Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

神の時 エフェソ2:8-10

2010年08月29日 | Celebration



■人生は自分のためにあるのではない
 「人生は自分のためにある」と考えて生きている人は、必ず人生に失望し、腹を立てるようになる。何故なら、世の中は自分中心に回っているわけではないので、人生がその人の思い通りにはならなくて当然だから。「世界は私のためにある」と思って生きている人は、必ず世界に対して苛立ってくる。もし、その人が苛立っていないとするなら、その人に巻き込まれている周りの人たちが苛立っている。

 聖書は私たちに、「いつも喜んでいなさい!」「どんなことにも感謝しなさい!」と教えている。折角この世に生まれて来たのだから、私たちは人生に、社会に、そして人や自分に対しても苛立つことなく。「この世に生まれて来て良かった!神様ありがとう!! みんなありがとう!!」 と明確に言える人生でありたいものである。ところが、そのように言える人は10人1人しかいないのだ。人間には大きく以下の4つのタイプがいるが、自己実現が可能な人は最後の4番目の人だけである。

1) 人の話しを聞いていない人(Ⅰ列王16:29-22:4)
 (アハブ王は、エリアが活躍していた頃の北イスラエル王国7代目の王で、妻イゼベルに唆せれて、最も悪政を行なった人物)

2) 聞くだけで終わる人 (エゼキエル33:30-31)

3) 聞いて行なう人が途中でやめてしまう人 (Ⅱ歴代14-16)
(アサ王は、南ユダ王国の3代目の王で、「生涯を通して主と一つであった」とまで言われながら、晩年は外国の力に頼り、最後まで主に信頼することなく死んだ)

4) 聞いて最後まで行う人 (ヨセフ、モーセ、パウロ)


■幸福な人生とは自分に与えられた使命に生きること
 人には一人一人神から与えられた使命があり、その使命はその人の適正に添っている。世には、同じものを切るという仕事においても、カッター役の人もいれば、ハサミ役の人もいる。同じ者をくっつけるにしても、ノリ役の人もいれば、テープ役の人もいる。テープ役の人はテープの必要性に添って用いられる時に初めてその能力を発揮することが出来るが、ハサミ役の人がカッターの役割をしていると、当然ストレスが生じる。

 つまり、人が幸福な人生を生きるためには、自分の使命を自覚することから始まる。しかし、自分の使命を自覚するには、自分が何者であるのかということ知る必要がある。人は自分本来の人生を生きる前に、入念な心の準備期間が必要である。何故なら、目的遂行のためには、更なる忍耐、努力、節制が要求されるからである。

 モーセが知的肉体共ピークで血気盛んな時に、神はモーセを用いられなかった。彼が失敗を悔い改め、真のリーダーとなるためには、そしてイスラエルの民が、神が示した地に辿り着くためには、実に40年間という歳月が必要だった。その理由は、「利己心と戦い」である。ヨセフは10年近く牢獄につながれ、回心後のパウロにも14年間の空白期間があった。その間、彼らは自我を神に一つ一つ削られて行ったのである。

 イエスが伝道活動に入る前、40日間荒野でサタンの誘惑を受けられた。それは、「石をパンに変えてみろ」、「神殿の上から飛び降りてみろ」、「世の中のものを何でもやる」の3つであった(マタイ4:1-11)。これは何を意味しているのか?神であるイエスにモラトリアム期間など必要ない。しかし、イエスは私たちと同じレベルにまで降りて来てくださり、私たちが成すべきことを身をもって教えてくださった。私たちが自分本来の仕事に入る前に成すべき入念な心の準備とは、「利己心と戦い」なのである。


わたしたちは神に造られたもの(作品)であり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エペソ2:10) 


人間は神の最高傑作 (わたしたちは神に造られたもの/作品)
 この「作品」という言葉は、ギリシャ語で「ポイエーマ」と言いポエム(詩)の原語。当時の社会では、誰かの働きの結果に生み出されたものを「ポイエーマ」と呼んだ。例えば、誰かが家を建てれば、その家はそれを建てた人の「ポイエーマ」。つまりここで、「私たちは神のポイエーマだ」と言う時、そこに強調されているのは、私達人間が、他の誰の働きの結果でもない、神の働きの結果に生み出されたものであるということ。

 誰かが作ったものを表す「ポイエーマ」という呼び名はやがて、芸術作品を指すようになった。つまり、画家が描いた絵も、彫刻家が刻んだ彫刻も、小説家が書いた文学作品も「ポイエーマ」。どんな芸術作品にも、作者の愛と精魂が込められている。私たちが「神の作品」であるということには、神が私たちを神の愛の対象として、喜び、慈しむ対象として創造されたという意味が込められている。ある英語訳では、「神の作品」を「God's Masterpiece」と訳している。

 旧約聖書は、詩編、雅歌、哀歌は勿論、ヨブ記や箴言の他、イザヤ、エレミア、12小預言書なども、かなりの部分が詩で構成されている。詩人は心からわき出る言葉を詩に綴る。100行の詩もあれば、1行の詩もあり、自由詩もあれば、俳句のような定例詩もあり、どれ一つとして同じ作品はないが、全て作者の感動から生まれたことについては共通している。創造主である神は、詩人にとって自分が書いた詩が自分の子供のように愛しく、詩にするほど感動を与えるように、神は一人一人の人間を、自分の子供のように愛し、創って下さった。つまり、私たち人間は、神の芸術品なのである。


神の作品には目的がある (神が前もって準備してくださった善い業のため)
 神が私たち人間を造られた目的は、「神が準備した良い行いをすること」と聖書は語る。「良い行い」とは何か?聖書はあえて「良い行い」という言葉を、「行い」と「良い行い」の二つに区別している。何故なら、聖書で「行い」という場合、それは「律法行為」を指すからである。当時の律法学者たちは、聖書から様々な規則規定を勝手に作りだし、それを寸分違わず守ることが、救いの道だと教えていた。つまり、その動機は、自分の救いである。

 しかし、この「良い行いに歩む」の「歩む」は、4章1説にある「招きにふさわしく歩み」と同じく、「日常生活をする」という意味。つまり、神が「私たちのために備えておられる良い行い」とは、救われるために行なう特別な善行や修行のことではなく、神に信頼し、神を愛し、神のために生きる日々の生活のことである。私たちは行ないによって、救われたのではないが、神は、救われた私たちは良い行ないをすると、神は言われる。そしてその良い行い、つまり、私たち歩むベきクリスチャン・ライフは、神があらかじめ備えておられるのである。


人はこの世で愛を実践するためにつくられた (キリスト・イエスにおいて造られた)
 先日、十数人の日本人女性がいたある家庭集会で、「自分の幸せを求めて結婚する人は不幸になる」と言うと、その時に非常に興味深い反応があった。独身女性は皆、驚いたように固まり、既婚者女性は皆、(中には涙を浮かべて)深く頷いていたからである。なぜ幸せにしてもらおうと思って結婚すると不幸になるのか?それは、相手に対して、自分を幸せにする義務を負わせるという生き方になってしまうからである。

