登山道から滑落、女性死亡
丹沢・塔ノ岳へ続く尾根
1/29(土) カナロコ
秦野警察署
29日午前7時50分ごろ、神奈川県秦野
市堀山下の登山道で、登山中だった二宮町
一色、パートの女性(66)が滑落し、顔
などを強く打って死亡した。県警秦野署が
事故原因を調べている。
署によると、現場は塔ノ岳へ続く小草平尾
根付近。女性は友人ら3人で登山中で、柵
がなく幅約1メートルの登山道の右斜面を
120メートルほど滑落したという。
川崎港護岸に遊漁船衝突、船長ら
4人けが 釣り場移動中
1/29(土)
(写真:神奈川新聞社)
29日午前4時40分ごろ、川崎市川崎区
の川崎港浮島埋め立て工事の護岸に、遊漁
船(1・3トン、全長6・14メートル)
が衝突した。男性船長(48)が左足を骨
折し、同乗者3人も前歯を折るなどのけが
を負った。
川崎海上保安署によると、遊漁船は同日午
前2時半ごろ、東京都江東区の東京湾マリー
ナを出港、同3時ごろ、羽田空港東側の海
域で釣りを開始し、同4時過ぎに場所を移
動するため航走していたところ、護岸に衝
突したという。
4人は別の船に助けられ、いずれも都内の
病院に搬送された。天候は晴れで海上は荒
れていなかったという。同保安署は事故原
因を調べている。
移転の平塚市立相模小、新校舎が完成
4月1日開校、地域のシンボルに
1/30(日) カナロコ
地域のシンボルとして4月から供用
開始する平塚市立相模小学校
(市提供)
神奈川県平塚市大神地区のツインシティ整
備事業に伴い、移転工事が進められていた
市立相模小学校(同市大神)が完成した。
「地域コミュニティーのシンボル」に位置
付けた新校舎は、4月1日に開校する。
同小学校は同市北部の人口増加に対応し、
同市田村地区から移転。2019年12月
に着工し、昨年12月に完工した。新年度
から1年生~6年生約300人の利用を想
定している。
新校舎は鉄筋コンクリート2階建てで、児
童の動きが見通せるように1階をコの字、
2階をロの字の平面構造とした。床や天井
などに木材を使い、校舎中央には学年やク
ラスの垣根を越えて交流できる中庭「虹色
テラス」を設置した。図書コーナー近くの
大階段では自由に座って読書できる。
環境にも配慮し、屋上には太陽光発電パネ
ルを完備。教室に面したバルコニーにはひ
さしを設け、夏場の暑さを低減させる狙い
だ。
ひらしんホール開館まで2カ月
市民の憩いの場として
オープニングイベントも多数企画
タウンニュース
3月26日(土)の開館まであと2カ月に迫
った平塚市の文化芸術の拠点「ひらしん平
塚文化芸術ホール」のマスコミ向け視察会
が、1月21日に行われた。
オーケストラピットを設備
同ホールは、1200席の大ホールと最大
200人を収容できる多目的ホールをはじ
め、音楽、ダンス、会議、絵画、茶道など
各種用途に適した会議室や練習室、和室な
ど8室を備えた文化施設となっている。
何といっても目玉は大ホール。コンサート
はもちろん、演劇やバレエ、企業の式典や
講演会等に利用できる。舞台形式は、観客
席から見て舞台を額縁のように区切ったプ
ロセニアム形式で、間口18ⅿ〜20ⅿ、奥行
16ⅿ、高さ8ⅿ〜12ⅿ。オーケストラピッ
ト、可動式音響反射板を設備。座席は七夕
の夜空に瞬く夏の大三角形の星座と夜空に
揺れる七夕飾りの笹の葉をテーマに、紺色
(七夕の夜空)、緑色(笹の葉)、グレー
(星)で表現している。担当の市文化・交
流課では、「より多くの演目に対応できる
ホールになっている。市民のためのホール
なので、いろんな人に利用してもらえれば」
と呼びかける。
市民のくつろげる場に
1階の多目的ホールは、音楽、演劇、ダン
ス、講演会、レセプション等に利用できる。
そのほか、2階の文化芸術支援室には水場
も完備。陶芸や絵画、華道などの教室も可
能だ。
また、ホールの至る所にテーブルと椅子が
設置されているため、いつでも気軽に利用
できる。これらの家具は、県産のヒノキを
利用しており、木のぬくもりを感じられる。
同課では「市民のみなさんに、くつろげる
場所としても利用してほしい」と話してい
る。
オープニング記念公演参加者募集
3月26日(土)には、開館記念公演を開催。
現在、観覧者を募集している。出演は、神
奈川フィルハーモニー管弦楽団。曲目は
「交響曲第9番『新世界』より第4楽章」
