましょう。

初代教会は激しい迫害の中にありましたが、民衆全体から好意を寄せられていました。(使徒2:17)クリスチャンでない人が、彼らを見て「いいなぁ~」と思っていたのです。これが教会の真の姿なんです。真の家族、真の交わりにはしっかりとした目的があります。その目的があるからこそ、本当の家族となるのです。イエス様中心の家族、交わりこそが真の愛の家族なのです。

新垣さんのことを調べさせていただいている時に、もう一つ発見をしました。以前私たちの教会で歌っていたゴスペルソングの中に、『世界で一つだけの花』というSMAPの曲がありました。「No-1 にならなくてもいい、一人一人がもっともっと大切なOnly-One!!」と言う、とてもクリスチャン的な歌です。実はこの 「No-1じゃなく、もっと大切なOnly-One」 は、もともとは新垣さんが常々言っておられたメッセージだったのです。真の家族はこの世で終わるものではありません。永遠につながって行くものなのです。だからこそ、真の家族を大切につくって行きましょう。だからこそ、あなたの家族に福音を伝えて行きましょう (執筆担当: Ako)


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(写真は、全盲のテノールシンガーで牧師の新垣勉さんです)



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確信の自己変革 ヘブル10:32-36

2010年03月07日 | Celebration
今回の大地震の被害に遭われたハイチやチリの人たちも、年初めには、私たちと同じように、「今年はどんな年になるだろうか?」「今年は良い年にしたい。」と言う思いを持っていたことと思います。人生は本当に何時、何があるか分かりません。それは、私たちとて例外ではありません。このロサンゼルスも、東京も、火山列島帯の上に位置し、何時、大地震が起きてもおかしくない状態にあるからです。

 しかし、私たちクリスチャンは、何があっても、「天国に行ける!」と言う希望を持っています。ところが、私たちはそのような確信があるにも係わらず、普段、この確信と正反対のことをしていると言う現実があります。私たちは、今の自分の信仰の状態で、天国に行くとは案外考えていないのです。例えば、光り輝く天国の門の前で、あなたは人の噂話をしたりしますか?煙草を吸いますか?夫婦喧嘩をしますか? 誰もそんなことするはずはないですよね。

 では何故、私たちは普段の生活でこういったことをしているのでしょう?それは、「今、自分がしていることは、そのまま天国にはつながることはない」と考えているからです。でも、本当にそうでしょうか?私たちは、自分の今の信仰の状態が天国に行くと言うことを、常に考えておく必要があります。何故なら、何時自分が天に召されるか、何時イエス様が再臨されるか、私たちには分からないからです。勿論、私たちには成長の過程があります。それでも、「今が大切」という気持ちを、決して忘れてはなりません。

 年の初めに、私は車をスーパーマーケットの駐車場でぶつけられてしまいました。所謂、当て逃げです。「さあ、今年も新しい気持ちで張り切っていこう!特に今年は経済的に締めていかないと」と、思っていた矢先の出来事でした。実は、4ヶ月前にも、ほとんど同じような事故に遭っていたものですから、私はとても失望しました。

 前回の事故の際、私なりに最善を尽くしたつもりでした。にも係わらず、また、同じ箇所を壊されてしまったのです。このような状況に陥ると、私たちクリスチャンも、「神様がいるなら、どうしてこんなことになるの?」と思ってしまいます。車が壊れたことなど、世の中の悲惨に比べれば、実に些細なことです。ですが、そんな些細なことでさえ、信仰が揺らいでしまうことがあるのです。

 「神様がいるなら何故?」そういったこの世の不条理に直面した時に、クリスチャンとノンクリスチャンでは対応の仕方が違います。ノンクリスチャンは、この世の不条理に対して、世の中を変えていかなければならないと考え、外的変革を求めます。しかし、クリスチャンは、自分の内側を変えようとします。つまり、内的変革です。物事に対する理解によって、私たちの意志が構築され、理解によって感情が生まれ、その感情が行動へと移って行くからです。