 幸せにしなければならない義務を負っている相手が、自分が考える幸せにしてくれないと、必ず不満や怒りが出てくる。また、幸せにしてくれても、それは当然だと言う態度になる。人は私の幸福のために存在しているのだという不遜な態度は、人を支配しようとする態度となって現れる。そして人は、自分を支配しようとする人から、離れて行きたくなるものなのである。

 「神の御心」とはただ一つ、全ての人々の幸福、全ての人の魂の救いにある。それが、キリストの十字架と復活に凝縮されている。「国のため、家のため、あなたのためなら私が死にます」このリーダーのために僕が死ぬのがこの世の中。しかし、「私が死ぬから、お前は生きなさい」と、僕のためにリーダーが死んだのがキリスト教である。神はそのキリストに倣い、AさんはBさんのために生き、BさんはAさんのために生きることによって、AさんとBさん、そして全体が幸福になるように創られたのである。


人生に必要なもの全てを備えて下さっている神に信頼して生きる (善い業を行って歩む)
 人生は自分の幸せ、自分の願望、自分の満足のためにあると考えている間は、真の幸せは実現しない。それは、一時的に実現したとしても、決して長くは続かない。それは相手が悪かったからではなく、その人の人生に対する前提が間違っているのだ。

 真理は、「自分が人生に何を期待するか」ではなく、「人生が自分に何を期待しているのか」である。人間若い時は、多かれ少なかれモラトリアムの時期を通るが、自分にしか目に向けていない内は、決して答えを見付けることは出来ない。人は神なき人生観に馴らされてしまっているが故に、神がいないままで幸せになれる道を必死に見つけ出そうとしているが、神なきままでそれは不可能である。

 クリスチャンは神の僕である。この僕(パイス)という言葉はギリシア語で、「僕」の他に「子供」という意味もあり、主人に依存して生きている存在という意味である。親が子供に金を渡していないのに、お使いを頼んだりすることはない。僕が主人に仕事を依頼された場合、仕事に必要なものを揃える義務は、僕にはなく主人にあるのである。

 自分は世のため人のために何かを出来るような人間ではない。自分のことを小さいと思っている人が多いかも知れない。しかし、神の計画に参加する人生の結末は実に偉大なのである。キリスト者とは、神の全人類計画という目的遂行のために「選択」され、「創り変えられた者なのである。この神に信頼して生きて行こう!




メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!



GNSのメインページはこちら!

命 Ⅰヨハネ1:1-4

2010年08月22日 | Celebration
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。― この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。― (Ⅰヨハネ1:1-2)

「いのちは、どこにあるの?」
「心臓はいのちじゃないよ」
「いのちは目に見えないけど、大切なものだよね」
「友情や、愛情や、お母さんの声みたいに」
「見えないものの中に、大切なものがあるんだよ」
「いのちは、君たちがこれから世の中で何かをするために与えられている時間のことなんだよ」
「だから、いのちは大切なことに使わなきゃいけないんだよ」

 聖路加病院の日野原先生が、生涯の使命として小学生に教えている「いのちの授業」で語られている「命」についての言葉です。先生は、命を「あなたにしかできない使命のために与えられた時間だ」と仰っています。「命」について考えたことがありますか。命とは何でしょうか。日野原先生の仰ることが、すべての人にとって適当な意味ではなく、それぞれがそれぞれに知っている「命」の意味があるはずです。

 日野原先生の仰るような「時間」だと思うかもしれませんし、心臓が鼓動するという機能的な事実を第一に思うかもしれません。間違いないことは、「命」は今ここにいらっしゃる方々誰もが、与えられて持っているということです。そして、「命」は何よりも大切なものです。「一番欲しいものを言ってごらん。」と言われ、お金や成功、友人や恋人、名誉、知識、楽しみ、何を願っても、それは「命」があるという前提です。

 「一番欲しいもの」は「命」であるはずが、日常生活の中でその大切さを忘れ、命が危険にさらされることなどないと思い込んでいます。あまりに平和で、あまりに無関係で、あまりに当然と思っているがために。しかし、その命を生きること、また命を失うことに真っ向から直面しなければならない時が、人間には必ず訪れます。昔からご病気とは縁が薄く、命の危険にまったく気を留めなかった私に「生きること」を教えてくださった方々がいます。そして、私は今、生きています。

 ゆう子さんは、私の大切なお友達です。かつて一緒に働いていた職場では上司としていろいろと教えてくださり、またプライベートでも独身一人身の私をいつも気遣い、お家に呼んでご飯を食べさせてくれたり、お泊りさせてくれたり、実際的にも精神的にもケアしてくれる、アメリカ生活のお姉さんのような存在です。一緒に働いていた旅行会社が、9-11同時テロの影響でクローズしてしまった時も、彼女自身が再就職を探すと同時に、私のことも気にして、あちらこちらを紹介してくれました。

 嬉しいことを共に喜び、苦しいことを共に苦しむ、そんな家族のような関係をもう10年以上持たせていただいています。その間でも2002年からの数年間は、私が「いのちの授業 ゆう子バージョン」を体験学習させていただいた貴重な時間です。9-11同時テロ後まもなくの2002年、ゆう子さんは悪性リンパ線腫と診断されました。病院で適当な治療をしなければ、余命2年とはっきり告げられました。

 悪性リンパ線種は、少し前になりますが、いかりや長介さんが亡くなったご病気です。リンパ液の癌という原発巣が特定しにくいために手術ができず、治療が難しい病気とされています。ゆう子さんの癌も、切って取り除くことはできない状態にありました。彼女は幼い頃にお母様を亡くされて寂しい思いをしていらっしゃり、病気を診断された頃に7歳くらいだった彼女の子供には決してそんな思いをさせたくないと、懸命に病気と戦いました。病院に縛られ、大量の薬に頼るような治療法ではなく、体に負担が少なくて通常の生活を続けられる自然療法をいろいろと調べ、試しました。

 びわの葉療法、菜食主義、化学薬品を含まない生薬、コロンセラピー、酵素摂取など、最新の文献を読んでは問い合わせをし、有効と考えられる療法を熱心に勉強して取り入れました。その当時、私もフルタイムの職に就いておらず、時間があったので、まずはゆう子さんの病気が治ることを目標にして、調べたり励ましたり、時には一緒に療法を受けたりして彼女の闘病生活に付き添う生活でした。

 ゆう子さんは元々パワフルな関西人で、闘病中も基本的にとってもポジティブで、一時は腹水が溜まって臨月のようなお腹をしていても、「妊娠していた時はもっと大きかったよ~。」と言いながら歩き回り、「生きてやる!」という意志を強くしっかりと持っていました。でも、そんな元気な彼女でも、時には気弱になり、励ましを必要とします。「命」に真剣に直面していれば、支えの言葉、支える人が欲しくなるのは当然です。

 そんな時、私は彼女のそばにいることができました。ゆう子さんの病気との戦いを励まし、サポートすることができました。そして、彼女の病が癒されるを見ました。決して望んで体験できることではありません。ゆう子さんとの関係において、病気との闘いと癒しは、一生忘れることのできない、かけがえのない時間です。このことを通し、過去病気という病気をしたことがなく、「命」について考えていなかった私が、「命」の意味を考え始める機会となったのです。

