Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

一つの希望 エフェソ4:1-6

2007年11月04日 | Celebration
 「クリスチャンらしい」とは、何だろう。世間一般では、聖書を読み、祈り、礼拝に熱心に通い、嘘や悪口などは言わない、お酒も煙草も嗜まない、真面目で勤勉、すべての人を愛し、柔和で、やさしく。。。こんな品行方正、歩く道徳のように考えられているようだ。そして、そのように期待もされている。しかし、私たちを含む教会の中で、胸を張って「はい、わたしはそうです。」と答えられる人がいるだろうか。クリスチャンに限らず、この類のギャップを埋めようとする人は、「らしく」あろうと「ふり」をすることに頑張る。そしてその結果、どんどんと本来の「らしさ」から離れていく。「らしい」とは、「ふり」をすることではない。そんな鍍金(めっき)はすぐ剥がれる。キリスト者は100%純金なのだ。

 本日の聖書箇所に「らしく」するとは?の答えが第一節にある。何者であっても、その本分、そのものに本来備わっている性質になること、それにふさわしく歩むこと、この変わり具合こそが、「らしくある」ということだ。では、クリスチャンの本質は何か。力強く語られた。

『神様に愛され、共に永遠の命に生きる喜びの集団

 本質の核にある「喜ぶ」ことは、しようと思ってできることではない。では、どうするか。続く2節3節にこうある。一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。そこに見るのは、やはり自らつけようと思ってつけられるものではない御霊の実。クリスチャンにHow toはない。こうあるべきという心構えがあるわけでもない。ただすべきは、キリストに属するものとして愛による霊の一致を保つことである。

イエス・キリストが主であることを知る。
主の御心を知る福音理解力。
殉教をも恐れない宣教力。
主の愛に生きる一致の力。

 この4つの聖霊様による働きの中で、イエス様が私たちのために十字架にかかってくださってから今に至る二千年間にわたる教会(聖霊)時代において、教会が何によって失敗して来たかと言うと、実は愛による一致の力においてであった。私たちにとって最も困難であり、人間には不可能なほど難しい愛による一致。だから、イエス様が私たちに最後まで示し、命じられ、そして祈られた。そのために助け手として私たちに聖霊様を送ってくださった。だから、キリスト者にだけはそれが可能となった。神様から選ばれ、助け手である聖霊様が内住し、神様が愛してくれているキリスト者だけには。

からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エフェソ4:4-6 口語訳)

 ここに7つの“一つ”がある。完全なる“一つ”だ。私たちが一つの希望にあずかるようにと招かれていること、愛の一致を含めて完全になる。その一つの希望こそが、イエス・キリストにある喜び、永遠の命に生きている喜びだ。神様と一つになる至上の喜びだ。世の中には4つのパターンの人がいる。

① イエス・キリストを知らないが、真理を求めている人。
② イエス・キリストを知らず、真理も求めない人。
③ イエス・キリストを知っているが、愛していない、愛せない人。
④ イエス・キリストを知り、愛している人。

 愛が満ち満ちる天国は、④であるキリスト者のためにある。その本質にふさわしく歩むキリスト者のために。それには、自分の力、頑張り、努力に拠るのではない。ただ、どれだけ聖霊様に心を明け渡すか、喜びに向かって解放させるか、それだけなのだ。

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1 コメント

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秋らしくなったのぉ~ (みすず)
2007-11-09 03:35:47
このブログ記事とは何のかんけーもないんだけども、
テンプレートが秋らしく模様替え。
かわいいですね~。
あー、焼き芋が食べたくなってきた・・・。
秋ですねぇ~
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