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ネヘミヤは「聖書中最強の祈りのネゴシエーター」と呼ぶにふさわしい。王の安全を警護する献酌官という仕事上、細部に亘って把握して可能性を見極め、対策を講じて交渉する才能を持ち、また物事を判断する鋭い頭脳と積極的な行動力の持ち主だった。それらの賜物を信仰と祈りの力でパワーアップさせ、神様の導きを得、王と民を動かし、失われたアイデンティティ回復へと導いた。
聖書には歴史的、道徳的、そして霊的解釈がある。このネヘミヤ記、ただ読めば、廃墟と化したかつての黄金の都、エルサレムの再建という史実が記されているが、霊的解釈で読み込む時、これはキリスト者のアイデンティティ回復のことだとわかる。私たちキリスト者は、イエス様を受け入れて神様の救いを得た。その時、何が起こったか。天使が祝歌を奏し、神の子とされ、永遠の命を得、命の書に名前が記され、そして、心の奥にある霊の部分に神殿が建てられた。聖霊様によって。
だから万事OK?一件落着?もう、果報は寝て待て?いや、これからが『聖化』へのスタートだ。確かに神様の手による素晴らしい神殿が建った。でもその周囲は未だ荒れており、瓦礫やゴミがゴロゴロしているのを見る。『聖化』とは、これらを一つ一つ片付けていくこと。この回復へのステップを着実に進む。私たちを愛してくださる神様は、その回復を心から望み、そのために導いてくれる。ネヘミヤにそうしてくださったように。
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(1) 私たちの内には聖霊様の宿る神殿がある。
(2) 神殿は確かにあるが、周囲はまだ瓦礫の山。
古い自我はそのまま残っている。
(3) 足元注意。瓦礫に躓かないように。誰もが工事中なのだから。
(4) 自分の瓦礫、自分の城壁修復を優先。
たとえ傷つけられたことでも、原因究明に躍起になるのではなく、
相手を赦し、現状を認め、片付ける。それが癒しへ繋がる。
(5) 一人でできない時は、仲間と共に。教会はそのためにある。
問題があることは問題ではなく、問題を問題と思わないことが問題。
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そう書いてあるのは知っている・・。でも、クリスチャンになったからと言って、全ての傷が癒されたわけではない・・。確かにそれは事実かも知れない。だが、イエス様は十字架上でこう仰ったではないか。「完了した」と。これが聖書が語る真実である。ところが私たちは、自分の頑なまでの狭い視野にあまりに囚われている。キリスト者が立つべきは、自分側の事実ではなく、聖書側の真実ではないか。事実が真実を凌駕することは決してない。信仰よって真理の側に立った時、私たちの小さな事実は真実に内包されていく。そしてイエス様の声が聞こえるだろう「あなたの信仰があなたを救った」と。
〔写真:CCSMC最後の礼拝の後、みんなで記念撮影〕