黙示録講解説教、「恵みの書簡」、「呼びかける声」に続く第三弾、「祈り、改め、燃える!!」2009年最後の礼拝は、黙示録第二章、七つの教会へ宛てた手紙に入って行きます。7つの教会に宛てられた手紙の中の最初の書簡、「エフェソ教会」に宛てられた手紙から神の御言葉を聞きます。
先ず、七つの教会への書簡全体について、少しお話します。黙示録の7つの教会への手紙は、7つの教会すべてが観覧するように宛てられた公同書簡です。黙示録を構成する「7」という数字は、完全数を意味しており、7つの教会とは、地上の存在する全ての教会を指しています。
エフェソ、スミルナ、ペルガモ、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、そしてラオデキアの教会は、当時ヨハネがこの手紙を書いたAD90年頃に、西アジア地方に実際に存在していた教会であり、二千年に亘る教会時代の各時代の教会の象徴であり、そして、今現在存する全ての教会のプロトタイプでもあります。
つまり、Good News Stationもこの7つの教会のいずれかに当てはまるわけです。私たちはこの黙示録を、神様からGood News Stationに宛てられた手紙として、真摯に受け取り、そのメッセージに耳をすませなければなりません。
さて、この7つの書簡は、以下の7つの内容で構成されています。
受信者
7つの書簡は全て、「~の教会にある天使にこう書き送れ。」という文頭で始まっています。各教会には、神の使信を伝える「天使」が存在していることが分かります。
送信者
これらの手紙の差出人であるイエス・キリストの権威の表明です。
霊的状態
イエスは、「わたしは知っている」と、全ての教会の霊的状態を明らかにされます。
賞賛と叱責
イエスは、各教会の霊的状態に対して、賞賛し、叱責されます。7つの教会の内、スミルナとフィラデルフィアは賞賛され、エフェソ、ペルガモ、ティアティラ、サルデスの4つは賞賛と叱責の両方があり、ラオデキアは叱責のみで、一つも誉められていません。このラオデキアの教会が、現代を象徴している教会です。
再臨の勧告
イエスは「わたしは来る」という約束通り、もう一度、この地上に戻って来られます。
“霊”が告げることへの勧告
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」この言葉は、7つの教会への手紙の最後に全て記されています。「耳ある者」とは、神の御旨を求め、聞き従う者のことです。教会にけるクリスチャンの言動・活動は、各自の自由意志に任されているのです。
勝利者への約束
神の御声に聞き従った者(勝利者)への報酬の約束が、最後に記されています。
当時のエフェソは、シリアのアンティオケ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ、地中海地域の三大都市の一つでした。パウロが三年間滞在して造り上げたエフェソ教会は、当時の西アジア地方(現在のトルコ)に点在していた諸教会のヘッドであり、最も成熟した大人の教会であるエフェソ教会に、主はこう語られました。
祈り
イエスは、それぞれの教会の業を全て知っておられ、「耳のある者は聞きなさい」と、勧告しておられます。教会はイエス・キリストの身体であり、私たちはその肢体です。しかし、神は私たちをロボットではなく、自由意志を持った存在としてお創りになられました。私たちの行動は全て、私たちの自由意志に任されているのです。では、どうしたら私たちは神の意志を知り、それに従うことが出来るのでしょうか?それは、「祈り」しかありません。私たちは日々の祈りによって、神との交信を深めて行く必要があります。
改め
人間的に見れば非の打ちどころのないエフェソ教会に対し、イエスは、「初めの愛に立ち返りなさい」と叱責されています。イエスは、スミルナとフィラデルフィア以外の教会に全て、「悔い改め」を求められています。何故なら、愛のない教会、つまり、神の臨在のない教会は、もはや教会ではないからです。私たちもいつか、神の裁きの座に立たされ、「あなたは今までの人生で、どれだけ私の愛を学びましたか?」と、問われる時が来るのです。
燃える
現在の教会と、エフェソ教会に象徴される初代教会との最も大きな違いは何でしょう? それは、「主の再臨を待ち望む熱い心」です。私たちは、イエスと会えるのは死後だと考えていますが、初代教会の人たちは、この地上でイエスと再会することを、燃えるような希望を持って切望していました。常に主イエスと向かい合って生きているアリティ溢れる再臨願望。そんな生き生きとした信仰を、日々の生活において体現化すること。それが、私たちが黙示録を学ぶ目的なのです。(睦美)
メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html
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先ず、七つの教会への書簡全体について、少しお話します。黙示録の7つの教会への手紙は、7つの教会すべてが観覧するように宛てられた公同書簡です。黙示録を構成する「7」という数字は、完全数を意味しており、7つの教会とは、地上の存在する全ての教会を指しています。
エフェソ、スミルナ、ペルガモ、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、そしてラオデキアの教会は、当時ヨハネがこの手紙を書いたAD90年頃に、西アジア地方に実際に存在していた教会であり、二千年に亘る教会時代の各時代の教会の象徴であり、そして、今現在存する全ての教会のプロトタイプでもあります。
つまり、Good News Stationもこの7つの教会のいずれかに当てはまるわけです。私たちはこの黙示録を、神様からGood News Stationに宛てられた手紙として、真摯に受け取り、そのメッセージに耳をすませなければなりません。
さて、この7つの書簡は、以下の7つの内容で構成されています。
受信者
7つの書簡は全て、「~の教会にある天使にこう書き送れ。」という文頭で始まっています。各教会には、神の使信を伝える「天使」が存在していることが分かります。
送信者
これらの手紙の差出人であるイエス・キリストの権威の表明です。
霊的状態
イエスは、「わたしは知っている」と、全ての教会の霊的状態を明らかにされます。
賞賛と叱責
イエスは、各教会の霊的状態に対して、賞賛し、叱責されます。7つの教会の内、スミルナとフィラデルフィアは賞賛され、エフェソ、ペルガモ、ティアティラ、サルデスの4つは賞賛と叱責の両方があり、ラオデキアは叱責のみで、一つも誉められていません。このラオデキアの教会が、現代を象徴している教会です。
再臨の勧告
イエスは「わたしは来る」という約束通り、もう一度、この地上に戻って来られます。
“霊”が告げることへの勧告
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」この言葉は、7つの教会への手紙の最後に全て記されています。「耳ある者」とは、神の御旨を求め、聞き従う者のことです。教会にけるクリスチャンの言動・活動は、各自の自由意志に任されているのです。
勝利者への約束
神の御声に聞き従った者(勝利者)への報酬の約束が、最後に記されています。
当時のエフェソは、シリアのアンティオケ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ、地中海地域の三大都市の一つでした。パウロが三年間滞在して造り上げたエフェソ教会は、当時の西アジア地方(現在のトルコ)に点在していた諸教会のヘッドであり、最も成熟した大人の教会であるエフェソ教会に、主はこう語られました。
祈り
イエスは、それぞれの教会の業を全て知っておられ、「耳のある者は聞きなさい」と、勧告しておられます。教会はイエス・キリストの身体であり、私たちはその肢体です。しかし、神は私たちをロボットではなく、自由意志を持った存在としてお創りになられました。私たちの行動は全て、私たちの自由意志に任されているのです。では、どうしたら私たちは神の意志を知り、それに従うことが出来るのでしょうか?それは、「祈り」しかありません。私たちは日々の祈りによって、神との交信を深めて行く必要があります。
改め
人間的に見れば非の打ちどころのないエフェソ教会に対し、イエスは、「初めの愛に立ち返りなさい」と叱責されています。イエスは、スミルナとフィラデルフィア以外の教会に全て、「悔い改め」を求められています。何故なら、愛のない教会、つまり、神の臨在のない教会は、もはや教会ではないからです。私たちもいつか、神の裁きの座に立たされ、「あなたは今までの人生で、どれだけ私の愛を学びましたか?」と、問われる時が来るのです。
燃える
現在の教会と、エフェソ教会に象徴される初代教会との最も大きな違いは何でしょう? それは、「主の再臨を待ち望む熱い心」です。私たちは、イエスと会えるのは死後だと考えていますが、初代教会の人たちは、この地上でイエスと再会することを、燃えるような希望を持って切望していました。常に主イエスと向かい合って生きているアリティ溢れる再臨願望。そんな生き生きとした信仰を、日々の生活において体現化すること。それが、私たちが黙示録を学ぶ目的なのです。(睦美)
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