 もうひとつ、時期は前後するのですが、今度は私のことをお話しましょう。頑丈とも言える丈夫な私ですが、「心が死ぬ」ような思いを味わったことがあります。私は、海外で仕事がしたくてアメリカに来ることを決断しました。日本ではない「外国」での生活は小さな子供の頃からの夢でした。夢として抱き続けた憧れが私をアメリカへ駆り立てたことは事実ですが、実際にアメリカに来ることができるようになったのは、ある方のお陰でした。

 ロサンゼルス在住のその人は、日本の旅行会社でOLをしていた若かりし私に、彼自身の渡米経験、アメリカでの生活を教えてくれ、私がアメリカへ来るための準備を整えてくれました。当時26歳だった私は、海外で住むならこれがラストチャンス!今決断しなければもう私は一生日本で平々凡々と生きるしかないぞ!と追い迫られる思いはありましたが、それまでの四半世紀、ずっと親元で暮らし、決してお金持ちな家ではないにしても、金銭的にも精神的にも十分与えられ、不自由ない生活をしていましたから、一人でそこから外の世界へ飛び立つのはかなりの決心が必要でした。

 だから、私の新生活のために骨折ってくださったその方への強い思いがなければ、私はアメリカに来れなかったはずです。その人のことを尊敬していました。渡米を決めてからは、当時はメールなんて便利なものはないので、高い国際電話代を費やして頻繁に連絡し、その人が日本に来た時はわざわざ出向いて相談に伺いました。若い頃の、何の根拠もない思い込みって恐いもので、いつの間にか私が思い描く先には、その人とのアメリカでの結婚生活がありました。

 日本に一時帰国していた彼が、ロサンゼルスに帰るというその日に合わせて、私もロサンゼルスへ移ることにしました。私のそんな独りよがりの馬鹿げた思い込みは誰にも伝えず、「仕事をしたい、海外に住みたい」という表面的第一目的だけを強調して家族を説得し、家族は娘の夢のためなら、と涙を呑んで川村家一族総出で名古屋空港までお見送りに来てくれました。出発のその日、別れの悲しさはあるにしても、私はバラ色の想像が現実になることを夢見て、名古屋から成田まで飛びました。

 そして成田空港で、婚約者と一緒にいるその人にご挨拶する羽目になったのです。「絶望」とはこういうことか、と期待に胸膨らませて名古屋空港を飛び立ったほんの数時間後に思い知りました。ようやく手に入ろうとしていた素晴らしい夢と思っていたものが、まったく違う思ってもいなかった酷い現実で、目の前に現れたような感じでした。

 それからしばらくのことは、あまりのショックでほとんど記憶にありません。ロサンゼルス到着後、何とか手配していたウィークリーアパートへたどり着きましたが、もう自分自身、どうしたらよいかわかりません。予定していたバラ色の将来設計は、始まるか始まらないかのうちに無残にも砕け散ったのですから。子供の頃から憧れていた海外生活は、こんなお先真っ暗状態で始まりました。

 誰かに相談しなかったの?その人には何も言わなかったの?皆さん、不思議に思われるかもしれません。私自身、今はそのあまりの馬鹿さ加減が不思議でなりません。元々友達づきあいが下手で、自分の殻に籠りがちで、心のうちをさらけ出すことができないでいた結果です。この私にとっては悲惨な経験でそれを改善したかと言えば、そうではありませんでした。それからずっと、このことは誰にも語らず、もちろん表面的にはアメリカに来れてハッピーを装い、迷い道をさ迷い続けました。

 時間が経つと、取り合えず普通に戻りましたが、私の心には、楔が刺さったままであるように感じていました。上手く刺されば死んでしまえたのに、致命傷にはならなかった楔。抜けば血があふれて死ぬだろう、と思いながら、自分で抜く勇気はなく、誰かに抜いてもらうつもりもなく、楔を心に刺したまま、少しずつ血が流れて死ぬのかしら?それともいつか自然にふさがるのかしら?と思いながら、この楔の痛みで何となく人間関係に線を引き、体裁だけを整え、私はどうしてここにいるんだろう?とわからないまま、考えることもしないまま、心で血を流しながら歩き続けていました。

 希薄な人間関係を過ごす中、家族同様に受け入れてくれた大切な関係のゆう子さんが病気になり、闘病生活の彼女を励ますため、私は知らずと真理を口にしていました。「明けない夜は来ない。」「山登りは頂上間近が一番厳しい。そこであきらめるか、もう一歩進んで素晴らしい山頂の風景を見るか、どちらを選ぶ?」「きっと上手く行く。私は信じる。」当時はまだ御言葉を知りませんでしたから、私が使った言葉は、聖書の御言葉ではありません。でも後日、聖書にこの御言葉を見ます。


あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)


 この御言葉を知った時、まったく後になってからですが、真理は私に語られていたことを知りました。私がゆう子さんを励ましたいと思って口にした言葉は、私自身が長く苦しんでいた心の癒しのために、神様が私にくださっていたものでした。また、祈りもありました。ゆう子さんが家族のために子供のために生きたい、と思っている切実な心を感じていたので、本来私は楔が刺さった時点で死んだはずだから、その時失わなかった命がまだあるなら、有益な使い方としてゆう子さんにあげたいと思って祈りました。

 今こそこの楔を抜く時とばかりに、勇気を出して祈りました。自分が死ぬから抜くことはできないと思っていたのに、ゆう子さんを生かすためには抜いても構わないと思いました。そして必死に祈る時、全能の神様は必ず応答してくださること、願う以上のことをくださることを知ったのです。楔はなくなり、ゆう子さんの病は癒え、私は生かされたのです。

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。(マタイ 21:22)


 ゆう子さんのリンパ腫はなくなりました。そしてそのことで私は「命」の意味を考えるようになりました。聖書は「命」について語っています。失われた「命」を回復するため、取り戻すために書かれた神様の言葉です。回復しなければならない「命」とはなんだろう?その頃はまだ心に楔がささっていると思い込んでいましたから、それを知りたい一心で聖書を読みました。天地創造の神様はまだわからなくても、「命」は神様が創られるもので、神様の領域に違いありません。

 そしてクリスチャンとして救いを受けることは、「いのちの書」に名を記されることであり、イエス様に信頼すると決めたその時、天の軍勢は喜び歌い、神様は「わたしの愛する子」と呼んでその力と愛を分け与えてくださり、神様との家族関係が回復すると知りました。これまで心に刺さっていた楔も古傷も汚れもすべてきれいになり、まったく新しい自分に完全に変えられて新しい「命」をいただくことも。

 心の楔の存在を知っていながら、気付かないふりをして無視し続けていた私。いつか私を殺してしまうかもしれない、あるいはいつか治るのかも。そんな漠然とした思いを抱き続け、なるがままに任せてていた私は、癌と戦って、命を求めて、とうとう癒されたゆう子さんを見て、私自身が如何に「命」を軽んじていたかと思い知りました。神様がくれた「命」について、もっと知ってもっと考えてもっと真剣に向かい合おうと思ったのです。そんな知りたいと真剣に願う思いで聖書を読み始めて、そして私はクリスチャンになりました。

