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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

住所録新たに

2010-12-12 17:46:17 | Weblog

  12月12日  (日)  ①
          平成17年1月1日より 2,172日目
                                      歩いた歩数       その距離
          本日          14,607歩         10,225m
          総計   30,661,652歩  21,463,156m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのシワスに向かう。後206,839m

   他人に年賀状の作成を勧めながら手を付けてなかったが、思い立って重い神輿を担ぎだした。先ず【年賀欠礼】を頂いたはがきの整理から始めた。次に住所録の一覧表から送り先の選択を始めた。【自宅あて】の整理が終わって【会社宛】に入ると、個人名が全て載っているではないか。これでは会社宛の一覧表に個人名が重複してコピーされてしまうと考えて、個人名を全部削除して会社宛の一覧表を作成した。

 さて、個人名で落ちてる者は居ないか点検しようと【自宅あて】一覧表を開くと、一人も載って居ないではないか!慌てて「元へ戻す」や【複製】をやってみたが後の祭り。何をやっても今まで何年もかかって築いてきた住所録は水の泡。バックアップを取って置けばよかったと悔んでも後の祭り。泣く泣く全部作り直す羽目になってしまった。

 幸い、個人宛の一覧表は印刷してあったので助かった。「あ」の一番から作り直し始めたが、意外に早いテンポで復旧しだした。3時のお茶になったところで中断、妻と話し合い、この後、日赤に義姉の見舞に行くことにして、住所録の作成は明日に持ち越すことになってしまった。

 大事なものはCDなりUSBメモリーに取って置けという教訓を受けた一日となった。

 


日本語入力辞書を探す

2010-12-11 17:34:08 | Weblog

  12月11日  (土) のち
         平成17年1月1日より 2,171日目
                歩いた歩数        その距離
         本日       15,259歩         10,681m
          総計   30,647,045歩  21,452,932m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのシワスに向かう。後217,064m

  Kさんに電話をかけても通じないし、メールをおくっても文面を削除されて白紙で送られていたことが判ったので、手紙を書くことにした。

 手紙を頻繁に書くとなると、Kさんの漢字は”邢”娘さんの名は”菲”で簡単には出ない。一々IMEパットで拾いださなければならないので、XPでやっていた「日本語入力辞書」に登録して、かな入力で出そうと思い立った。

 ところが、今使っているVistaでいくら探しても何処にも見当たらない。考えた挙句、【活用しよう!ワード】タブをクリックして【旧メニュー対応表】を出して.2003に切り替えて、【編集】から「日本語入力辞書」を探し出した。

 すると、「校閲タブ」の文章校正グループから日本語辞書への単語登録をするよう記述があった。暫くまごまごしたが単語の登録が出来た。これで中国への便りでIMEパットで探す苦労から抜け出すことが出来た。

 邢さんの娘さんのお子さんへのクリスマスプレゼントの用件を書いた便りをだしてホッとした。

 


初雪

2010-12-10 17:06:47 | Weblog

 12月10日  (金) のち
          平成17年1月1日より 2,170日目
                  歩いた歩数     その距離
          本日          16,511歩          11,558m
          総計   30,631,786歩  21,442,250m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのシワスに向かう。後227,745m

                
                      飯山シャンツエの初雪

                
                

                    おらほの方言 NO.54

           先月、恵比須講で買ったゴム靴も,籤で当た
              ったシャベルも雪の便りがなく、ナイロンの袋
              をかぶったまま、除雪機のヤツも庭先で閑そ
              う~。・・・もうボツボツいいから(雪)降ってもら
              って。やっぱりこの辺りは降るものが降って、朝
              暗い裡からブルドーザの音で元気が出る!!

  今日の北信濃新聞に載っていたかのえさんの雪を待ち望む気持ちが伝わってくるおらほの方言が造化の神に通じたか、今朝はうっすりと雪が残っていた。

 昨夜、バチバチと音がして霰が降って来たがその後雪に変わったようだ。この頃の朝のウォーキングは暗い裡に出かけるのでよく判らなかったが、夜が明けた帰り道で飯山にも初雪がやって来たのが判った。ジャンプ台にデジカメを向けて撮って来た。そのあと雨に変わり午後には晴れ上がってしまって淡雪は消えてしまった。

