Good News Report

Good News Station の活動模様をお伝えしています。

「エペソ」30分de一巻 Vol.49

2018年01月20日 | Good News
教会はキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしている方の満ちておられる場です。(1:23)

この手紙には、エペソの教会や信徒に関する言及、また、パウロのエペソでの体験などが一切語られてない。つまり、本書は一教会・一個人に宛てられた手紙と言うより、霊的成長を望んでいるクリスチャン全体に対して当てられた手紙なのである。

その内容は大きく、御言葉の霊的教理(1-3章)と、御言葉の霊的適応(4-6章)について記されてあり、別名「パウロ神学の真髄」と表されている様に、本書は御言葉の解釈と適応との関係性について最も明瞭に記されている。

例えば・・1章3節「私達の主イエス・キリストの父である神は〜」から、14節「神の栄光を讃える事になるのです」までの12節は、原語では一文である。つまり、パウロは手紙の冒頭で神に感謝し、その感謝への賛美が次から次へと湧き上がり、14節まで途切れなかった。その1文の中に、キリストにある7つの霊的祝福が秘められているのである。

(1) 「キリストの内にある選びの祝福」 (4節)
(2) 「神の子となる祝福」 (5節)
(3) 「罪が赦された祝福」 (7節)
(4) 「神の御心が表された祝福」(9節)
(5) 「キリストによって一致する祝福」 (10節)
(6) 「神の御国を受け継ぐ祝福」  (11節)
(7) 「その保証として聖霊が与えられた祝福」 (13節) ー メッセージより抜粋 ー
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「ガラテア」30分de一巻 Vol.48

2018年01月05日 | Good News
正しい者は信仰によって生きる。(3:11)

ユダヤ人にとって、同じ食卓につくという行為は、そこで同じ血が流れるという意識があるので、伝統的なユダヤ人は今でも、自分達と同じ家族だという認識がない人以外とは、決して同じ食卓につく事はしない。おそらくエルサレム教会でも、ユダヤ人と異邦人が同じ食卓につくという事はなかったであろうと思われる。であるなら、エルサレム教会の人達は、福音よりも常識を優先していたことになる。

ヤコブも、ぺテロも、ヨハネも、バルナバも、聖霊のバプテスマを受けた殉教をも恐れない信仰の勇者である。しかし、その福音理解においては未だ律法的であった。パウロはこの初代教会での失敗談をあげながら、ガラテヤ教会の人々に、福音の本質について説明した。ルターが本書を宗教改革の旗印として掲げたのもそれが理由である。

初代教会が最も熱心にやっていた事の第一に、使徒の教え(聖書の学び)が挙げられているのは、聖霊の働きの中で最も時間がかかり、最も人間の自主的意志が必要とされる行為が、福音に対する正しい理解力だからである。人生、常識に生きるか?聖書に生きるか?究極的にはそのどちらかなのである。(メッセージより抜粋)



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New Year 2018

2017年12月30日 | Good News
わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしには全てが可能です。

教会という所は不思議な所で、年始には必ず新しい標語を掲げるものの、何の査定もしないまま、次の標語に移るという事を毎年続けている。かく言うウチの教会も、「あれ?去年の標語何だっけ?」と言ったテイタラク。これではマズイだろうと言うことで、年の終わりにはちゃんと審議査定するという約束で、「今年掲げる標語は“ピリピ4章13節ぢゃ!」と言ったら、皆から「おぉ〜!」という反応があった。(ウチの教会はオトボケながらまんざら捨てたものではない)

さて、この御言葉が与えられた理由の一つは、以下のユンさんによる警告・提言に再度触発された事にある。彼とは前に一度だけお会いした事がある。その時は、Heavenly Manがアメリカで出版されたばかりで、どこの教会でも彼はヒーロー扱いだった。そんな周囲の騒ぎを避けるかの様に、集会後、人目を避ける様にそそくさと去って行かれたユンさんの後姿が印象的だった。

ユンさんとは歳も人生の目的も同じ、アタシにとって厳しい迫害下で生きている中国のクリスチャン達の姿が、今でも活動の大きなモーティベイションになっているので“初心忘るべからず、初代教会に帰れ!”の意味において、いつも手本にせざるを得ない信仰の大先輩なのである。


    
何十億という地球の住人が、自分達の罪のためにイエスが死なれた事、イエスが天国に通じるたった一つの道である事を知らないまま暮らし、そして死んでいる。多くのクリスチャンは物質的な富に恵まれているが、堕落した状態で暮らしている。彼らは金銀は持っているが、イエスの御名によって立ち上がる事も、歩む事もしない。

教会の建物は絶対に必要ないと確信したい。教会の建物はあなた方が求めているリバイバルをもたらさない。これ以上、所有物を増やしてもリバイバルはやって来ない。リバイバルをあなたの教会にもたらすために必要な事は、主の御言葉である。御言葉が欠落しているのである。確かに多くの説教や教えを述べた何千もの音声やビデオはあるが、御言葉の本当の真実を含んだものはほとんど見当たらない。しかし、あなた方を自由にするのは真実である。御言葉によって喜んで変えられない限り、御言葉の意味を本当に知る事は出来ない。真のリバイバルは、必ず信仰者に行動と魂の獲得という応答を生じさせる。神が本当にあなたの心の中で働けば、決して黙っている事は出来ないのだ。

イエスは私達のために命の全てを投げ出したが、私達はそのイエスにほんの少し時間、お金、人生しか与えていない。“何という恥辱か!? 悔い改めよ!”イエスは本当に知る価値のあるお方だ。私達の人生の全てを受け渡すだけの価値のあるお方だ。もし、あなたの命をイエスに捧げるのなら、あなたは決して後悔する事はないだろう。イエスに従いますか? (Brother Yun)

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Christmas 2017

2017年12月23日 | Good News
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「I Iコリント」30分de一巻 Vol.47

2017年12月09日 | Good News
私達が悩み苦しむ時、それはあなた方の慰めと救いになります。(1:6)

コリントを離れてから約3年後、教会で深刻な問題が発生している事を聞いたパウロは、その解決に向けて手紙を出し(5:9)、テモテを教会に送った(16:10)。それとほぼ同時に、教会から3人の信者(16:17)が質問状を持って、エペソにいたパウロの元を訪れた。その時に直接、コリント教会が抱えている問題を聞いたパウロが、その質問状の返信として送ったのが第一コリント書である。

ところがこの返信は、逆にパウロに対する不信感を煽らせ、両者の関係を悪化させてしまう。このままではダメだと言うことで、パウロはエペソから約300㌔の海路を渡り、急遽コリントを訪問した。しかし、その必死の努力も空しく、結局、最初の手紙も、第一コリント書も、そしてこの2度目の訪問も、全て失敗に終わってしまった。

そこでパウロは涙ながらに3通目の手紙書いた。パウロはこの涙の手紙をコリントの人々がどのように受止めたか気になり、教会に派遣していたテトスからの報告を受ける為、トロアスで待ち合わせていた。ところが、待てど暮らせどテトスは来ない。この時のパウロは、かなり心労が重なり、相当困窮・困惑していた。

やっとの思いで、マケドニヤでテトスと会うことが出来、コリント教会の人々が悔い改めたという報告を受けて、やっと安堵の気持ちで書いたのがこの第二コリント書である。ところが、これでハッピ−エンドで終わらないところがコリント教会が一筋縄では行かない所で・・。(メッセージより抜粋)



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