Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

呼びかける声 黙示録1:12-20

2009年10月25日 | Celebration



いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。(マタイ24:32-33)

だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。(マタイ24:44)

その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:12-13)

あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。(ヤコブ5:8)

万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。(Ⅰペテロ4:7)

盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。(Ⅰテサロニケ5:2-4)


 聖書には、主が来られるその日を「悟りなさい」、「用意していなさい」、「待ち望んでいなさい」、そして「迫っている」と語る。そして、黙示録講解説教の第二回目は、12節の「語りかける声」から始まる。村上龍氏が司会を務めるテレビインタビュー番組で、「知らないということほど、恐いことはない。」と、しみじみと語っていた。正にこの言葉こそ、私たち自身が知り、人々に伝えねばならないことである。「神の存在を知らないことほど、恐ろしいことはない。」と。だから私たちは、黙示録を学ぶ。

 神様が人間に語りかけた第一声は、「あなたはどこにいるのか?」。食べてはならないと命じられていた実を食べてしまったアダムに呼びかけられた言葉である。そして、人類最初の殺人事件を犯したカインに対しても、「お前の弟アベルは、どこにいるのか?」と、問われている。「どこにいるのか?」これが神に対して罪を犯し、神に自ら背を向けている私たちに語りかけられている言葉である。

 自分の子供がどこかへ行ってしまった。いくら呼んでも応えがない。親ならば、この凍りつくような思いを経験したことがあるだろう。迷子となった自分の子供を必死に探しながら感じる不安、恐れ、焦り。自分の命と引き換えてでも、子供の安全と帰還を願う心。神は、ずっとずっとその思いで、失われた魂を探し続けていてくださっている。この叫び求め続けておられる主の声を聞き、主の方に振り向いた時、私たちは、私たちの真の親である神と出会うことができるのだ。

 聖書には、ヨハネ、ダニエル、パウロ、ペテロなど、人が神と出会った様子が記されている。例えば、ダニエルとヨハネが神と会った時、彼らは死んだように倒れてしまった。絶対的善であり、絶対的聖である神の御姿、罪のある人間は、正視することが出来ないのである。その私たちが生きて、身を起こし、立つことができるのは、ただ御言葉によってのみ。神はそのような私たちに「恐れるな。」と語られている。聖書には、「恐れるな」という言葉は365回登場する。神は毎日私たちに「恐れるな」と励ましていてくださるのだ。

神の顕現
神は今も生きておられる。絶対的、圧倒的な存在でありながら、私たちに声をかけ、助け、導いてくれる方として、声をかけ続けていてくださる。

教会
燭台は聖書中重要なモチーフとされるが、旧約ではその意味が伏せられていた。しかし今、ゼカリヤが見た第五の幻の意味が、黙示録によって解き明かされた。

イエス・キリスト
その燭台の中央に「人」であり、「一度は死んだ」方がいらっしゃるのを知る。教会の真ん中におられる方、それはイエス・キリストである。

現在・過去・未来
黙示録は、1章で「見たこと」、2-3章で「今あること」、そして4章以降の「起ころうとしていること」で構成されている。時空を超越されている神の言葉は、過去を通して現在を、現在を通して未来を知ることが出来る。

書き留める
神様はモーセに用意させた石板に十戒を書き留められた。黙示録では、ヨハネと、この書を読む者に「書き留めよ」と命じられている。


 黙示録を学ぶ目的は、終末に関する詳しい知識を得ることではなく、キリスト者としての根本的な生き方をより聖書的に創り返ることにある。人間というものは、地上のものだけに視線が限定され、周囲の狭い世界しか見なくなると、自ずと自己中心的になってしまう。自分にとって都合のよい人生観、自分と自分の家族の保身だけが全てとなってしまうのである。

 しかし、主の時は必ず来る。それぞれの報いに応じて、神から裁きを受ける時が必ず来るのである。だからその時まで、神の民として造りかえられ続け、神の呼びかける声に応えながら、勝利ある人生を歩んでいこう!(睦美)


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夢か現実か!? マイク横井師

2009年10月04日 | Celebration
 オレゴン州ポートランドという、決して日本人が多くいる場所ではないところから、全米を網羅する日本人教会ネットワークをリードするJIBC教会の牧師、横井師は、かつて描いた夢はすべて叶っていると仰った。「夢」、日本人にとっては儚いものの象徴とされるが、聖書の中の「夢」は確かなものとして記されている。曖昧な「ファンタジー」ではなく、現実を導く「ヴィジョン」なのだ。横井師は、聖書中の4つの夢(=ヴィジョン)を取り上げて、そこに働く神様の確かな力を教えてくださった。


1. 敵に勝つ力 (士師記7:12-15)
わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった。

聖書には、夢が現実となる例がいくつもある。士師記7章では、ギデオン率いるイスラエルを勝利に導くため、一兵士に夢を通して語られた。パンが陣営を崩壊させる、という途轍もない「ファンタジー」に思えるこの夢を「ヴィジョン」と知る時、神様の力が生きる。極少数の軍が数え切れない程の敵を打ち負かし、そこに大勝利、神様の栄光が現れる。夢はその力の起爆剤となる。


2. 希望 (創世記28:11-15)
すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

多くの絵画でも描かれている「ヤコブの梯子」。地上と天国を繋ぐ長い長い階段があり、そこを天使たちが昇り降りしているという、まさに夢幻の風景。しかし救いを得たクリスチャンは、その梯子を見ている。天国へ続く光の階段。それはイエス・キリストの十字架に他ならない。それが希望だ。ヤコブに語られた通り、「わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15)という神様の固い約束とともに。


3. 知恵 (マタイ1:20 & 2:13)
主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」

主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

ヨセフは思慮深く、優しく、強い人だっただろう。身籠ったマリアのことも、あれこれ考えて両家にも周囲にも最も良いと思える方法を決心していた。しかし、ヨセフのもっと素晴らしい点は、人間の知恵が神の知恵に及ばないことを知っていたことだ。自らの、人間の弱さを知り、謙遜にそれを受け入れた。主は、100%神に信頼し切ったマリアの素直さをこよなく愛されたように、ヨセフの従順を喜ばれ、知恵を授けられ、彼とその家族を守られたのだ。


4. 神の御業 (使徒9:11-15)
すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」

初代教会の人々を激しく迫害したパウロ。神様はその彼を大いなる使命のために選ばれた。パウロに幻を与えると同時に、彼に対して決して快く思っていないアナニヤにも幻で語られ、パウロ新生の詰めとされた。神様の手の中にいた二人が、幻を通して先に起こることに対して力を与えられた。人間の小さな知識、経験で、神様の大いなる計画を知ることなどできはない。しかし、その計画を達成するために、人の力、私一人の力が必要とされている、と信じる時、その信仰を持つ時、神様の御業がなる。どんなことも可能な全能主が、小さな人間の力を持ってその偉業を成されようとしているということ。神の国の力は、これに「信頼する」ことから始まるのだ。



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