Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

主の名によって立ち、歩け 加山彰一師

2009年09月28日 | Celebration

生まれながら足の不自由な男が「美しい門」と言う神殿の門のそばに毎日運ばれ置かれていた。彼は40年以上も立つ事も歩くこともできずに、その場所へ物乞いのために置かれていたのである。施しは全て家族が取り、彼は何も持っていなかった。彼は誰にも人格的に受け入れてもらえずに40年以上生きてきたのだ。
もし、自分自身が人格的に見てもらえずに、『物』として見られているとしたらどう思うだろうか。お金がない、食べ物が少ない、教養がないという事よりも、人間が人間として見てもらえない事ほど悲しいことはないのだ。しかしこの男性に神の御業があらわれる。これは彼に起こった事実であり、私達にも起きる事実である。
1) 『何もない』から始まる
ペテロとヨハネに足の不自由なその男が施しを乞うと、ペテロとヨハネは
彼をじっと見つめて言った。「私には金銀はない!」
金銀がない、歩けない、動けない、実は、『ない』と言うことが重要。
人間の力が万策尽きたところに、神の御業があらわれるのだから。
信仰があると思っている人は要注意!私には信仰がない、信仰の足りないものだ、、、と自分を受け止めたときに神の御業が始まるからである。
  
2) 私にあるものをあげよう。イエスキリストの名によって歩きなさい。
信仰はギフト。神から与えられたギフトである。もし、自分の力で得た信仰であるならば、大きな試練が起きたら信仰を捨ててしまうかもしれない。自分で得たものは自分で離すものである。しかし、神から頂いたものは、離せない!与えてくださった神がこの信仰を握ってくださっているから、離れることができないのだ。信仰は、自分で掴み取るものではなく受け取るものである。

3)『ない』から『ある』へ切り替わる。
ペテロは男の手を取って彼を立ち上がらせると、たちまちその男の足やくるぶしがしっかりとして、男は躍り上がって立ち、歩き出した!聖書のたった1節の中に『躍り上がって立ち歩き神を賛美した』ということが繰り返し書いてある。
これはその男性の喜びを表しており、歩けない人が歩けるようになる!これは当然嬉しいこと。40年間も歩けないと思っている人が、突然歩けるとはどんなことだろうか。人間、思い込んだらずっとその思いの中から出ることができない。40年間歩けなかった男性に「歩ける」と言うスイッチを入れてくださった父なる神。『ない』から『ある』へスイッチを切り替えることができるのは、全能なる神だけの御業。神によって造りかえられ新しくされる私達、神を信じて従うならば、必ず主の栄光が、主の奇跡が起こる!そして、それを私達は喜び神を賛美するのだ。
 主を賛美するために民は想像された。詩篇102:19
とあるように、主を賛美することがクリスチャンの姿だからである。
たとえ苦しくても、辛くとも、主は私達を主にある喜びに変えてくださる。これこそが私たちの信仰。
40年以上も歩けずに物乞いをしていた男は、人としては死んでいたのに、生き返り、復活し、歩き回り、踊りまわって神を賛美した。

誰でも、父なる神の元へ立ち返るならば、神は、素晴らしい人生を与えてくださる。だから、キリストの名によって、立ち上がり、歩いていこう!そこには何よりもまさる喜びと平安があるからである。

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天国からの手紙 マタイ 13:51-52

2009年09月20日 | Celebration
何故、人は教会に来ないのか? 答えは簡単。彼らは地獄なんかないと思っているからである。もし、聖書の言っていることが、本当だと分かったら、人々はどんな方法を使ってでも、地獄行きを回避することだろう。永遠の命とは何か? 復活とは?栄化とは?その真意に迫る!!

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絶えず祈りなさいⅡ ルカ18:1-8

2009年09月13日 | Celebration
神の御前における、正しい祈りとはどうあるべきか。祈りとは、神が知らない自分に関する情報を、神に伝えることではない。全知全能の神が、私たちの必要をご存知でないはずがないからである。しかし、「気を落とさずに、絶えず祈り続けなさい」と、神が私たちに言われた、キリスト者としてあるべき祈りを、聖書の登場する七人の祈りから学ぶ。

ダニエルから学ぶ黙想の祈り
ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。(6:11)

 周囲の環境や状況の変化に影響されることなく、ダニエルは、いつもと同場所、同じ時刻、同じ時間に、神に祈りを奉げていた。ただ自分の魂を神に向けるための時間。それは、神の御旨を第一とする者にとって、絶対に欠かせない時間である。


ネヘミヤから学ぶ現場の祈り
すると王は、「何を望んでいるのか」と言った。わたしは天にいます神に祈って、王に答えた。(2:4)

 「何を望んでいるか」と王から問われた瞬間に、ネヘミアは自分の器量に頼ることなく、神に祈り求めた。それは人間的には一瞬のことであっても、神が私たちに心を留め、ネヘミアが神から的確なアドバイスを受けるには十分であった。通勤時間であっても、仕事場であっても、いつも神に心を向けることを忘れてはいけない。


ダビデから学ぶ感謝の祈り
主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。(詩編30:5)

 感謝と賛美に溢れたダビデの詩編。しかし、その半分は、絶望し、心身共に打ちひしがれた嘆きの詩である。しかし、ダビデは、そんな絶体絶命の境遇にありながらも、苦難が感謝に変わることを信じて疑わなかった。願ったことを既に得られたと信じ、願いから感謝に祈りを転換させた時、キリスト者としての霊的成長がある。


ハバククから学ぶ本音の祈り
主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに、あなたは助けてくださらない。(1:2)

