百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

忠臣蔵

2011-12-14 17:23:26 | 随想

  12月14日  平成17年1月1日より 2,548 日目 
                 歩いた歩数             その距離
本日          15,353 歩          10,747m
総計 35,542,017 歩 24,879,665 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 366,458 m

 今日は忠臣蔵の日。全国各地で義士祭の行われる日だ。播州赤穂の浅野の浪士四十七士が元禄十五年のこの日に江戸本所松坂町の吉良邸に討ち入リ美事主君浅野内匠頭の遺恨を果たした日として、赤穂市・両国吉良邸跡・討ち入り後引きあげた高輪の泉岳寺や四十七士に関係のある寺院などで快挙を祝って義士祭が行われている。

 私は一橋高等小学校在学中のこの日は、四十七士を偲んで学校から泉岳寺まで寒い中、夜行軍で歩いた記憶がある。集合時刻はハッキリとは覚えて居ないが、全校生徒が校庭に集まって全員の先生の指揮の元、泉岳寺に向かって行軍した。私たちの学校は校歌にもあるように”千代田の宮近く・・・”だったので宮城や日比谷公園辺りまでは遊びの範囲内だったが、その先には行ったことがなかったので、ここはNHKの本部(当時は田村町にあった)・ここは愛宕山、放送局のあったところ・ここは増上寺・ここは慶応大学などと教えてもらいながら歩いたのであまり疲労も感じないで泉岳寺まで歩いた。

 着いた泉岳寺は立派だったが、四十七士の墓があまりにも小さくてびっくりした。しかし蝋燭が灯り、大勢のお参り客がが引きも切らずに訪れている姿には緊張した。帰りは流石に疲れて語る言葉も無く学校へ戻った。学校では大きな釜で”トン汁”を作って待っていた。その美味かったこと!肉など入った味噌汁など初めてだったこと冷えた体に温かな汁、すっかり疲れた事も忘れて白々した夜明けに家路に着いた。翌年は豚汁を意識して歩いたように覚えている。懐かしい思い出だ。

 雪などはなかった。しかし忠臣蔵の映画は必ず雪降の仇討ちだ。東京で12月に雪が降るなど考えられない話だ。元禄十五年十二月十四日は旧暦で、その日は西暦1702年1月30日なのだそうだ。1月30日なら雪が降ることもある筈、と納得したが、さてそうすると、義士まつりは1月30日にやるのが順当なのかも知れないなぁと思ったりした。今も泉岳寺夜行軍は続いているだろうか?戦後、連合軍司令部から忠臣蔵への弾圧があったようだから、もうやってないだろう。

 


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