ここには慈円本来の姿勢があって、ほっとする。大声で泣く姿は似合わない。
ひらかなy163:なにもない そらとみえても ねんじれば
ふじもはなさき くももむらさき
ひらかなs1945:おしなべて むなしきそらと 思ひしに
ふぢさきぬれば むらさきのくも
【略注】○むなしき空(空しき空)=「何もない空」。「空し」は、現代語のような
感情を含まない。empty, i.e. vast, sky。
○藤咲きぬれば紫の雲=「藤が咲けば、紫の雲(が出る)」という因果
関係が、文字通りの意味だが、高僧である作者が経典を読んで感じた
作品なので、「藤」は観音経、「紫の雲」は阿弥陀来迎(らいごう)を暗示
する。現代詠では因果現象を並列に変えた。補説参照。
○慈円=悠 002(06月29日条)既出。
【補説】藤の花と紫の雲。たとえば『方丈記』に、春は藤波、紫雲の如し、『徒
然草』に、夕暮れ時の藤花は紫雲のよう、『枕草子』冒頭に、春は曙、
山際に紫の雲、などなど、わが先人たちは、当然のようにこれらを結び
つけていた。
和歌の世界でも、「紫の雲にぞまがふ藤の花/(略)」(慈円)、「西を
待つ心に藤をかけてこそ/その紫の雲を思はめ」(西行。西とは言うま
でもなく西方浄土)、「藤の花それとも見えず紫の/雲はいかでか空に
立つらん」(大江房)、「しづかなる庵にかかる藤の花/待ちつる雲の
色かとぞ見る」(式子)など、調べればいくらでも出て来る。
つまり、死期が迫ると西の空に紫の雲が現われて、その雲に乗って阿
弥陀が極楽浄土へ導いてくれる、というのである。科学が高度に発達して
いる現代でさえ、宗教に拠り所を求める人が絶えないのだから、仏教が
当時の知識人たちの精神構造の中枢を占めていたことは、想像に難くな
い。間もなく浄土信仰の全盛時代になる。