12月28日 (月)
平成17年1月1日より 2,188日目
歩いた歩数 その距離
本日 15,693歩 10,985m
総計 30,889,096歩 21,622,367m
イラン・トルコ、イスタンプールからギリシャのテッサロニキに向かう。後 47,628 m
アースマラソンの間寛平さんは12月27日午後3時45分、青島在住日本人に迎えられて、青島のヨットハーバーに到着した喜びのニュースをスノータイヤ発注で訪れた「オートアールス」のテレビで見た。
スタートの大阪を発って741日目、太平洋・アメリカ・大西洋・フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・デンマーク・チェコ・スロバキア・ハンガリー・セルビア・ブルガリア・トルコ・トルクメニスタン・ウズベキスタン・カザフスタン・中国と走破して、遂に一衣帯水の日本を望む青島に到着した。
私の歩いて世界一周の地図上の走破とは違い、地球の上を疾走して来たので、トルコではー18度トルクメニスタンでは+54度と気温差72度の地を、また宿泊のホテルの無い砂漠では野宿、砂嵐・黄塵の地と悪条件を克服し、トルコでは前立腺ガンが発見され、約2ヶ月サンフランシスコで治療というアクシデントに見舞われるなどの苦難を経てのユーラシヤ大陸の横断、チンタオ・チンタオと叫び続けての到着、号泣と絶叫のシーンには胸が痛むほど感動した。
感動と云えば、アメリカの「アメマーおじさん」は寛平さんの壮挙に励まされて、歩行困難を克服して最後はフランスまで追いかけてきて伴走するまでに機能回復した話や、イランでは感動した映画監督がアースマラソンの通過に感動した怠惰な村民が意識革命したという映画を作り、沖縄で行われた【世界映画祭】に上映した美談などがあった。
私は世界の国民を感動の渦に巻き込んだアースマラソンが中国を通過する時の熱狂を予想し、日中友好のムードが盛り上がって最高度に達するものと期待していたが、主要都市での歓迎もなく、人民の関心も低く、在留日本人の歓迎風景も青島到着以外の報道も少なく期待外れに終わったのにはガッカリした。
少なくともウイグル自治区の州都ウルムチやシルクロードの起点西安でのデモマラソンがあっても良かったし、首都北京経由で天津から出港するプランがとれなかったのは如何にも残念だ。臥龍点睛を欠く思いだ。
それにしても、地球の円周40,000km。741日にして、39,420.8km走破は見事。冬期間特に荒れる東シナ海を無事乗り切って福岡に上陸して欲しい。それからの大阪までのコースは鬱積している日本中が沸き上がる事だろう。そうあるようにマスコミも、もっと真剣に応援して欲しいもんだ。