 聖書は、様々な角度から命の大切さ、命の意味、「生きる」ということを語ります。聖書にある御言葉に触れることで、求めに応じて、真実を少しずつ、少しずつ知らされます。それが、聖書が「命」について語っているということです。2005年1月2日、「命」について神様が語ってくれることを聞こう、神様がここから教えてくれるんだ。そんな思いで聖書を読んだ途端、私の内に「命」の意味が入ったように感じました。わかったと言っても、答えを得た訳ではありません。ただ、ここに答えがあると確信できたのです。実際、今になっても「命」について、日野原先生のような素晴らしい定義付けはできていません。

 しかし、「命」って何?と日々聖書に問い続け、少しずついただく答えの小さなパーツを集めて生きる。そして最後まで集めたパーツを組み合わせると、私の求めただけの真理が形作られる。それがこの次の「命」、天国での「命」を生かします。啓介先生は、聖書66巻各書がステンドグラスの1ピースで、時代も場所も異なるところにあった66ピースを組み合わせたら、イエス・キリストの御姿になりました、とよく話されますが、私の「命」もそれに似たものがあるのです。「命」は成長します。それを大切に思う私の中で、そして大切に思ってくれる周囲の人々の間で。そして成長させてくださる神様の愛の中で。

 さて、「命」についてはまだ私の定義を確認中ですが、「生きる」こと、「死ぬ」ことはもう少しわかったように思います。簡単に言うと、「生きる」ことは関係の継続であり、「死ぬ」ことは関係の断絶です。私は心に傷を受けて、楔を打たれるようなショックなことに遭って心が死んだと思っていましたが、違います。私の心は、最初から死んでいたのです。相手と関係を作ることも、培うことも、育てることもせず、一方的に思いで勝手に傷を負っただけ。「生きる」とは、機能するとは違うのです。

 これは私が決断した直前に、礼拝で語られたことですが、例えば五体満足で健康だけど、「命」を軽んじてテキトーな人生を送っている昔の私みたいな人と、生まれながらに病気で寝たきり生活だけど、毎朝「命」を感謝し、精一杯のできる限りをもって短いかもしれない人生を送る人。やや極端ですが、「命」を生きたのはどちらでしょう?「生きる」とは、与えられた「命」を精一杯使うこと。そして「命」は、関係の中で「生き」、永遠に存在する神様との関係の中でこそ、「生き返り続ける」ことができるのです。それが新しい「命」をいただく、ということです。

 このことは、イエス様の十字架のシーンでも見ることができます。イエス様が十字架に架けられた時、その右と左に二人の強盗が十字架に架けられていました。二人の強盗は、イエス様をののしります。「神なら自分とついでに俺らも救ってみろ!」私も同じでした。心に楔を抱え、自分では何もせずにただ、神様がいるならどうにかしてよ!と文句だけ言っていたようです。しかしその内に、右の強盗はイエス様を神様と知るのです。

 そしてただ、自分のことを思い出してほしい、と願います。この時、神様との関係ができたのです。祈りもしていない、洗礼もしていない、でも、確かな神様との関係です。十字架刑というのは、自分の足で身体を支え続けている間は死なないそうです。支えを失うと、身体がずり落ちて留められた手足の位置から息ができなくなって死に至ります。左の強盗は、必死に自分で自分を支え、死が間近にあっても神様を求めることができませんでした。そして無残にも、無理やり支えられないように足を折られて死にました。

 右の強盗はどうだったでしょうか。私は聖書のこの箇所の意味を知った時、自分の心にあった楔がいつのまにかなくなっていることに気付き、もう楔が私を殺すことはないとわかりました。同じように右の強盗もイエス様から「今日あなたはわたしと共にパラダイスにいるだろう。」の御言葉と共に、十字架も支えも、彼をほんとうの意味で「死」に追いやるものはなかったと思います。彼は、イエス様との信頼関係を得て、「生き返り続ける命」をいただいたのですから。

 人生はたかだか100年程度のものではありません。人間はたった何十年かこの世で生きて終わり、という簡単な存在ではありません。本来、神様によって与えられる「命」は永遠であり、「死」が介入することはなかったのです。目で見えないから、存在を証明できないから、そんな理由で「命」も「神様」も無視しないでください。神様なしに「命」はありません。神様なしに「生きる」ことはありません。目に見える、理解できる現状だけですべてを判断するなら、目に見えない愛も信頼も関係も人生も、何の意味もなくなります。

 失うために得、別れるために出会い、苦しむために愛し、死ぬために生きる人生でしかないからです。私は今、「生きる」ために生きています。もし「生きたい」、「死にたくない」、あるいはかつての私のように「もう死んでるよ」と思っている方がいらっしゃるなら、どうぞ今すぐ神様を求めてください。イエス様を信頼してください。あなたをいつでも見ている神様は、あなたが求めるだけで、今すぐにでも「命」をくださり、あなたの「死」を滅ぼし、「生きる」喜びを体験させてくださいます。(執筆担当:睦美)






メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!



GNSのメインページはこちら!

クリスチャンのABC Ⅰコリント6:12-20

2010年08月15日 | Celebration


 2010年8月10日、管首相が、日韓併合100年を機に、日本国政府としては初めて、韓国に対する公式謝罪を行なった。韓国政府はこの声明を受け、「今後の対応に期待する」と応えた。しかし、この謝罪に対しては、日本、韓国双方共、否定的な意見の方が圧倒的に多い。勿論、これから、日本政府の実質的な対応が問われることになるが、とにもかくにも、戦後65年を経て、クリスチャンである李大統領政権下で、日本の管首相が、このような謝罪を発表したことは非常に大きな意味を持つ。

 何故なら、日本にリバイバルが起こる前に、日本がしておかなければならないことがいくつかあるからなのだ。その一つが、日本が韓国に対して公式謝罪することであった。確かにこのニュースは、私たちにとって、良い知らせであったことには違いない。そしてもう一つ特筆すべきことは、今年の原爆平和式典に、アメリカが初めて始公式参加したことである。これに関しても、式典参加に否定的な意見が圧倒的に多い。

 人にはそれぞれ自分の主張というものを持っている。それは、その人自身の生き方、生きることへの主張である。そしてその背景には、複雑な歴史的要因が絡んでいる。では、クリスチャンの生き方とは何か?それは、様々な歴史的、民族的、時代的要因を超えて、『イエスを主として生きる』ということに要約される。そしてその生き方は、決して複雑なものではなく、実にシンプルな生き方である。

「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。(Ⅰコリント6:12)

 ノン・クリスチャンにとってクリスチャンは、酒を飲まない、煙草も吸わない、日曜はゴルフではなくて教会、所得の十分の一は献金。「何と窮屈な生活であろうか!?」と思われるかも知れない。しかし、クリスチャンは、規則に縛られて生きているのでも、自分勝手に生きているのでも、社会や人に認められるために生きているのでもない。ましてや、過去の過ちや、誰かへの憎しみに囚われて生きているのではない。クリスチャンとは、神の絶対の愛と義の中で生きる、一元に生きている存在である。今日はクリスチャンとしての基本的生き方ABCについてお話しする。


