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本日は神様の御導きで、田中先生が牧会されている教会で御奉仕をさせていただける恵みを心から感謝いたします。先ほど読んでいただきました使徒の働き1章8節は、この一節に神様の真理がいっぱい詰まっている箇所です。今日は、『聖霊様のお役目』と題してメッセージをさせていただきます。
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聖霊様のお役目とは、イエス様が開かれた救いの道を世界中に広めることです。聖霊様はこの働きを、人を使って人と共になされます。イエス様の場合はたった一人で働かれました。イエス様は一人でなければならなかったのです。何故でしょう。それは、イエス様は人類の代表として神様の前に立ったからです。人類の代表だから一人です。聖書ではこのイエス様のことを最後のアダムと言っています。(Ⅰコリント15:45)第一のアダムは、神様の前に立ったときに失敗しました。サタンの誘惑に破れて、神様を捨て、サタンを選んで堕落したのです。実は私達はその子孫、サタンに従った者の子孫なのです。だから、生まれながらにして、神様を拝まずに偶像礼拝をします。後で、大きくなってから、「神は石や木や動物じゃないよ。造り主が神だよ。」「神とはただ一人の造り主のことだよ」と言うことを教えられて分かるのです。こういうわけで私達は堕落したアダムの子孫ですから、毎日罪を犯します。罪を犯しているから地獄へ行くのです。それが人間の運命なのです。
だから、この運命を救わないといけません!しかし、誰も神様の前に立って罪を清算できる人が誰もいないのです。そこで、神様は、御自分のひとり子を人間の代表とするために地上に送ったのです。こうしてイエス様は、人間の代表としてこの世にお出でになられました。「おぎゃー!!」と産声を上げた時から、神様の輝かしい姿ではなく、人間の代表ですから、人間として生まれ、人間と同じように成長したのです。どこから見ても人間のイエス様は、人間の弱さも持っていました。旅をすれば疲れる。水を飲まなければ乾くのです。ところが、一つだけ人間とは違っていました。それは罪がなかったことです。(へブル4:15、Ⅰペテロ2:22) 人間はみんな罪人、真っ黒です。イエス様だけが罪がなく真っ白でした。その罪のないイエス様が人間の罪の責任を全部背負って神の刑罰を身代わりに受けたのです。ですから、イエス様の十字架は有効です。イエス様は罪がありませんでしたから、唯一罪を担うことがお出来きになった方なのです。そういうわけで、イエス様を信じたら誰でも罪が許されて、天国へ行くことが出来ます。天国行きに、人格は関係ありません。何をしたか、何をやったかも関係ありません。どんな人であろうと、イエス様を信じることで救われるのです。
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今、ヤクザの親分達がどんどん救われています。元ヤクザの親分で吉田芳幸さんという方がおられます。ヤクザの世界でこの人を知らない人は誰もいません。何故かと言うと、彼は、日本最大の暴力団山口組の田岡組長を殺しに行った人なのです。これは、映画化されたほどの有名な話しです。その吉田さんがクリスチャンになったのです。すごいことです。彼は日本の90%の麻薬を動かしていた人でした。彼のせいで多くの若者がだめになり、多くの家庭が崩壊しました。ヤクザの世界は恐ろしい世界です。吉田さんはそういったヤクザの中のヤクザ、とても悪い人でした。そんな悪い人でもイエス様の十字架で救われるのです。イエス様の十字架は、神の刑罰を身代わりに受けて下さった死ですから、どんな人でも罪許されて天国行きです。
何故、吉田さんがクリスチャンになったのでしょうか? 彼は韓国によく行っていたそうです。ヤクザの親分である吉田さんに寄って来る女性はみんな、堅気の女性ではありません。吉田さんは、自分はヤクザのくせに、まともな女性と結婚をしたいと思っていました。吉田さんの理想の女性は、絶対に堅気で、絶世の美女で、もの静かで、清らかな女性だったそうです。そして吉田さんは、自分がヤクザだと言うことを隠して、今の奥さんと付き合い始めました。しかし、女性は賢いです。ある時、何百万もするミンクのコートをプレゼントした時、彼女はコートを脇に置いて、「あなたは何者ですか?」と聞いたそうです。それで、吉田さんは遂に自分がヤクザであることを告白しました。
ところが彼女は、「この人を救おう!」と、吉田さんがヤクザだと言うこと承知で結婚するのです。彼女はクリスチャンでした。しかし、結婚したらメチャクチャな生活が待っていました。彼女はいつも祈っていました。「主よ、夫を救ってください。」奥さんがそう祈る度に吉田さんは彼女を殴ります。それで何度も救急車で運ばれたそうです。そんな生活が暫く続きました。そうしてどうなったのでしょう・・。吉田さんは、奥さんを殴るのが怖くなったのです。殴り倒しても殴り倒しても、祈り続ける彼女見て怖くなったのです。そして、吉田さんは奥さんの祈りによって、クリスチャンとなりました。奥さんの命がけの伝道が遂に実ったのです
そういうわけで吉田さんはクリスチャンになったのですが、救われた当時はまだまだヤクザの勢いが残っていました。ヤクザをやめたと言っても、彼の首には何千万円という懸賞金がかかっているほどの大物です。しかし、その吉田さんが会う度にどんどん変わっていきました。神様によってどんどん聖められていったのです。彼は海外に行く度に刑務所を尋ね、そこで大勢の人をイエス様の救いへと導いています。イエス様を信じたらどんな人でも救われるのです。
