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【資料】古代日本語論-Y20060124

2006-01-26 03:00:00 | literature

 木簡で古代日本語解明/犬飼・愛知県立大教授が研究書

  「古事記」や「日本書紀」「万葉集」などをもとに進められてきた古代日本語の研究が、木簡などの出土資料の活用により、近年新たな展開を見せている。とくに、記紀や万葉以前の7世紀に、日本語がどのように漢字で表記されるようになったかが、明らかにされてきた。最新の研究成果をまとめて、「木簡による日本語書記史」(笠間書院)をこのほど刊行した犬飼隆・愛知県立大教授に聞いた。(片岡正人)
                      
 日本で書かれたとみられる古代の文字資料としては、2世紀以降の墨書・線刻土器や5世紀の稲荷山鉄剣銘などが知られる。しかし、前者は文ではない。後者も日本語ではなく漢文、つまり中国語の文法や用字にのっとって表記されたものだ。これに対して、木簡(7世紀に出現)は、日本語風に崩れた変体漢文で書き表されており、日本語表記の初期の姿を伝えるものとして位置づけられる。
 従来の記紀や万葉集をもとにした研究では、はじめ、正確な漢文を習得した一部の高級役人が日本語を漢文の文書にしていたが、それが普及するにつれて、文章が崩れていくというのが通説だった。ところが、木簡の研究により、「崩れた漢文の形で日本語の表記は始まり、徐々に書記法が整っていったことが、わかってきた」という。 それは、なぜか。「すでに朝鮮半島で、当時の朝鮮語を変体漢文で表記する方法が開発されており、それを日本人が応用したからです」。近年、朝鮮半島の古い金石文と木簡が知られるようになり、日本の木簡との比較が可能になった。その結果、文章の様式、漢字の本来の意味用法と異なる使い方、中国の古い音を残した「古韓音」の使用など、多くの共通性が確認された。
 「日本語を、語るままに表記しようという試みが始まったのは、6世紀中ごろだと思います。大和朝廷が近代化を目指した欽明、推古朝のころ、大量の行政文書が必要になったのが背景にあるのでしょう」。当初、行政文書は渡来人か一部の書記官が漢文で書いていたとみられるが、大量の文書が必要になったとき、多くの役人に正式の漢文を勉強させるより、日本語を漢字で書く方法がすでにあったのを活用した方が効率的だと判断されたのだろう。これは現代で言えば、日本語を正確に英訳するのではなく、カタカナを使用することと似ている。
 犬飼教授は学生のころ、仮名の字源となった漢字が、万葉集の中に万葉仮名として使用されていないものがある(例えば、「め」の元となった「女」)ことを不思議に感じていたという。この事実から、万葉集などとは位相の異なる日本語があるはずだと確信し、三十数年にわたり木簡の研究を続けてきた。
 それは、木簡に記述された言葉が、当時日常的に使用されていた日本語にもっとも近い存在であることを明らかにしてきた過程でもある。「文学的な観点から言えば、古事記や万葉集は当時の最高峰かもしれませんが、日本語という視点から見れば、古代日本の文字社会の片隅でしかない。普通の日本語の世界を理解してこそ、古事記や万葉集も正当に位置づけられると思います」。
 現代日本語は、万葉集に起源があるのではなく、木簡の延長戦上にある。木簡は今後ますます、古代日本語の実像を明らかにしてくれそうだ。

 写真一葉[「木簡には古代日本語のなぞを解くヒントがたくさん隠されている」と語る犬飼教授]略。
 2006年01月24日(火)付け読売新聞東京本社版から、全文転記。

【追記】同日同紙別面に、「井真成」関連かとする、土師器の墨書が確認されたとの記事がある。奈良・葛城市歴史博物館、前日発表。同日トップはLD社長逮捕。