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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生、上弦・小潮

2017年04月04日 | Weblog

 二十四節気 清明 春の日差し強く、天空清く晴れ渡る。と言う意で、清明と呼ばれる。毎年、四月五日頃である。昨夜の宇宙も、満天の星で、心ゆくまで観望していた。家々には、明々と灯が燈り、お金さえ払えば、何不自由しない生活である。

 自然との共有には、宇宙を観あげることも大切で、雲の様や、風の強弱、湿気にも注意したいものだ。連休辺りまでは、霜が降りるので、種蒔や苗物には注意が要る。棲んで居る土地で、そういったことは違い、変化するのも気をつけたいものだ。

 旧暦で暮らしの目処を立てると、実に気温の変化が愉しい。綿抜という時期も、こういったことを踏まえて言うが、四月朔日からきていることに気づく。尤もだが、新暦の4月1日は、旧暦の弥生五日で、この日とは異なる。今月の26日が当たる。

 祖母の言っていた習わしも、子どもの時にはうっとうしかったが、今となると、云い得て妙だと解かる。西洋の遣り方を取り入れているのが、強ち悪いと言うのではない。日本には、この国の季節と遣り方があり、自然からの恩恵には欠かせない。

 俳句には、季節感のある言葉が詠みこまれているが、実に的確な表現であろう。才能がないので、もっぱら読むばかりだが、思わず微笑む詩がある。某新聞には、毎日載っていて、これも愉しい。そんな小さなことに眼が、心が向くことに感謝す。

 今月から、大幅な値上げが始まった。新聞を止めようか、とも悩むが、テレビを観ないので、活用して世間を知りたい。人間として、学びも努力も、生きている間は、どんなことでも続けたい。原発の再稼動は、何としても止めたいしさせたくない。

 核のゴミ・プルトニュームが出て、それを戦争に使う計画が判るから、反対するのだ。原発が、安心で安全と言う帰順には、そういったことは含まれない。自分達の生活を守るのではなく、破滅への途しか、そこにはない。その保障は誰がする?

 昨年の花芽の状態の、白枇杷。9年を過ぎた時期から、一枝付き、三枝になり、以後鈴生りの見事さ。

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