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自然の猛威に

2017年07月14日 09時17分04秒 | Weblog
私は
小学校の中学年頃に
学年旅行で訪れた阿蘇で
風にそよぐ草木や
ほおを撫ぜる高原のそよ風に
自然の優しさをおぼえた

山はいいなあ
阿蘇はいいなあ
いつかまた訪ねてみたいと
心から思った

それから何度か
阿蘇を訪ねたが
就職後 阿蘇勤務を希望し
とうとう家族で阿蘇谷に
住めるようになった

阿蘇赴任のため
家族4人で 軽自動車に乗り
阿蘇立野を走っている時
道路脇には
久しぶりの噴火による火山灰が
結構降り積もっていた
私らは 早速の火山灰の歓迎に
気持ちは やや揺らいだ‥

一年住めば
阿蘇もいろんな顔をみせる
春先や初夏 あるいは秋の阿蘇は
とても素敵だけれど
真夏や真冬 あるいは雨季の頃も
阿蘇は 知らなかった顔をみせる

雲は近いし 雨は斜めに降るし
雷は ドン!といきなり落ちるし
梅雨時は 広場のあちこちで
綺麗な湧き水がコンコンと湧いて
さながら池のようになり
九月に入ると
風は次第に秋の涼風
それが 12月になると
急に寒気が 地面を凍らしていく

冬 雪はどんどん降り
朝に目覚めれば
枕元には粉雪が
うっすらと降り積もっていた

確かに南国熊本にはあるが
真冬の阿蘇は 雪積もり
タイヤもスリップし
時には自転車でも通勤したが
橋の上では風に車輪をとられて
ふらふら走行だ

スケートは週に二、三回
スキーは シーズンで二、三回
ただ暖冬にはさすがに弱い

ある夏のとき
雨がどんどん降り
すぐそばの川の水が
みるみる溢れてきて
家の床下へ そして床上へ
畳は次々に浮き出し
テレビが倒れ 冷蔵庫も倒れ
トイレは逆流し
とても此処には居れない

たまたま賞品で貰っていた
ゴムボートを引っ張り出し
当時 幼児だった長女を
ボートに乗せ その紐を
暗い中を 胸位の水の中を
少しずつ足でさぐっては
ボートの紐を引きながら進み
高台の細道まで何とか辿り着き
旅館に行こうとするが
その細道が何と川になっていた

山裾の旅館にやっと辿り着き
雨音の中で夜明けを待った

その後 住宅に戻り
片付けや消毒の立会いなどをして
妻と子は生活できないから
しばらく実家に戻って貰い
私は知り合いの家に
何日か泊めて貰ったので
その親切が大変ありがたかった

その復旧後も
二度ほど浸水したが
私は 転勤の日まで
3年間 阿蘇に居続けた

自然は
不定期的に牙を剥くが
普段は とても穏やかで
いろんな恵みをもたらしてくれる

だから
自然が牙を剥く時は
牙を剥く時期の早目の特定と
牙を剥いている時の対処と
その被害に遭った後の対応とを
日頃から事前に想定企画しておき
できるだけの自然と人との共存を
皆んなで考えていけばいいと思う

ps 2017.7.10 草稿 現在の九州北部豪雨では 犠牲になられた方が 次々に見つかり なんともいたましい限りです。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし のこされたご遺族の方々や 被害にあわれた方々に 心よりお見舞いを申し上げます。また、行方不明になられている方々が 1日も早く見つかりますことをお祈りいたします。
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みね子の初デート〜ひょっこ

2017年07月13日 17時35分40秒 | Weblog
みね子は デートの後半で
大学生の島谷の大学に
行くことを希望した

講義室の指定席(と島谷が勝手に決めている)に座るみね子は
何だかうれしそうだ

自分も 彼女が
そんなことを希望したら
とてもうれしいだろうなあ

経済学部に在籍し
親の後を継ぎたい、
家の仕事は好きだ
父やおじいちゃんのようなりたい
そして 超えたい と話す島谷に
素敵じゃないですか!
とみね子は返す
島谷は 相手がみね子だったから
自分の本当の想いを伝えたのだろう
また それに対して
素直に返すみね子に 島谷は
更に好意を抱いたことだろう

初めてあった時のことも
話題になって
みね子が財布を落とし
島谷が拾ってくれて
そして 叱ったこと‥
を デートで話す

初めての出会いって
思い出深いし 記念にもなる
私らは 最初の出会いは
彼女Jの講義室に
慌てて間違えて入った時かも
でもその時は 対面していないし
やはり 職場での紹介かもしれない
だけど 私は 当時の様子を
ほとんど覚えてはいない!