 ハバクク書には、美辞麗句によらない、神との赤裸々な緊迫した会話が記されている。そんなハバククに、神は「義人は信仰によって生きる」という、新約の核となる言葉を投げかけられた。神との会話は、形式に囚われる必要など、一切ない。


モーセから学ぶ執り成しの祈り
どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。(民数記14:19)

 執り成しの祈りこそ、神の御前に最も好ましい祈りである。モーセは、神から断罪されようとするイスラエルの民の前に立ちはだかり、民を救うために執り成しの祈りを献げた。自分を犠牲にして、人のため、国のため、天の御国のために祈る。十字架の赦しを知った者にしか出来ない祈りを、神が顧みられぬわけはない。


ユダの手紙から学ぶ聖霊の導きの祈り
聖霊の導きの下に祈りなさい。(20)

 神は、私たちが弱く、祈り続ける力がないことを全てご存知の上で、私たちを救いへと導いてくださるお方である。神が私たち一人一人に送ってくださった導き(助け)手の元で祈ること。それが、何よりも大切なことである。


イエスから学ぶゲッセマネの祈り
わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。(マルコ14:36)

 自分の願いより、神の願い優先させる。この自分を明け渡す祈りが、神の国を実現へと導いて行く。聖霊の導きの元にあるキリスト者は、いつか必ずこのゲッセマネの祈りに到達するだろう。そのために学び、祈り続ける。そうして、私たちは神の御国の相続人として、天で迎えられるのである。


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絶えず祈りなさい Ⅰテサロニケ 5:17

2009年09月06日 | Celebration



何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。(Ⅰヨハネ5:14)

 祈りはクリスチャンの呼吸であり、特権である。祈りなしにクリスチャンであり続けることはできない。しかし、私たちは「何が欲しいのか?」は辛うじて分かっても、「どのように祈るべきか?」を分かっていないことが多々ある。「いつもお願いばかりで、感謝の一言もないようなディボーションはあまりにお粗末である」と、スポルジョンは言った。つまり、祈りはその人の霊的成長と共に昇華されていくものであり、私たちは祈りを「学ぶ」必要があるのだ。神様とのホットラインを有効に使うよう、祈りの基本中の基本を教えられた。

5つの祈り

☆願い:「神様、お願い!」
☆感謝:「神様、ありがとう!!」
☆悔い改め:「神様、ごめんなさい!」
☆御旨を聞く:「神様、私はどうすべきなの!?」
☆執り成し:「神様、どうかあの人を救ってください!」


神様からの4つの応答

NO:神はその人のためにならないことはきっぱりNo!と言われる。
SLOW:私たちは即答を求めるが、物事を成就させるには必ず順序がある。
GROW:恵みの答えを、神のため人のために正しく用いる器となるために、私たちに成長を求められる。
GO:今がその時!!


3つの祈りのフォーカス

 内村鑑三は、「クリスチャンの結婚は武士道精神に似ている」と仰った。サムライの結婚は、第一に君主のため、第二に家名のため、そして第三に自分のためであった。クリスチャンの祈りのフォーカスも、基本的にこれと同じである。つまり、先ず第一に主(神)のため、第二に人のため、そして第三に自分のため。

 例えば一般的に言うと、結婚は自分が幸せになるためのものである。だが、クリスチャンの結婚はそうではない。自分が結婚する相手の幸せも、同時に考えなければならない。真に幸福な結婚を求めるのなら、祈りのフォーカスを、相手探しではなく、自分の霊的成長に当てるべきである。真の夫婦の絆とは、共に主に仕えるための絆だからである。真の理想の相手とは、自分が考えている理想ではなく、自分の内にある賜物を、神のため、人のため、そして自分たちの生活のために互いに引き出し合える相手のことである。


神様から二言

(1) 神様が語っておられる人と、語っておられない人。(自ら関係を遮断している)
(2) 神様の声を聞いている人と、聞いていない人。
(3) 神様の声を聞いて、行動に移す人と、移さない人。
(4) 最後まで行動した人と、途中で投げ出してしまう人。

 神様の御声を前に、人は4つの状況に分けられる。問題は、神の御声を聞いて行動に移し、それを最後まで貫き通したか否かである。途中で投げ出してしまった人の理由を聞くと、人間的にはそれぞれ納得できる内容がある。しかし結局のところ、そういった人間的な立場に立った理由は、ほとんどの場合、不信仰である。それは、自分に対する言い訳であり、神様側から見れば、何のことはない「信仰の欠如」である。そんな弱い私たちに神様から叱咤激励の二言。

神様は最後まで信頼し続け、諦めないで祈り続ける人の祈りを聞かれる。
神様の目的は、全人類の救済!
 確かに、神様は私たちの祈りを必ず叶えてくださるお方である。しかし、神様は、私たちの祈りを叶えるために存在しているのではない。神の目的は全人類救済であり、あらゆる人々を救うという大きな目的のために、私たちの祈りを用いられるのである。


真に大切な一つのこと

 『私自身、ある種の事柄については祈りの答えがでるまで何年も待ち望む必要がありました。しかし遂に、その祈りの答えは与えられたのです。大切なのは神様の栄光を求めることです。神の栄光ゆえに、そして神の栄光のみが真に私たちの善となるのです。』

 「信仰の使徒」、「孤児救済の父」と呼ばれるジョージ・ミュラーは、何年も祈り続け、祝福を受け続け、その祝福の一部をこの言葉にして私たちに託した。神の栄光を求めること。 神様の栄光だけが、全てを真の幸せへと導く。これこそ、祈りの真髄なのである。(睦美)

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