■原爆の恐ろしさを訴え続けたアメリカ人 Joe O'Donnell (1922-2007 8/9)

 この時期になると、多くのメディアが原爆の特集を組むが、彼の名前は日本でも、特にこのアメリカにおいては、ほとんど知られていない。何故なら、彼は原爆の恐ろしさを現地で体験し、原爆の恐ろしさを訴え続けた唯一のアメリカ人の被爆者だからである。

 ジョー・オダネルは、19歳の時、真珠湾攻撃をした日本と戦うために海兵隊に志願した。彼は戦地の状況を記録する写真班に配属され、長崎の原爆の破壊力を記録するために長崎へ送られた。被災地のあまりの凄惨さに衝撃を受けた彼は、軍の命令に反して被爆者の人々の現状を撮影し、その写真を封印した。

 その後彼は、米国文化情報局に勤務したが、長崎滞在中に被爆し、肉体的にも精神的にも病んでしまった。それから45年後の1989年、彼は治療のために訪れたケンタッキーの療養所で、反核のために建てられたキリスト像を見て衝撃を受ける。そのキリスト像には、被爆した子供達の写真や絵が張られていたのだ。そしてその時、「お前も、この核戦争の恐ろしさを人々に伝える義務があるのではないか?」という神の声を聞いたのである。

 それから彼は自分が撮った写真を持ち、35社の出版社を回ったが全て断られた。だが、彼は諦めることなく、写真を人々に公開する機会を探し続けた。そして戦後50年が経過した1995年、遂にスミソニアン博物館での展示会が決定した。ところが、地元の退役軍人たちの激しい反対に遭い、展示会は中止に追い込まれてしまう。

 その後、彼はあらゆるメディアから批判され、嫌がらせの電話や投稿が後を断たず、激しい迫害に曝されることになる。そして、妻からの理解を得られずに離婚をされた。彼は写真が入ったトランクを開けたばかりに、彼の家庭は一気に崩壊してした。「原爆投下はアメリカの正義であり、それによって、戦争犠牲者を減らすことができたのだ」このアメリカ流の正義の前に、オダネル氏はただ一人孤立してしまったのである。しかし、彼はこう言った。

 「誤解しないで欲しい、私はアメリカ人で、アメリカを愛し、アメリカのために戦った。しかし、私はアメリカが犯した過ちを、過ちではなかったということには出来なかった。退役軍人が私のことを理解出来ないのは分かる。しかし、私はこの足で、死の灰の上を歩き、原爆の惨状をこの目で見たのだ。確かに日本軍は、中国や韓国を占領し、酷いことをした。しかし、あの小さな子供たちがいったい何をしたというのだ。戦争に勝つために、アメリカはあの母と子を一緒に殺す必要があったのか。戦争が終わってからずっと私は考え続けてきた。しかし、原爆はやはり間違っていた。それはこれから後100年考えても結論は変わらない。原爆は絶対に間違っている。絶対に。」

 70歳を過ぎた時、彼は写真を日本で公開し、原爆の恐ろしさを、生涯証言し続けた。そして2007年8月9日、長崎の原爆が落とされた同じ日、彼は85歳で昇天した。彼の息子は父親についてこう語った。「父は、本当の平和を目指して一人で戦いました。真の平和は、決して人を殺すことによって実現するものではないのです!」

 人は誰でも失敗する。日本もアメリカも失敗した。そして私たちも。しかし、過去の失敗をいくら後悔したところで何も始まらない。自分の失敗に気付いた時点で、悔い改め、全てのことに神の愛の御手が働いていることを信じて、世のため、人のため、神の御国実現のために努力する人生を、神は愛し、理解してくださるのである。過去の失敗をいくら後悔したところで何も始まらない。私たちはありのままで愛され、救われたのだから、その後は真っ直ぐに前を見て歩けば良いのである。


クリスチャニティーを日本文化に結晶させた千利休 (1522-1591)

 日本文化の結晶と言われる茶道における教えは、『野に咲く花のごとし』である。千利休は、決して「自然のまま」という意味で言ったのではない。野に咲く自然の花の美しさを損なうこがとないように、自然の美を引き出そうとすること。手を加えながらも、自然に咲く花のように輝かせるために必要なことは、心配り、気配り、目配りである。

飛び石のある狭い路地:自分の鎧、罪や虚飾を捨てて、一人一人渡る求道の道
蹲(つくばい):身を聖め、渇くことのない永遠の命の水。
灯篭:暗闇を照らす世の光。(神社仏閣にある飾りではない)
茶室の入り口(にじり口):身を低くして入る狭き門。
茶室内には一切の身分の差はない。(武士も刀を持っては入れない)
定刻30分前には水打ちをして清め、掛け軸には今日の主題を掲げる。
利休は袱紗(ふくさ)を腰に付けて客をもてなした。
お茶を回して飲む作法は、当時の聖餐式におけるぶどう酒の飲み方。
茶道とはキリシタンの聖餐式であり、己を空しくし、人に仕えることを学ぶ場所。
利休の妻(お力)と娘、高弟7人中5人がキリシタン。

 利休がクリスチャンであったという歴史的記述はない。しかし、このような状況証拠からすると、利休がクリスチャンであったことは、否定出来ない事実である。三浦綾子は、利休の子孫である千宗室とのインタビューでに、秀吉が利休を殺害した理由を聞かれ、「それは千利がキリシタンだったからです。」と明確に答えている。実は、千利休の名は、St.Lukeの日本語の音読みなのである。

 一切化粧をしない素肌美人の方もおられるが、上手に化粧をされる人は、化粧の跡を感じさせない、美しく自然な感じを周囲に与える。ありのまま、自然のままとは、決して、何も手をかけてはいけないということではない。3-4歳の子供の可愛さは、言葉に表せない。しかし、どれだけ可愛くても、ずっと3のままでいて欲しいなどと願う親はいない。正常な親なら、子供の成長を願わないはずはない。それと同じように、神は私たちをそのままの姿で愛してくださり、救ってくださった。しかし、そのままでいいなどとは言われていない。神は私たち一人一人の成長を切に願われているのである。つまり、「ありのままでいい」とは、「何もしなくていい」ということではないのである。


戦後の日本を救った賀川豊彦 (1988-1960)

 シュバイッツアー、ガンジーと共に20世紀の三大偉人と評された賀川豊彦は、大正・昭和期にキリスト教精神を実践した牧師兼、社会事業家であり、戦前日本の労働運動、農民運動、生活協同組合運動等において重要な役割を担った人物である。彼の著作、「死線を越えて」は、100万部を売る当時の日本文学界最大のベストセラーとなり、世界13カ国語に翻訳された。その印税10億円は全額、慈善事業に回された。

 1941年4月、賀川は日米開戦を阻止するため、単身渡米してワシントンで米国の政府要人達と話し合いをしている。また、民間人として初めてマッカーサーに会った人物でもある。1955年、賀川はノーベル平和賞の候補者となり、それから幾度も候補になっている。そして彼は、資本主義社会の不平等と、社会主義の排他性と暴力性を真っ向から否定し、家族間においては、互いにどのような経済的配慮が必要なのかという、聖書の基本的な教えに則った「Brotherhood Economics(キリスト教兄弟愛と経済構造)」を提唱した。この教えは、EC設立の基礎概念となっている。

