GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「孤独さん、こんにちは、さようなら!」

2009年06月30日 | Weblog
五木寛之が初期のエッセイ『風に吹かれて』でこんなことを語っていました。

「人が集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。
 その孤独から逃れるためには共同の行為おいて他にない」



学生時代に読んだ本ですから、30年以上が経ちます。
今、考えれば共同の行為ができる仕事場にいつもいたように思います。
そんな仕事(飲食業)を選んだのもその為だったように感じています。
だからいつも仕事仲間に囲まれている状態です。

しかし、仕事に向かう姿勢には人それぞれに違いや差があり、
それは言葉や言動になって跳ね返ってきます。
「何でそんな言い方をするの?」
「どうしてそこまで追いつめるの?」
「何処を見ているの?」
「自分の位置が見えているの?」
「どうしてそんなに不誠実でいられるの?」
「そんな事が重大ではなく、もっと大切なことがあるだろ?」

仕事仲間でも家族でもこんな想いに陥ることがたまにあります。
それはきっと都会でも、田舎でも
他人(自分以外の人)が集まる限り必ず発生すると思っています。

以前はそんな時、孤独感に陥ったものですが、
それが当たり前なんだと思うようになってから、
<共感>できた瞬間を今まで以上にとても喜べるようになりました。

たとえば「人生は辛いことの方が多い」と思い込めば、
些細なことでも喜べるべます。

人が分かり合えることなど、所詮無理なことと思っていれば、
同じ映画や本を読んで同じように涙を泣かしたり、
おなじ部分で感動したりできたら、とても喜ばしい出来事になります。

「何故気持ちが通じないんだろう?」
若い頃は、こんな事で哀しく思ったものですが、
今ではそれが当たり前、と思えるようになりました。

そして、分かり過ぎる方が自分の心を痛めてしまうことも分かってきました。

他国と比べて年輩者の自殺(3万人以上)が多い日本ですが、
きっと他の国より繊細な心を持っている国民だからかもしれません。
人の心が見え過ぎて、自分の行く末が見え過ぎて、
この世に未練がなくなるのかもしれません。

視力が良過ぎる人は年老いて老眼が強くなります。
私のように多少目が悪い方が、
自力で新聞や本や液晶画面が見えます。

昔は眼鏡の視力が1.5欲しいと思っていたので悪くなって来たら
新しい眼鏡を購入していましたが、
最近は1.0で十分だと思うようになりました。
そうすると2,3年前の免許の書き換え時、
「裸眼でも運転できますよ」と云われて驚きました。
こんなことがあるんですね。

孤独な想いに陥っても深刻になることなどないんです。
「深刻」なんて単語は自分の辞書から省きましょう。
そして<孤独>な想いを楽しめるように自分の心のバランス良く保ちましょう。
左右に揺れながらバランスを保ち続けるヤジロベエ、
これがいいなと思っています。


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