■人生は自分のためにあるのではない
「人生は自分のためにある」と考えて生きている人は、必ず人生に失望し、腹を立てるようになる。何故なら、世の中は自分中心に回っているわけではないので、人生がその人の思い通りにはならなくて当然だから。「世界は私のためにある」と思って生きている人は、必ず世界に対して苛立ってくる。もし、その人が苛立っていないとするなら、その人に巻き込まれている周りの人たちが苛立っている。
聖書は私たちに、「いつも喜んでいなさい!」「どんなことにも感謝しなさい!」と教えている。折角この世に生まれて来たのだから、私たちは人生に、社会に、そして人や自分に対しても苛立つことなく。「この世に生まれて来て良かった!神様ありがとう!! みんなありがとう!!」 と明確に言える人生でありたいものである。ところが、そのように言える人は10人1人しかいないのだ。人間には大きく以下の4つのタイプがいるが、自己実現が可能な人は最後の4番目の人だけである。
1) 人の話しを聞いていない人(Ⅰ列王16:29-22:4)
(アハブ王は、エリアが活躍していた頃の北イスラエル王国7代目の王で、妻イゼベルに唆せれて、最も悪政を行なった人物)
2) 聞くだけで終わる人 (エゼキエル33:30-31)
3) 聞いて行なう人が途中でやめてしまう人 (Ⅱ歴代14-16)
(アサ王は、南ユダ王国の3代目の王で、「生涯を通して主と一つであった」とまで言われながら、晩年は外国の力に頼り、最後まで主に信頼することなく死んだ)
4) 聞いて最後まで行う人 (ヨセフ、モーセ、パウロ)
■幸福な人生とは自分に与えられた使命に生きること
人には一人一人神から与えられた使命があり、その使命はその人の適正に添っている。世には、同じものを切るという仕事においても、カッター役の人もいれば、ハサミ役の人もいる。同じ者をくっつけるにしても、ノリ役の人もいれば、テープ役の人もいる。テープ役の人はテープの必要性に添って用いられる時に初めてその能力を発揮することが出来るが、ハサミ役の人がカッターの役割をしていると、当然ストレスが生じる。
つまり、人が幸福な人生を生きるためには、自分の使命を自覚することから始まる。しかし、自分の使命を自覚するには、自分が何者であるのかということ知る必要がある。人は自分本来の人生を生きる前に、入念な心の準備期間が必要である。何故なら、目的遂行のためには、更なる忍耐、努力、節制が要求されるからである。
モーセが知的肉体共ピークで血気盛んな時に、神はモーセを用いられなかった。彼が失敗を悔い改め、真のリーダーとなるためには、そしてイスラエルの民が、神が示した地に辿り着くためには、実に40年間という歳月が必要だった。その理由は、「利己心と戦い」である。ヨセフは10年近く牢獄につながれ、回心後のパウロにも14年間の空白期間があった。その間、彼らは自我を神に一つ一つ削られて行ったのである。
イエスが伝道活動に入る前、40日間荒野でサタンの誘惑を受けられた。それは、「石をパンに変えてみろ」、「神殿の上から飛び降りてみろ」、「世の中のものを何でもやる」の3つであった(マタイ4:1-11)。これは何を意味しているのか?神であるイエスにモラトリアム期間など必要ない。しかし、イエスは私たちと同じレベルにまで降りて来てくださり、私たちが成すべきことを身をもって教えてくださった。私たちが自分本来の仕事に入る前に成すべき入念な心の準備とは、「利己心と戦い」なのである。
わたしたちは神に造られたもの(作品)であり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エペソ2:10)
人間は神の最高傑作 (わたしたちは神に造られたもの/作品)
この「作品」という言葉は、ギリシャ語で「ポイエーマ」と言いポエム(詩)の原語。当時の社会では、誰かの働きの結果に生み出されたものを「ポイエーマ」と呼んだ。例えば、誰かが家を建てれば、その家はそれを建てた人の「ポイエーマ」。つまりここで、「私たちは神のポイエーマだ」と言う時、そこに強調されているのは、私達人間が、他の誰の働きの結果でもない、神の働きの結果に生み出されたものであるということ。
誰かが作ったものを表す「ポイエーマ」という呼び名はやがて、芸術作品を指すようになった。つまり、画家が描いた絵も、彫刻家が刻んだ彫刻も、小説家が書いた文学作品も「ポイエーマ」。どんな芸術作品にも、作者の愛と精魂が込められている。私たちが「神の作品」であるということには、神が私たちを神の愛の対象として、喜び、慈しむ対象として創造されたという意味が込められている。ある英語訳では、「神の作品」を「God's Masterpiece」と訳している。