もてないほうがいい‥と呟くみね子
みね子の胸には
既に恋心が芽生えてきたようだ
みね子の仕草や表情が
初々しくて輝いて見えた

2017.7.13 木曜 初デートは 人生一度切りだ その想い出は 大事にしたい でも 次に出会った人との初めてのデートも 大事なものだし 結婚にゴールした人との初デートが やはり一番大切だろう
ひょっこの話は 一度視聴して 想起しながら このコメントを書いたので 一部内容が違っているかもしれませんが ご容赦ください(カエル)
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南阿蘇村のコテージにて

2017年07月06日 01時28分01秒 | Weblog
今 阿蘇ファームランドに
家内と娘ファミリーと
五人で泊まっています

外は 時折雨が窓を叩いています

阿蘇ファームランドは
南阿蘇村にあって
この辺りは
去年の熊本大地震で
大きな被害に遭った
地域の一つです

すぐそばには
東海大学(農学部)の学生村
(学生アパート)があって
三名もの尊い命が奪われました

私たちが今泊まっている
この施設から1㎞位しかありません

福岡市に住む娘婿の運転で
熊本市の我が家に立ち寄り
大変な被害を受けた立野地区を
避けて 外輪山の道を迂回し
やっとたどり着きました

もう少し東の方では
大雨や豪雨が降り続け
朝倉市や日田市、添田町などでは
とても危険な状況にあり
道路や家、橋、堤防などが
洪水や大水で大変な状況にあります
流された人もおられるようです

(画像は 先日の白川の様子です。4日、散歩で通りました)
被害が これ以上ありませんようにと
お祈りします

激しい降雨は
夜間に起こることが多く
ここ南阿蘇でも 12時過ぎて
波状に降り出し
雷の音も聞こえます

この雨の降りかたは
当時娘が
丁度孫娘位の時に
家族四人で阿蘇に住んでいた頃を
想起させました
阿蘇の内牧に3年間住んでいました

今 コテージで
明日の(というより今朝の)
帰りのことを考えると
予測がつけにくいだけ
心配ではあります

我が家に残した子猫のこともあり
今夜は これからほとんど
眠れないでしょう

PS 2017.7.6 午前1:15 頃 ドーム型の小さなコテージにて
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亀が戻った?

2017年07月03日 09時29分17秒 | Weblog
2016年 4月 14日
熊本地震が起きた
しかし それは前震だった

4月 16日 には
本震が起きた

その年の初頭か
前年の秋ごろから
近くの川で
よく見かけた亀が
散歩の時に
ほとんど見かけなくなった

確かに 後では
川の工事も始まりはしたが
決定的な原因はわからないけれど
当時 私は
何だか変だなあと感じた

それが 今年になって
亀の姿を見かけるようになった

初めは一匹だけ
ついこの前は
すぐそばの岩の上に
それぞれ一匹ずつ乗っていた

私は
何だかうれしくなった!

地震も治まって来たかもしれないから川の工事もやがて終わるから
これからは 亀さんに
どんどん顔を見せて欲しいと
散歩中の私は そう願っている

2017.7.3 草稿
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夏に想う〜4話

2017年07月02日 16時51分40秒 | Weblog
(1)ラッキョウ
夏になると
ラッキョウが欲しくなる
昨夜
この前買ったラッキョウを
何個か食べ
今日のお昼も食べた

シャキシャキしてて
甘酸っぱくて
夏になると
欠かせない食べ物だね

(2)おじさんとハローキティ
散歩してて
アルミ缶集めのおじさんを
何気に見た

すると おじさんは
自転車の右ハンドルに
小さな人形を
二、三個吊り下げていた
夏の帽子に
ハンドルには 日傘

荷台には
結構な量の空き缶括り付けて

夏バージョンの
働くおじさんだった

(3)木陰の方へ
昼前の散歩は
暑くてこたえる

ゆっくり歩きながら
木陰の方へ 木陰の方へと
向きを変えて行く

私たちヒトは
何万年もの間
生きるために
何億本の木々を
切り倒してきたことだろう

木陰が次々に消える

だから
今は 必死になって
木陰を探しているのかもしれない

(4)蝉が鳴く
六月の最終日
やがて取り壊される公園で
蝉の鳴き声を聞いた

一年ぶりの蝉の初鳴き

半夏生になると
蝉が鳴き始めるそうだ

次の日に
散歩の帰り
知り合いのおじさんが
今日 蝉が鳴きましたよ
と教えてくれた

私は
そうですか
私もこの前(6/28)聞きましたよ
と答えた
川(用水路)では
蛍も飛び始めたと
近くに住む女の人が
教えてくれた

近所のホタルの里は
震災と橋の工事で
休止しているのに
今年は
自然に羽化してくれたのかしら
と うれしくなった

PS 2017.7.1 草稿 7.2 追記
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東芝とポケットベル

2017年07月01日 10時59分26秒 | Weblog
今 存亡の危機さえ感じるあの東芝
電気事業では トップグループの一つだが
私は その東芝に
高卒後 1年間だけ勤務していた

1970年(昭和45年)
日本が モノづくりで
急成長を遂げていたあの頃は
電気事業の会社も
とても勢いがあった

しかし 当時の私は
大学進学を目指して
大企業の東芝を退職した

東芝のH 工場では
電話の信号を送受信する伝送機器や 最近 災害時の有用性から
見直されてきた
あの懐かしいポケットベルなどを
大量生産していた

1年間の社員だったが
一度だけ
あの有名な土光敏夫社長(当時)を
離れた職場から
遠くに拝顔した記憶がある
土光さんが
工場視察で訪れた際のできごとであった

あの頃は 東芝も
かなりの実力と実績を持っていた
一社員の私も 製造現場で
誇らしい気持ちを持っていた

現在の東芝が
一日も早く再建して
大勢の社員が
路頭に迷うことがないように
以前のように
素晴らしい業績をあげますようにと
七夕様にお祈り致しましょう

PS 2017.7.1 草稿
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