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この福音を世界中に広めるのは聖霊様のお役目です。聖霊様はこの働きを人と共にされます。私達はひとりで伝道しているのではなくて、聖霊様に用いられているのです。何年か前にベニー・ヒンが日本に来られた時に、『聖霊様、おはようございます』と言う本が売られました。私はそれを読んで非常に恵まれました。と言うのは、「聖霊様は私たちの前におられる」ということが分かったのです。当たり前のことのようですが、私はそうではなかったのです。私は福音派の牧師でしたから、とにかく聖書信仰!聖書を読んで「よし!やるぞー」と立ち上がるのです。そこで、後ろを振り向き、「聖霊様、私はこれをやります。助けてくださいよ!お金も沢山必要なんですから、満たしてくださいよ!」。つまり、私のビジョンに聖霊様を使っているような感じだったのです。しかし、それが間違いだったということに気が付きました。聖霊様は私たちの前におられる。聖霊様が主役なんだ!私は用いられているだけなんだ!と。
今からちょうど10年前に京都の国際会議場で世界宣教会議が行われました。私はその議長でした。莫大な資金が要るこの会議は、聖霊様が主役なのだということを私は知っていました。「聖霊様がやられるのだから、大丈夫なんだ!私はついて行くだけだ」そう思うと、とても安心しました。さて、会議を行うことは決定したものの、場所が決まりませんでした。関西でやるのか、関東でやるのか。議長の私がはっきりしなかったからです。何故なら、主役は聖霊様なので、私が聖霊様より前に立つことは出来ません。私は、京都の国際会議場でやりたいと思ったのですが、そこは既に3年前から予約でいっぱいで無理だったのです。それで、大阪の浪江ホールと交渉を進めていました。そして、契約の日になりました、決定するには私がサインをしなければいけません。そして、サインをしに約束の場所へ行くと、肝心の書類が届いていません。浪江ホールの担当者が、書類を郵送したため、未だ届いていなかったのです。すると、そこで電話がなりました。京都国際会議場で急にキャセルが出たと言う連絡でした。私は背筋がぞくぞくしました。創世記22章でアブラハムがイサクをささげるところがありますね、正に最後の最後に最良のものを神様が用意していて下さったのです。聖霊様は初めから京都国際会議場を用意されていました。もし、私が人間的な判断に頼っていたらだめだったのです。
私はいつも平安な気持ちで会議に臨んでいました。あまりに私が平安な顔をしているので、会議に参加していた諸先生方は「奥山先生は資金をたくさん持っているのだろう」と、思っていたそうです。そこで、一人の牧師が遠慮がちに私に聞いてきました。「先生は、この会議のための資金をどれくらいお持ちなのでしょうか?」と。私は「ないよ。」とあっさり答えました。その瞬間、周りの空気が一変しました。不安そうな先生方に私は答えました。「お金があってやるのは誰だって出来ます。先生方、教会堂を建てる時にお金がありましたか?なかったでしょう。最初にビジョンが来て、それから必要なお金が与えられるのです。心配する必要はりません。主役は聖霊様なのですから。」この会議には9千万円のお金が必要でしたが、会議が始まる頃になると、献金がどんどん集まりました。実際には一億円かかったのですが、それ以上の献金が集まり、余ったお金は台湾の地震救済の為に献金することができました。それが聖霊様の業です。聖霊様は決して失敗されることはないのです。
聖霊様は私たちを用いて働かれます。私たちにとって大事なことは、聖霊様が使易い器になることです。使い易い器とはどのような器でしょうか?それは全てを奉げた器です。主人にとって、使いにくい僕とは条件付の僕です。「ご主人様、東へは行きますが、西へは行きません。これはしますけれど、あれはしません。」使いやすい僕とは、「ご主人様、何でもやります。どこへでも行きます。」と無条件にささげる僕です。強い、弱いは関係ありません。全部ささげる器が使いやすいのですから。では、何をささげるのでしょうか?あなたの人生の舵をささげるのです。聖霊様にあなたの人生を明け渡すのです。
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私がまだ駆け出し牧師の頃、京都で学生伝道に力を入れていました。京都大学の学生や、京都府大の学生が大勢教会に来て、多くの学生たちがイエス様を信じました。共産党員の人たちも沢山救われていきました。その頃、私は本田弘滋牧師、羽鳥明牧師とお付き合いするようになりました。この先生方の賜物が素晴らしいのです。本田先生は伝道の賜物。本田先生が説教をされるとどんどん救われるのです。また、羽鳥先生はラジオ伝道の賜物。時間通りにピシッと治めるメッセージ。そこでふと、自分は何を持っているのだろうか?と思わされました。私は、学生伝道を頑張っていたのですが、主の前に静まってみると、私には何もない!? と言うことが分かったのです。私は学生時代、野球部のキャプテンになって県大会優勝したり、全国学生弓道の委員長もしましたが、野球も弓道も牧会には何の役にも立ちません。牧師がバットを持って信徒のお尻をたたくわけには行きませんから・・。
「いったい自分には何があるのだろうか・・?そうだ、命がある!神様、私には命しかありません。この命をささげます!」と言って私は神様に自分の命を捧げました。そうしたら、何と才能が後からブワーッと出てきたのです。中学高校と、勉強しないで本ばかり読んでいた私に、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治の文学論を書かせてくださいました。それは、神様に捧げた後で才能が出てきたのです。強い、弱い関係ありません。何もない弱い者ほど用いられるのです。私は体育会系の人間ですから、人前で話すのが苦手でした。そういう人を神様は言葉の人として用いるのです。今では誰も信じてくれませんが、言葉の人でない私が、毎日こうして人々に教えているのです。どうぞ皆さん、人生を聖霊様に捧げてください。「聖霊様、こんな者ですがどうぞ御自由にお使いください!」と全てを捧げるのです。そうすると豊かな素晴らしい人生になります。どうぞ聖霊様によって、素晴らしい人生を歩んで下さい。
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