、「七夕おどりオーケストラアレンジ版」
他。午後3時〜と5時15分〜の全2回公演。
入場料無料。対象は平塚市在住の人(未就
学児は不可、小学生は保護者の同伴が必要)。
募集定員は1回目が800人、2回目が
1000人(抽選)。観覧希望者は、往復
はがきまたは市ウェブの応募フォームから。
同時に4人まで応募可能。1月31日(月)
消印有効。
3月27日(日)〜31日(木)はオープニン
グウィークプログラムを企画。入場・参加・
観覧無料、入退場自由(27日大ホール公演
を除く)。
詳細・問い合わせは同課
【電話】0463・32・2235へ。
歴史ばなしの舞台を行く【2】
石橋山・石橋山合戦と真田与一の奮戦
タウンニュース
佐奈田霊社本殿
いつも「ひらつか歴史ばなし」をお読みい
ただきありがとうございます。平塚にゆか
りのある人物のエピソードや平塚で起こっ
た出来事などを物語形式で掲載してきまし
たが、その物語の実際の舞台も紹介したい
と思います。
前回(第一回・石橋山・石橋山合戦と真田
与一の奮戦)からの続きです。石橋山の戦
い(一一八〇年)で、源頼朝(みなもとの
よりとも)から先鋒(せんぽう)を命じら
れた真田与一義忠(さなだよいちよしただ)
と、敵の俣野(またの)五郎景久(ごろう
かげひさ)が組み合ったというねじり畑か
ら山側に階段が伸びています。念仏坂(ね
んぶつざか)と言うそうです。
ここを登っていくと、この地で討ち死にし
た与一を祀(まつ)る佐奈田霊社(さなだ
れいしゃ)があります。神仏習合(しんぶ
つしゅうごう)の霊社です。現在も神仏習
合のままの施設は、全国的にも珍しいので
はないでしょうか。
霊社は、のど・せき・ぜんそく諸祈願所と
して参詣(さんけい)されています。それ
は、与一がのどの神様として祀られている
からです。神号(しんごう)(神としての
名前)は、魁秀明神といいます。
与一には次のような話が伝わっています。
石橋山の戦いのとき、与一はのどを患って
おり(あるいは喘息(ぜんそく)の持病が
あったとも)、俣野五郎と組み合ったとき
に声が出せなくて、味方の応援を呼ぶこと
ができなかったと言います。
別の伝説では、俣野五郎を組み伏せた与一
が、五郎の首を斬ろうとしたとき、血のり
で脇差(わきざし)の刀が鞘(さや)から
抜けず、口にくわえて引き抜こうとしたと
ころせき込んでしまい、駆け付けた長尾
(ながお)新六(しんろく)定景(さだ
かげ)のために討ち取られてしまったと
いうのです。
霊社では、のどに効くという佐奈田飴
(あめ)や御霊符(飲み込むことで霊験
(れいげん)があるという小さな紙片)が
売られています。
霊社を管理しているのは、ここから少し離
れたところにある石王山地蔵院宝寿寺(ほ
うじゅじ)です。霊社発行の冊子には、次
のような内容が書かれています。与一を討
った長尾新六は、後に捕らえられ岡崎義実
(おかざきよしざね)に預けられますが、
義実は彼を許します。定景は石橋山に来て
庵(いおり)を結び、与一の冥福(めいふ
く)を祈りました。その庵の跡に、天正十
五年(一五八七)、真言(しんごん)宗の
真源和尚を開山として建立された寺院が宝
寿寺です。その真源和尚が、石橋山古戦場
に与一を祀るため霊社を建てたのです。
本殿には、与一像が祀られており、江戸時
代に書かれたという与一と俣野五郎との組
討(くみうち)図も掛けられています。ほ
かに、つぶて石(武器として使用された小
石)や刀が、古戦場の埋蔵品として展示さ
れています。
境内には、与一を葬(ほうむ)ったという
与一塚や、戦場に赴(おもむ)く前に与一
が力試(ちからだめ)しをしたという手付
(てつけ)石があります。掌(てのひら)
の形が残っている石です。ただ、この手付
石について、『新編相模国風土記稿(しん
ぺんさがみのくにふどきこう)』(江戸時
代後期に編纂(へんさん)された地誌)に
は、敵将である俣野五郎が付けた掌の痕だ
と記されています。もしそうであれば、怪
力の五郎を組み伏せた与一はもっと強いと
いうことになりますね。
ねじり畑から南西に坂道を上がっていくと、
与一の郎党(ろうとう)(家来)である陶
山文三家安(すやまぶんぞういえやす)を
祀る文三堂があります。文三が討たれた場
所と言われています。文/平塚てづくり紙
芝居の会 たもん丸
佐奈田霊社与一塚