日本のTVドキュメンタリー番組の調べでは、あのクリスチャン1%以下の日本であっても、大半の人がイエス・キリストにポジティブなイメージを持っているそうだ。しかしイエス様に従っているはずのクリスチャンに対しては、大半の人がネガティブなイメージを持っている。世間に根付く教会版3K: “カタイ”、“クライ”、“キビシイ”、おまけに“クルシイ”も加わって四重苦に縛られた日本のクリスチャン事情をそこにを見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。(ヨハネ8:36)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(フィリピ4:4)
教会はこれら御言葉の実践により、自由と感謝と喜びに満ち溢れるところのはずだ。しかし何故自由がない?解放されていない?喜んでいないのだろう?「善きサマリア人」のたとえ話のあるルカ10章から、
『キリスト者のベース』について3点を語られた。
「わたしの隣人とはだれですか?」-サマリア人の喩えの前、律法の専門家が尋ねたこの質問にフォーカスして考えると、隣人愛の実施に結論づいてしまう。しかし、本質はここにはない。彼がその前に問うたのは、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」=「どうしたら天国へ行けますか?」ということだ。以前のメッセージに
『弟子になり損ねた人々』があるが、それは前章に書かれており、当然今回の話の伏線となる。
ルカ9章の弟子志望の人にも、また10章前半にある遣わした72人にも、イエス様が仰ったことを厳しすぎると受け取りがちだ。そうではない。イエス様は、
「福音を伝えるには身軽でなければならない。」と語れているのだ。神様を最優先するには、今ある環境下で囚われているものから解放されるべきだと。
次にたとえ話の直前、当の律法専門家が怒ったイエス様の祈り、「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」ここにある「幼子」の理解がベースの2番目。
イエス様は何度か「幼子」「子供」の心を取り上げられているが、これはただ素直、従順の意味ではない。イエス様がこの世にいらっしゃった二千年前の認識を知って読むこと、これは聖書理解に欠かすことはできない。当時「幼子」は「取るに足らない者」「使えない者」「未熟者」を意味した。それではどうなるか。
「自分は取るに足らないものと認めて、神様の愛を受け取ること」イエス様の弟子達も、社会の底辺にいたようなゴロツキのような人々だった。そんな彼らが主の栄光を現していったのだ。これが神様の御業であり、大いなる恵みだ。
そして、とうとう「善きサマリア人」に至る。難所と呼ばれたエリコへの道で、強盗に襲われた行き倒れのユダヤ人を助けたサマリア人。その前に通りかかった祭司もレビ人も、十分に神様の教えを知っていたはずにも拘らず助けることはせず、敵であるサマリア人が介抱し、自分のロバに乗せて運び、宿賃などを払ってやって助けてあげたというたとえ話。ここでイエス様は何を語られたかったことを、キリスト者はしっかりと受け取らなければならない。
強烈な対照がある。強盗は奪い、サマリア人は惜しみなく与えた。強盗が傷つけ、サマリア人は介抱した。祭司やレビ人が行き過ぎたが、サマリア人は近寄った。サマリア人が行ったのは、人間には到底不可能な徹底的な隣人愛。私たちはサマリア人になれない。なり得ない。だから?だからイエス様が来てくださった。なし得ない十字架の苦しみを代わりに受け、私たちを癒すために。助けるために。イエス様は、神様に逆らい、離れ去り、その結果罪にまみれて倒れている私たちを見捨てることはなさらない。決して通り過ぎることはないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
答えは正しい。しかし答えを知っても、命を得るためにそれを実行することができない。だから命を得るために、イエス様に従おう。続くマリアとマルタの説話を通して、イエス様が語られる。これがもう一つの答え、
「まず御言葉を聞くこと。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
主はお答えになった。「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」