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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

涼しくなりました。

2010年09月14日 | Weblog
 台風を境のように、一気に涼しくなった。それなのに、扇風機は回すわ、冷房はつけるわの寒さに、発熱してしまった。いえ、私ではありませんです。体の自由が効かない人にとっては、温かいのは未だしも、寒いのは逃げ場がない。汗をかけば、水分も摂れるし、着替えさせればいいのであって、寒いとほしくはありませんよ。単に飲ませばいいのかと思えるときもある。飲めるような状態や、喉が渇いて飲んでくれるのがベストだが。

 今の時点での出発なら、スタッフ同士の協力でできるかもしれない。けれども、既に数十年が経っていて、習慣として慣れてしまっていれば、今更どうしたって変えるのは困難。1ヶ月の決まった予算では、献立も限られてくる。好きな物は個人差があるから、それを全て聞いていたのでは、経営が成り立たない。しかし、食べる物がない。と弄繰り回して残されたのでは腹も立つ!家族の者が、違う料理を持ち込んでくる訳でもない。

 好きな料理ばかりはないよ。我儘も程ほどにしてちょうだい。と言いたくもなる。でも、喉から出かかった言葉を押し込んで、少しでも食べるよう説得する。いろんな方法があるから、一概には断定できないものの、何より心配なのは、栄養面である。唯でさえ、骨が脆くなったり、動かないから浮腫んだりするのだ。悪くなっても、いいことにはならない。そういった時に、枇杷葉は体内の臓器の維持や、回復に力を発揮するのだが、そこは一存でいかないときている。

 枇杷葉の活用をすれば、百人力なのであるが、国の規定には合わないし、認めてはもらえない。非常に残念なことなのです。枇杷葉茶を飲んだり、湿布で使ったりすれば、回復は無論のこと、頭の中の細胞も死んでいく数が減るだろう。もしかして、認知症だって進行が止まるかもしれないし、奇跡が起きるかもしれない。薬の投与ばかりに偏らないで、もう少し踏み込んだ柔軟性でやってもらいたい。

 人間の尊厳を踏まえた、心の通ったターミナルケアでありたい。本当の我が家ではないけれど、家族の想いを汲んだ、堆の住処を提供した場所で、命を終えることができるなら、どんなにいいだろうかと思えるのだ。勿論、理想と現実は違う。けれども、そこにあるのは、心の在り方のような気がしてならない。人間は、死んだら終りなのではなく、そこから初めて始まるのではないか?肉体が滅びてこそ、一緒になれるような気がする。

 今夏、涼やかに咲いていた。豪華な花もいいですが、小さな花も好きです。鉢の中にひっそりと咲いているのはいいものです。

 昨日の文中、『弱体』とあるのは、打ち間違いで、正しくは『虐待』です。訂正してお詫び致します。
コメント
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