8月18日 (土) ②
平成17年1月1日より 960日目
歩いた歩数 その距離
本日 14,463歩 10,124m
総計 13,418,543歩 9,392,980 m
北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 356,170m
汎さんのコメントに甘えて「終戦前後事情」について、少しばかり記して置きたいと思います。
昭和20年の初夏、参謀本部から「弱兵解除」の命令が出た。戦局は我に非なり。本土決戦は避けがたい機運の中で、「全隊員の10%を目途に弱兵を除隊させよ」と言うのだからこの命令には驚いた。無理をして召集した中には、事故者や老兵で軍務に耐え難い兵士が含まれていることは事実だが、この期に及んで何故と疑問に思った。
本土決戦となれば、軍人・市民の区別無く在住戦場となること、軍人と市民の間には食料の配給に差があるので、「弱兵解除」によって食料が節約出来るためと言う。一億玉砕を意識しての命令か?この知らせに隊内は騒然とした。「戦う意欲から」ではなく「若しかすれば自分も該当するかもしれない。帰れるかも?」というムードからだ。
私の戦友(真の意味での戦友とは自分のベッドの両側の兵士のこと)であるM上等兵から嘆願された。「俺はウチに女房も子供もいる。(後で判った事だが彼は独身だった)それに俺はマラリヤだ。是非頼む」という。彼は明治(大学)の出身で暗号兵だったが、成績が芳しくなく、痔で護国神社で英霊の位牌書きやっていた。頼まれなくとも該当間違いなしの人間だった。
彼は、私に腕時計を差し出して「これをお前にやる。形見にとってくれ!」と。8月10日、弱兵解除の氏名が発表されて彼は晴れて除隊となった。「戦争は負ける。軍隊に居ると、捕虜になって、金玉取られて一生アメリカ人の奴隷だ。お前には恩を着るよ。ついちゃ、俺が合図するから、この編状靴(軍隊で支給された靴)を弾薬庫の裏から外へ投げて呉れ!」と言って意気揚々と除隊した。それから5日、終戦となった。
戦争が終わって翌年、城山でぱったり会った。彼は地元の学校に就職して、同じ学校の先生を嫁に貰って今は幸せだ」といった。聞いたところによると、たいへん評判の良い教師だということだった。あの嘘つき野郎が!と思うと開いた口が塞がらなかった。