 「神様がいるなら何故?」と言う状況に立たたされた時、私たちはクリスチャンとして、どのようなスタンスに立つべきなのか?と言うことを、今日は、皆さんと分かち合いたいと思います。この三つの秘訣をちゃんと理解することが出来れば、もう私たちは繰り返し、こういった疑問を持つ必要がなくなるのです。


問題に感謝するのではなく、問題を益と変えてくださる神に感謝する

いつも喜んでいなさい。絶えず、祈りなさい。どんな時にも感謝しなさい。(Iテサロニケ5:16-18)

 人生には、どうしても感謝できないことが起こって来ます。家族を失った時、家を失った時等々、何故、そんなマイナスの出来事に感謝しなければならないのでしょう?ここに知恵が必要です。災害や病は、雨がすべての人の上に降るように、誰の上にも起こります。クリスチャンだから、病気にならないとか、死なないと言うことはありません。であるなら、クリスチャンになる意味はいったい何処にあるのでしょうか?

 私たちがここで知るべきポイントは、世の中の様々な悪や病や不条理は、神様から来たものではないと言うことです。この世の悪は、サタンか人間の罪によって引き起こされているのであって、決して神様が引き起こしているのではないのです。クリスチャンとして、この理解をはっきりさせておく必要があります。聖書は、イエス・キリストを中心にして読まなければなりません。「神様と私たちの関係」は、「親子の関係」に喩えて考えると良く分かります。

 例えば、私の息子は、運転が荒いといくら私が注意をしても、言うことを聞きません。そこで私は、「一度事故に遭って痛い目をすれば、自分の運転の荒さを自覚するだろう」と思います。ですが、それだからと言って、私がわざと息子が事故に遭うような状況を作ったりするようなことは絶対にしません。神様も同じです。100%聖いお方である神様は、自ら悪を引き起こすようなことは、決してなさいません。神様の本質に、悪を引き起こす要因自体が存在しないのです。

 ですから、神様はここで、問題に感謝しなさいと、おっしゃっているのではありません。そうではなく、どのような問題に“あっても”感謝しなさいとおっしゃっているのです。何故なら、神様の御心は、私たちの安全であり、平和であり、どんな問題をも、それを益と変えてくださるからです。だから、それを感謝しなさいとおっしゃっているのです。「神様がいるなら何故?」と言う状況が起こった時、「これは、神様が引き起こしたのではなく、神様はこの問題を必ず益に変えてくださる!」この理解があれば、もう私たちは、そのような疑問を思うことはなくなります。


自分にとっての最善が、必ずしも神の最善とは限らない

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマ8:28)

 日本にある女性伝道師の方がおられます。彼女は、27-8歳までに結婚し、30歳までには、必ず子供をつくりたいと願っていました。しかし、伝道を一生懸命されていて、ふと気づくと30代半ばを過ぎ、まだ独身の状態でした。周りの友人のほとんどが結婚して子供がいると言うのに。

 彼女は、何故私は結婚出来ないのだろう?神様のためにこんなに一生懸命に働いているのに、何故神様は私を祝福してくださらないのだろう?と思い悩んでいました。そんなある日、彼女は神様にこう語りかけられました。「確かにあなたには、肉の子供はいないけれど、霊の子供が沢山いるではないか。あなたはその霊の子供を養いなさい」と。そして、彼女は、教会に神様から托された子供が沢山いたことに改めて気付かされたのです。

 ここで、私たちが考えなければならないのは、すべてを益とするという、「益」と言う言葉です。この益は何を意味するのでしょうか? 私たちが、益と言われる時、真っ先に考えるのが「自分の益」についてです。しかし、私たちが考えている益が、必ずしも神様にとっての益とは言えないことがあるのです。このことを、預言者エレミヤを例にとって考えてみましょう。

 エレミヤは「悲しみの預言者」と呼ばれています。彼は、南ユダ王国の人々に「バビロンが攻めてくるから、悔い改めなさい」と警告し続けましたが、政治家も宗教家も、イスラエルの住民も、誰一人エレミヤの言葉に耳を傾けず、逆に彼を迫害します。結果的に、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされ、人々は捕囚の民として、国を離れなければなりませんでした。その後、エレミヤはエジプトで殉教したと伝えられています。