 雪が来て慌てている人もいるだろうし、消えて胸を撫で下ろしている人もいるだろう。私には雪が積もっても消えてもあまり関係はないのだが・・・。

  


日本海へ

2010-12-09 17:14:36 | Weblog

  12月9日  (木) 
          
平成17年1月1日より 2,169日目
                 歩いた歩数       その距離
          本日         16,447歩         11,513m
          総計   30,615,275歩  21,430,693m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのシワスに向かう。後239,303m

   川に鮭が

  9時待合わせだったが少々遅れて、Kさんを乗せてやって来た。そしてS君を乗せ、山崎さんの車は日本海に向かって出発した。目的は「川に上って来た鮭を買ってきて、塩を腹に詰め込んで一週間ほど寝かせてから風通しの良いところで乾燥させる。200円の鮭が数千円の味になる。その夢の実験をやる。」というものだ。

 日本海はもう数年も見ていないし、瀬波温泉で見た吊るされた 高価な鮭が自分でも作れるのかと思いながら、子供のような夢にはしやぎながら助手席に乗って行った。新潟県に入ると、懐かしい道から全く変わってしまった道を走っているのに気付いた。山崎さんの新感覚に敬服した。

 日本海に出て、谷浜から有馬川に出た。北陸路にリンゴを積んで走った若い頃を思い出し懐かしかった。最初の目的地、有間川の魚場に着いた。情報では明日10日で店終いという話であったが、水槽には一尾の鮭も居らず、留守番らしい老人が「終わった。また来年いらっしゃい」と云うのみ。

 川には鮭の遡上する姿が見えるのだが、【今年は沢山獲れたのでもう欲がないんだ」と山崎さんは諦めて、「川の鮭を獲ってもイイか」と聞いたところ「手が後ろに回るヨ」と断られたので、次の目的地名立に向かった。

 ここでは漁師が投網を投げて鮭を求めていたが、殆ど空振りで獲れた鮭の値を聞くと【千円】という。持ち続けていた夢を打ち砕かれてガッカリ。雨も降って来たので退却することになった。

 道の駅で昼食をとった。注文した「きつねうどん」がうどんの上に大きなアブラケが丼を跨いで載っていて驚かされた。味は良かったが大きなアブラゲはどうしても食べきれず残してしまった。これがたったの500円。安いのにも驚いた。

帰り道、魚勢により、吊るされていた鮭を見つけて、買い求めた。「川に上って来た鮭を買って行き、こんな鮭を作ろうとやって来たんだ」と云うと、「川にやって来た鮭は味が落ちて食べられません。これは9月に海で獲れた美味しいものです」とのこと。プロの説得に納得した。夢は砕かれたが良い勉強になった一日だった。


太平洋戦争開戦の日

2010-12-08 17:11:55 | Weblog

  12月8日  (水)  ①
          平成17年1月1日より 2,168日目
                   歩いた歩数       その距離
          本日         14,374歩       10,062m
          総計   30,598,828歩  21,419,180m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのシワスに向かう。後250,815m

  昭和16年12月8日、私は16歳。東京神田神保町の錦水館の3階4号室に居た。その日は早起きして部屋の掃除をしていた。6時、ラジオは「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という大本営からの発表を放送した。

 私は芝商の生徒で、夏休みの宿題で【日米交渉】の取材をしていた。そして日本軍の中国大陸からの撤退をアメリカから要請され、ABCDラインによる海上封鎖をされて日本の経済はジリヒン状態という中で、国民は息苦しいほどの緊迫感も持っていた。私も戦時教育を受けた血の気の多い日本男児として【アジアは一つ】などと白人敵視の感情に燃えていた。

 それが軍艦マーチも勇ましく大本営発表で米英と戦闘状態に入れり!」続いてハワイ奇襲攻撃、大戦果。イギリス戦艦プリンスオブウエルズ撃沈などの戦果、大勝利の放送に、溜まっていた鬱憤が一遍に爆発。持っていたはたきで軍艦マーチを踊り大興奮した覚えがある。あの少年の感激は今でも思い出すたび血沸き肉躍る。若き日の思い出だ。

 戦争は負けた。日本は固有の領土以外はすべてを放棄、戦後65年、廃墟の中から立ち上がって今日の平和国家としての地位を取り戻した。歴史を振り返って反省すべき点は多々あろうが、私には少年時代の昭和16年12月8日の熱き快感は忘れることは出来ない。