 原爆投下後に参戦したソ連は、戦後の日本を4つに分割して、米、中、英で山分けしようと提案した。しかし、その提案に蒋介石(Chiang Kai-shek)が反対した。それは蒋介石婦人の宋美齢(Madame Chiang Kai-shek 1897-2003)が、未だ戦場の傷跡が生々しい1939年、「私は日本が憎い。だが、日本を滅ぼしてくださいと祈ることは出来ない。何故なら、日本には血の涙を流しながら、中国国民のために祈られているDr.カガワがいるからです!」と、ラジオで演説していたからである。

 宋美齢は、蒋介石との結婚を、最初の妻と愛人と別れ、キリスト教に改宗することを条件とした。実際、結婚後の1929年、蒋介石はメソジストの教会で洗礼を受けている。英語が堪能で弁舌家の彼女は、Ⅱ対戦下でアメリカ対日戦略のアドバイザーとして務めた。彼女は106歳まで生き、2003年、NYで死去した。

 日本分割の危機を救い、現在私たちが恩恵を受けている、国民健康保険や生協などの社会福祉制度の基礎を構築したのが、他ならぬ賀川豊彦である。つまり、戦後の日本を救ったのは、賀川豊彦という神の器が日本に存在していたからである。

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。。(Ⅰコリント6:19)

 グノーシス(Gnosticism/知恵)霊肉二元論とは、初代教会に入り込み、最も教会を悩ませ混乱させた異端の教えである。(コロサイ 2:8-23) 彼らは霊的キリストと、肉体的イエスとは別であり、天地創造の神も、旧約聖書も否定した。このヘレニズム的哲学は、当時の知識人の間ではかなり一般的に普及しており、肉体を持っているのだから、食欲や性欲が起こるのは当然。従って、娼婦とSexしても、それは霊的な信仰とは別に起こっていることなのだから、信仰とは関係がない。

 この考え方は、2千年前の過去の問題ではなく、実は、現代の教会も同じ問題を抱えている。つまり、仕事は仕事、家庭は家庭、教会は教会と、自分の生活の中で別々に考え分けて行動している人は、この霊肉二元論に生きているのであり、当時のグノーシス主義者と基本的には何の変わりもないのである。しかし、聖書は私たちにこう忠告している。「あなた方の体は、聖霊が宿ってくださっている神殿なのです」と。

 神の恵みの元で生きるクリスチャンは、日々の仕事、娯楽、家事、子育て、食事、友人と語り合い等々、全て神の御手の中で行われているという意識を忘れてはいけないのである。賀川豊彦が幾度もノーベル平和賞の候補者となった理由は、彼が単なる平和主義者ではなく、平和実現のためには具体的にどのような政治体制が必要なのか、どのような経済改革をしなければならいのかを終生取り組み続けた功績に対する評価だった。

 「天のお父様、教会を強めて下さい。日本を救って下さい。世界を平和にして下さい。

 これが賀川豊彦の最後の祈りであった。彼は聖書の教えを現実の社会制度に反映させ、実践することに生涯を奉げた人物であった。それは、私たちクリスチャンに課せられた義務でもある。教会を強めることが、日本の救いにつながり、日本が救われることが、神の御国実現につながる。クリスチャンとは、このような神の絶対の中で生きる、一元に生きている存在なのである。

A.ありのままで愛され、救われたのだから、真っ直ぐに前を見て歩く。(全ての要因を超越)
B.「ありのままでいい」とは、「何もしなくていい」ということではない。(絶えず成長)
C.クリスチャンは、何をしていてもクリスチャンでなければならない。(神の絶対の中で生きる)

 この「A当たり前のこと」を、「Bバカになって」、「Cちゃんとやる」!

 これがクリスチャンとしての生き方のベ-スであり、GNSの指針である。(執筆担当:Ako)




GNSのメッセージ(音声)はこのバナーをクリック!



GNSのメインページはこちら!

キリストの中で見出される ピリピ3:5-11

2010年08月08日 | Celebration



 私たちクリスチャンが取り上げるべき、最も重要な問題は、神、霊、罪、愛といった目には見えないもの。一方、世の中の関心語は、お金、異性、ファッション、コンピューターといった、目に見ることが出来る物質的なもの。人々の会話の多くの部分は、流行の映画やレストランやケイタイ等について、あの映画が面白かった、あのレストランが美味しかった、このケイタイは便利だったなどと言う事の情報交換である。自分がいいと感じたものを、友人に勧めたくなるのは、人間の常であり、格好のコミュニ-ションのネタとなるからである。

 物資的なものの王様はお金であり、それが人々の最大の関心ごと。単刀直入に言えば、人が自分の行動を決定する最も大きな要因は、「自分にとって得か損か?」である。何故、人々が日本食の大セールに殺到するのか?それは、自分が得をしたいからである。何故、人は教会に来ないのか?それは、教会に行っても、自分が得することはないと思っているからである。(逆に献金で損1?)

 そこで、「どうしてクリスチャンになったのか?」と人から聞かれ、「クリスチャンになった方が自分にとって得だから」 と答えるクリスチャンはほとんどない。何故か?そこには大きな理由が二つある。一つは、ご利益宗教ではないところが、キリスト教が他の宗教との大きな違いだから。もう一つは、そのような言い方は、不適切・不謹慎であるという観念である。確かにそれは一つの事実ではあるが、それが100%否定されるべきことかと言うと、そうではない。

 つまり、人々に伝道する場合は、「キリストを信じなければ天国に行けないとか、幸せにはなれない」といった否定的なアプローチよりも、「クリスチャンになったら得をする!」といった、クリスチャンになったことの素晴らしさを分かり易く、肯定的なアプローチで伝えた方が、特に未信者に対しては効果的ではないだろうか。何故なら、パウロはこういう言い方をしているのである。

3:5-8:私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、/熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。/しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。/そればかりか、私の主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、私は全てを失いましたが、それらを塵芥と見なしています。

 ここは、パウロが自分のことを自己紹介している珍しい箇所である。彼はタルソ(トルコ東南部沿岸)という当時有名な、商業的に発展した大都市で生まれ育ったディアスポラ(離散したギリシア語を話す)のユダヤ人。彼はローマ市民権を有し、ヘブライ語とギリシア語を話し、双方の文化・習慣にも精通し、当時の律法の最高権威であるガマリエルの元で学んだエリート中のエリートだった。律法命だった彼にとって、クリスチャンは絶対に許すことが出来ない排除すべき存在であり、実際に彼はクリスチャン迫害のリーダーでもあった。

 そんな彼が、ある日突然キリストと出会い、自分がクリスチャンになったことを、「キリストを信じたことが自分にとって真の得であり、それまで自分が得だと思っていたことは、実は全くの損失だった。いや、キリスト以外のものはゴミ同然なのだ!」と、ここで明言しているのである。