旧約聖書は、詩編、雅歌、哀歌は勿論、ヨブ記や箴言の他、イザヤ、エレミア、12小預言書なども、かなりの部分が詩で構成されている。詩人は心からわき出る言葉を詩に綴る。100行の詩もあれば、1行の詩もあり、自由詩もあれば、俳句のような定例詩もあり、どれ一つとして同じ作品はないが、全て作者の感動から生まれたことについては共通している。創造主である神は、詩人にとって自分が書いた詩が自分の子供のように愛しく、詩にするほど感動を与えるように、神は一人一人の人間を、自分の子供のように愛し、創って下さった。つまり、私たち人間は、神の芸術品なのである。
神の作品には目的がある (神が前もって準備してくださった善い業のため)
神が私たち人間を造られた目的は、「神が準備した良い行いをすること」と聖書は語る。「良い行い」とは何か?聖書はあえて「良い行い」という言葉を、「行い」と「良い行い」の二つに区別している。何故なら、聖書で「行い」という場合、それは「律法行為」を指すからである。当時の律法学者たちは、聖書から様々な規則規定を勝手に作りだし、それを寸分違わず守ることが、救いの道だと教えていた。つまり、その動機は、自分の救いである。
しかし、この「良い行いに歩む」の「歩む」は、4章1説にある「招きにふさわしく歩み」と同じく、「日常生活をする」という意味。つまり、神が「私たちのために備えておられる良い行い」とは、救われるために行なう特別な善行や修行のことではなく、神に信頼し、神を愛し、神のために生きる日々の生活のことである。私たちは行ないによって、救われたのではないが、神は、救われた私たちは良い行ないをすると、神は言われる。そしてその良い行い、つまり、私たち歩むベきクリスチャン・ライフは、神があらかじめ備えておられるのである。
人はこの世で愛を実践するためにつくられた (キリスト・イエスにおいて造られた)
先日、十数人の日本人女性がいたある家庭集会で、「自分の幸せを求めて結婚する人は不幸になる」と言うと、その時に非常に興味深い反応があった。独身女性は皆、驚いたように固まり、既婚者女性は皆、(中には涙を浮かべて)深く頷いていたからである。なぜ幸せにしてもらおうと思って結婚すると不幸になるのか?それは、相手に対して、自分を幸せにする義務を負わせるという生き方になってしまうからである。
幸せにしなければならない義務を負っている相手が、自分が考える幸せにしてくれないと、必ず不満や怒りが出てくる。また、幸せにしてくれても、それは当然だと言う態度になる。人は私の幸福のために存在しているのだという不遜な態度は、人を支配しようとする態度となって現れる。そして人は、自分を支配しようとする人から、離れて行きたくなるものなのである。
「神の御心」とはただ一つ、全ての人々の幸福、全ての人の魂の救いにある。それが、キリストの十字架と復活に凝縮されている。「国のため、家のため、あなたのためなら私が死にます」このリーダーのために僕が死ぬのがこの世の中。しかし、「私が死ぬから、お前は生きなさい」と、僕のためにリーダーが死んだのがキリスト教である。神はそのキリストに倣い、AさんはBさんのために生き、BさんはAさんのために生きることによって、AさんとBさん、そして全体が幸福になるように創られたのである。
人生に必要なもの全てを備えて下さっている神に信頼して生きる (善い業を行って歩む)
人生は自分の幸せ、自分の願望、自分の満足のためにあると考えている間は、真の幸せは実現しない。それは、一時的に実現したとしても、決して長くは続かない。それは相手が悪かったからではなく、その人の人生に対する前提が間違っているのだ。
真理は、「自分が人生に何を期待するか」ではなく、「人生が自分に何を期待しているのか」である。人間若い時は、多かれ少なかれモラトリアムの時期を通るが、自分にしか目に向けていない内は、決して答えを見付けることは出来ない。人は神なき人生観に馴らされてしまっているが故に、神がいないままで幸せになれる道を必死に見つけ出そうとしているが、神なきままでそれは不可能である。
クリスチャンは神の僕である。この僕(パイス)という言葉はギリシア語で、「僕」の他に「子供」という意味もあり、主人に依存して生きている存在という意味である。親が子供に金を渡していないのに、お使いを頼んだりすることはない。僕が主人に仕事を依頼された場合、仕事に必要なものを揃える義務は、僕にはなく主人にあるのである。
自分は世のため人のために何かを出来るような人間ではない。自分のことを小さいと思っている人が多いかも知れない。しかし、神の計画に参加する人生の結末は実に偉大なのである。キリスト者とは、神の全人類計画という目的遂行のために「選択」され、「創り変えられた者なのである。この神に信頼して生きて行こう!
メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!
GNSのメインページはこちら!