 人間的な見地からすれば、エレミヤの人生は苦難の連続でした。誰にも預言者と認められず、迫害され、悲惨な辛い人生でした。では、神様はエレミヤを愛しなかったのでしょうか?いいえ、神様はエレミヤを愛し、信頼していたからこそ、彼を人類の救いのために用いられたのです。このように神様は、エレミヤ一人の最善だけではなく、全人類の最善を考えておられます。神様は、私たちを愛しておられるように、全人類も同じように愛しておられるのです。

 神様の目的は、私たちの幸せと共に、全人類の幸せを考えておられ、そのために私たちをお用いになられます。少し理不尽に感じられるかも知れませんが、神様の最善に従うことが、結果的に、それが私たちの最善となるのです「神様の最善は、すべての人の最善、自分一人の最善だけではないのだ」と、理解したとき、「神様がいるなら何故?」と思うことはなくなるはずです。


神様の計画は必ず成就する

自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。(ヘブル10:35-36)

 エレミアに限らず、モーセもパウロも、彼らの人生は、ほとんど苦難と試練の連続でした。しかし、彼らは決して希望を失うことなく、自らの使命を全うしました。神の使命を遂行するためには、時間がかかります。しかし、それは、神様の故に時間がかかるのではなく、私たちの故に時間がかかるのです。

 今、カリフォルニアに新幹線を走らせようと言う計画があります。この新幹線の開発は、当時は実に画期的な開発でした。新幹線が出来る前は、東京-大阪間は、電車で7時間半もかかりました。ところが、その時間の半分以下で東京から大阪まで行くことができると言う新幹線構想は、当時の人々にとって、「とても信じられない話」でした。更に、その新幹線を走らせるためには、専用のレールが必要だと言うのですから、それは全く常識外の発案だったのです。

 この新幹線を開発した三木忠直さんは、第二次世界大戦中に戦闘機をつくっていた航空技術者でした。しかし、戦争が終わり、三木さんは、自分の開発した戦闘機によって、多くの人命が失われたことに、大きな罪責感にさいなまれていました。しかし、クリスチャンだったお姉さんに導かれて、三木さんはクリスチャンとなり、これからの自分の人生は、社会の平和に役立つものの開発に奉げたいと言う思いが与えられました。

 三木さんは、戦争に利用される可能性のある、航空機関連、自動車関連、船舶関連の仕事は選ばず、あえて自分の専門外である鉄道会社に就職しました。そして、彼が航空理論を応用して開発したのが新幹線です。三木さんは、挫折した人生を経験しながらも、神様によって救われ、変えられ、そして、諦めることなく、自分に与えられた能力を、平和のために役立てたいと言う願いから、新幹線が開発されたのです。

 このように、神様の御心が成就するには、時間がかかります。私たちは、福音を正しく理解するのに時間がかかりますし、自我やプライドを捨てるのにも時間がかかります。ましてや、神様の御心を私たちの行動として生活に習慣化させることはもっと時間がかかります。私たちの愛は、概して条件付きの愛です。夜8時までの電話は優しく応対できても、夜10時過ぎの電話には、「何で、こんな遅くに?」と感じます。

 私たちは、そこそこ良い人、そこそこ正直な人にはなれるかも知れませんが、イエス様に似たような人には、なかなかなることは出来ません。では、どうしたら良いのでしょうか? 私たちは礼拝を通して、神様の愛を知り、教会の交わりを通して、祈り合い、励まし合い、愛し合う実践をし、弟子訓練を通して、神様の真理を日々、学んでいくことが出来ます。この自己変革は、私たちの信仰によって、必ず実現可能なのです。この確信を持って一歩一歩、天国に近付いて行きましょう。この一週間も神様の最善の中を歩んでいることに感謝して。(執筆担当: 美鈴)


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