 キリスト教がご利益宗教などではないことや、罪の問題は避けて通ることができないことや、十字架の救いの奥深さ等については、信仰を持てば、おのずと分かって来ることである。しかし、それを逆に言えば、信仰を持っていない人にそんなことを言っても、現実的に、ほとんどの場合理解する事が出来ない。家族や友人に、「クリスチャンになるということは、何と素晴らしいことなの!」「何て得なの!」ということを、実体を持って伝えることはとても大切であり、それは、伝道において、とても有効である。


1) 永遠の命がもらえる
使徒4:12:他の誰によっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

 この世の成功哲学や処世術は、人間は必ずいつかは死ぬべき定めにあるという事実と、人間は罪の故に、日々、不安の中で生きて行かなければならないことを、覆い隠そうとしている。この世の如何なる慰めも、如何なる楽しみも、如何なる信念も、決して死に対する不安を超える希望には成り得ないのだ。誰だって死ぬのは怖い。だが、その答えとなる永遠の命に至る道が、聖書に記してある。ところが、情報不足なのか、宗教に対する警戒なのか、人間にとって、最大メリットであるはずの答えが聖書に書いてあるのにも関わらず、誰も聖書を開こうともしない。残念ながら多くの人々には、メリットとは映らない。


2) どんな苦難も益に変えられる
ローマ8:28:神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。


3) 御霊の実が与えられる
ガラテア5:22-23:霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。


4) 真理が悟れるようになる
ヨハネ16:13:真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。


5) 本当の友だちができる
ヨハネ15:13:友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。


6) 祈りが応えられる
ヨハネ16:24:今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。


7) 地上の生活が実りあるものとなる
ヨハネ15:5:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。


3:9-11:キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります/わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、/何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

自分主体から神主体へ(9キリストの内にいる者と認められ:)
新共同:キリストの内にいる者と認められ
口語:キリストの内に自分を見いだすように
新改訳:キリストの中にある者と認められ
NKJ: faith in Christ, the righteousness which is from God by faith;
TEV:faith in Christ, the righteousness that comes from God and is based on faith.

 ここのギリシア語は、「キリストの中で見出される(見付けられる)者となるため」という意味である。つまり、私たちはキリストの中に自分を見出して救われた後は、そのキリストの愛に応えるべく、キリストの中で自分がキリストから見出されるべく、キリストと共に新しい人生を歩む必要がある。旧約のサウルも、新約のサウル(パウロのヘブライ名)も、共に神に選ばれた人物であった。しかし、その後、サウル王は神に背き、パウロは神に従った。つまり、神に召された後の人生も、本人の選択にかかっており、それによって彼らの人生は大きく変わるのである。

聖化から栄化へ (9:信仰に基づいて神から与えられる義)
 私たちクリスチャンは、キリストを信じる信仰によって、神の前で正しい者と認められているが、この世において完成しているわけではない。完全なる人、完全なる教会はこの世には存在しないのである。しかしキリストが再臨され、私たちが天に挙げられる時、私たちは完全なものと変えられる(栄化)。信仰に基づいて神から与えられる完全なる義とは、そういう意味である。

 救われることに関しては、このパウロの例を見ても分かるように、条件は一切ない。ところが、救われたから、洗礼を受けたから、それで終わってしまっている摩訶不思議なクリスチャンが多いのはどういうわけだろうか?それは、結婚して籍は入れたものの、相変わらず独身生活のままというようなものである。結婚したということは、独身生活から夫婦生活に移行したと言うことである。

 この聖化と栄化の違いが分からないと、クリスチャンとなって救われた後も、自分の救いに確信を持つことが出来ず、更に救われるための努力をしてしまい、その結果、この世とあの世の両方に足を突っ込んでいるジレンマを感じつつ、中途半端なクリスチャン生活を送らなければいけなくなってしまうのである。

御霊と共に歩む (10:キリストの苦しみにあずかって)
 伝道というものは、すればするほど、大きなジレンマを覚える。だから「どうせあの人は」とか、「だから日本人は」とつい人を批評したくなる。そころが、それで伝道をやめるのかと言うと、御霊がそれを許されない。それは、キリストがこの世で誤解され、迫害された体験を、私たちが共に担うように導かれるからである。私たちがキリストと共に生きるということは、キリストの死と復活の交わりにあずかるということであり、そのことによって、キリストを霊的に、人格的に、深く知ることができるのである。



礼拝メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!



GNSのメインページはこちら!

キリストの中に見出す コロサイ 1:16

2010年08月01日 | Celebration
■クリスチャンになった経緯

 今から約10年前、私は企業再建の命を受け、日本からサンディエゴに派遣されました。しかし、当初は日本の経営理念と、アメリカ側の現実との間に大きなギャップがあり、いったいどうしたらいいのか分かりませんでした。と同時に、私の家族もこちらの生活に馴染むために私の助けを必要としていました。このような公私共々多忙を極める日々に対するフラストレーションが極限に達し、仕事と趣味と家庭関係の間の溝がどんどん大きくなって行きました。

 そのような問題を契機に、たまたま知り合いだった牧師先生の数ヶ月間にわたる家庭訪問を受け、半ば強制的に「イエス・キリストを信じますか?」と言われ、その時は否定する理由も左程なかったので、私は「ハイ」と返事しました。この時に、子供を交え家族全員が洗礼を受けました。今思い出しますと、成り行き上、クリスチャンになったという感じもするのですが、むしろこれは、神様の明らかなご計画であったことを、私は後になって悟りました。

 クリスチャンになる一年程前、あるアメリカ人から、「あなたはイエス・キリストを信じますか?天国に行けると思いますか?」と問われたことがありました。その時、私は特に悪いことをしているという自覚はありませんでしたので、「ハイ、行けると思います」と答えました。ところが、実際に聖書を読み出すと、如何に自分が罪人であるかを認識せざるを得ない思いにさせられました。そのような大きな意識変革を与えられたにも拘わらず、それでも私は他の人と比較して、自分はまだましな方だと自分を擁護し、正当化していたのです。


クリスチャンとしての試練

 その後、家族ぐるみの教会活動が始まり、それなりに家庭内の平和が保たれていた時期もあったのですが、それでもお金のこと、自分の趣味の事等で、妻とはしょっちゅう喧嘩が絶えませんでした。そんなある日、あることを契機に妻と子供が家を出て行ってしまったのです。日本流に言えば、“愛想を尽かされ見捨てられた”といったところでしょうか。昔の演歌の“逃げた女房にゃ未練はないが~”という歌を思い出し、まさか自分がそのようなことになるとは!? と愕然としました。それは、家族にも、神様にも、全てに見捨てられた正にどん底の状態でした。

 妻と子供が家を出て行った夜、私は胸がとても苦しくなり、自分ではどうすることも出来ない状態になってしまいました。この時に、精神的なショックを受けて自分でどうすることも出来ない人たちの話しを思い出し、正に今の自分がそうなのだと自覚しました。痛くて苦しくて、自分ではどうすることも出来ないのですから、ひたすら神様に泣き叫ぶように祈るしか他はありません。しかし、そうする時、私の胸の痛みは不思議と取り去られました。

 そして数年後、結局私と妻とは離婚しました。同居中喧嘩は絶えなかったものの、私は妻との結婚が、間違いでなかったことを信じていましたし、それでも尚、妻を愛している思いを持っていました。ところが、弁護士を通しての会話は、世間でよく言われるような、正に泥試合そのもの。普通に通るはずの話が、逆に全てがややこしくなり、その結果、真意が伝わらないまま、莫大な時間とお金を要すことになったのです。

 この時に、弁護士とは、法の傘をかぶったヤクザであることを実感しました。聖書には、この世の中のお金は、神様のものであると書いてあるのに、何でこんなヤクザが金を得ることを神様が認めておられるのか?私は納得出来ませんでした。そして、最終裁判の前に、“もう一度やり直すことは出来ないだろうか”と、弁護士を通して申し入れました。ところが、妻側には、その時の私の真意は全く伝わっておらず、逆にそれが曲げらた形で伝えられていたのです。その事実を後で知った時は、もう本当にショックでした。その間の精神的、金銭的打撃は想像を絶し、私はもう一刻でも早く終わって欲しいという一念でした。

 この間、私は自分に平安を与えてくれる教会を探しました。アメリカでは日本語の教会は限られています。アメリカの教会は当然英語ですし、礼拝に出ても何となく馴染めません。それで、いつも寂しさと不安と孤独感でさいなまれていました。今から思うと、このような不安な状況で、よく日常生活と仕事が継続出来ていたなと、自分でも感心するぐらいでした。この時期の私は、自分の不安を取り除いて欲しいという、困った時の神頼り的な気持ちが強く、真の意味での信仰と、自分本来の目的を理解していませんでした。


■神様の真の目的

 子供は別れた妻と一緒に暮らしていたのですが、何かある毎に子供は私に助けを求めて来ていました。その都度、私に出来ることは、精一杯手助けをしました。ところが、あることをきっかけに、私は子供と一緒に住むことになりました。育ち盛りの数年間の空白のギャップは大きく、久しぶりの子供との生活は、そう簡単には行きません。子供の生活態度がとても気になってしまうのです。「あれほど言っておいたのに!」という口論の末、遂に子供は泣いて家を出て行ってしまいました。今度私は子供に逃げられてしまったのです。

 この時も私にとってはショックでした。クリスチャンであるはずなのに、自分の感情をコントロールすることが出来ない。私は本当にクリスチャンなのだろうか?たまたま人から言われて洗礼の儀式を受けただけではないのか?寂しくて頼るものがなかったから、教会に行っただけのことではないのか?という疑問が沸いてきました。ちょうどこの時、私は癌検査のために入院することになり、その際に田中牧師夫妻から勧められた本を読む機会が与えられました。そうして私は、自分が存在している理由を明確に悟らされたのです。

 まず神様を愛せよ。次に家族と隣人を愛せよ。ということを、全く一から認識させられました。でもこの時は、それでも未だ神様のことがよく理解出来ない。何故、キリストが十字架に架かり、自分のために死なれたのか?何故、三日後に復活されたのか?いったい何なのか!? 分からん!分からん!と、何度も何度も文句を言わせて頂きました。しかし、そのような神様との赤裸々な対話の中で、私は私のために存在しているのではない。私は神様のために創られたのであって、神様を喜ばせ、愛するために存在しているのだと言うことに気付かされたのです。

 この入院中の数日間は、もう涙が止まらず、私の心に完全に聖霊様がいてくださったことを完全に実感することが出来ました。そして退院後の1ヶ月は、更に大きなPowerが与えらたのですが、それと同時に悪魔の攻撃も凄まじく、毎晩悪夢の連続で、私はお尻まで悪霊に咬まれたぐらいでした。この事象は、私の真のクリスチャンとしての成長を断固として阻止しようとしている悪魔の仕業であることがはっきりと分かりました。また、それは反面、苦難や試練を通して、私がクリスチャンとして大きく成長する機会を与えられたいうことでもあったと思います。余談ですが、私はこの時期、よく職場で「Too-High!!」 と言われていました。

 その後も子供の問題、職場での問題、次から次へと問題が続々と出て来ています。だけれども、以前と全く違うことは、今の自分の存在は、自分のためではなく、神様に喜んでいただくために何をすべきか、神様が私に与えてくださった使命を忠実に行なうためには、何をすべきかという観点に立って、全ての物事を見ることが出来るようになったことです。

 どんな時でも、常に聖霊様を呼び求め、問題の解決をお尋ねし、祈りをかかさず、感謝を忘れず、礼拝を通じて神様の御心を求めること。それらのことを実践することで、全ての問題が一つ一つ片付いて行きました。全ての生活の中で、四六時中イエス様により頼むことが如何に大切なことか。礼拝を通じ、毎日の聖書通読を通じ、正確に理解し、信じ、日常生活、職場の中で、神様の御心を実践して行くことが、如何に重要であるかを悟らされています。

■神様に対する絶対論

イエス様を乗せた船が沖に漕ぎ出したとき、嵐になり、イエス様は、ぐっすり眠っておられたが、弟子達の何人かは、漁師であったにもかかわらず、イエス様に助けを求め、イエス様は、風と湖を叱り黙れ、静まれと言われ、なぎとなった。イエス様は、弟子達に向かって、何故怖がるのか、まだ信じないのかと言われました。(マルコ4:34-41)

 漁師であるはずの弟子達が、何故、嵐しを怖がったのでしょうか?これは、事態が自分の経験や知識を超えてしまったため、恐れが生じたからです。これは、自分の知識や経験が判断基準・価値基準であり、イエス様を信じていると言いながら、あくまで、まだ自分中心に生きているという訓戒です。

 日々の生活や仕事の中で、不安、恐れ、怒り等々、様々な欲にかられます。今でもついつい自分の価値基準で判断してしまうのが常ですが、それでは、聖書の内容とイエス様の存在を頭で知っているだけということでしかなく、真にイエス様を信じているクリスチャンという領域からすれば、程遠いレベルです。

 私達クリスチャンは、日頃の生活、仕事を通じ、聖霊様を常に呼び求め、神様の意図を自分の生活に、仕事に実践していくことを求められています。全て自分の考え、発言、行動は、聖霊様のドライビングフォースがあってなされるべきなのです。人間は、神様によって創られたにも拘わらず、その認識が欠如し、自分のペースで生活しているのが現状です。自分ではなく、神様に焦点をあてることが、如何に人間の生活にとって重要であるかを、私達は霊で捉える必要があります。

 自分の過去を他の人と比べた時、何事もなく平和暮らしている人と比べれば、「何と大変な人生か!?」となるでしょうし、私などよりもっと過酷な経験をしている人達と比べれば、何だそれぐらい!?」と思われるでしょう。しかし、人生は決して比較論ではなく、神様に対する絶対論であると私は思います。神様は、私達に様々な試練を通して、神様の真理の理解と私達に対する使命を確認されておられます。この真理を、経験を、周辺の人たちに自分の生活や仕事を通じて広め伝えて行くことが、私の使命であります。

一切のことがキリストのうちに始まり、キリストの中にその目的を見出すのです。人生は、私達が中心ではなく、神様のためにあるのです。(コロサイ1:16)




礼拝メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!



GNSのメインページはこちら!