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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

音波ブラシ

2012-01-08 17:49:00 | 自分史

  1月8日(日) 平成17年1月1日より 2,573日目
         歩いた歩数        その距離
本日       13、864
歩        9、705m
総計 35,848
,249歩 25,093,774m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 152,096m

                       

                      

 風呂に入り歯を磨きながらながら考えた。私も87歳だ。あと3年で90歳。ぼつぼつ人生の幕引きを考えて置かねば・・・との思いが横切った。近い裡に菩提寺に年始に行こう。その折り、、院号居士などの戒名だか法名だか知らないが付けないで、私の名前のままで「霊位」とか「の墓」でやって貰えないか、と頼んで置こうと思い立った。

 すると、歯ブラシが停まった。私の歯ブラシは音波ブラシなのだ。1秒間に500回も振動するので気分よく歯磨きできる。それが突然停ってしまった。あわてて振ってみたり、叩いてみたが、ウンともスンとも振動しない。振動しない歯ブラシなど何年も使ったことが無いので、なんとも歯がゆい。明日はネットショップで新しいのを注文しようと決めた。

 磨き終わってから首の辺りをいじくり回していると突然振動し始めた。何のことはない。首の所が緩んでいたのだった。でも直って使えるようになってホッとした。菩提寺の和尚さんに院号居士は要らないなんていう話をしようとしたからかも知れないと思った。

 私は無神論者で、天国も地獄もない。少しばかりのお賽銭を投げてご利益を願う気持ちもないし、お守りで災難が防げるなんて思ったこともない。無神論者を検索していると、注意書きが出ていた。海外に行って「無神論者」であることは口外してはならない。軽蔑されるか警戒される・・・、と。なるほど!国内でも同じだ。和尚さんに「戒名なんて要らない」なんていう話はしないことにした。

 


忘れられない七草粥

2012-01-07 17:47:41 | 自分史

  1月7日(土)時々 平成17年1月1日より 2,572日目
         歩いた歩数        その距離
本日       14、781
歩      10、347m
総計 35,834
,385歩 25,084,070m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 161,801m

 1月7日【七草】には忘れられない思い出がある。私たち兄妹は私が5歳、妹が3歳の時、母を亡くし祖母の居る信州に預けられたが、私が10歳の秋、再び上京した。と言っても父が職人として働いていた浅草の宮田家に居候としてやってきたのだった。

 宮田家は金物屋を開いて居たが、お祖母ちゃんは昔気質の方で、孫を連れて松坂屋(デパート)に買い物に出かける時は嫁さんは二人の為に火打石を打って送り出して貰っていた。私はこれを見てただならぬ感動を覚えたものだ。物心づいて以来、そんな神がかった所作を見たこともなかったし、何を意味するものかも知る由もなかった。

 後で人伝に聞くところによれば、火打石を打って悪魔を払い、家に戻るまでの無事息災を祈るものだいう。大した格式のある家柄と思い、子供心に恐れいった。

 そして1月7日、「今日は七草ですヨ」と言われて出された朝飯におどいた。真っ白なお粥に白砂糖が掛けられていた。ご飯に砂糖など掛けて食べたことことは一度もなかったし、まして白砂糖など舐めた事もない。驚いたと言うより【こんな旨いものがこの世にあるか】と思った程美味かった。私はお正月の七草の日には【おかゆに白砂糖を掛けて食べるもんなんだ、と覚えたし、忘れられない日となった。

 その翌年の春、私達親子は神田に越したので、それからは一度も七草にお粥に白砂糖を掛けて食べたことはない。そればかりか、大人になってから七草粥には七色の春の野菜( セリ · ナズナ(ペンペングサ) · ゴギョウ(ハハコグサ) · ハコベラ(ハコベ) · ホトケノザ(コオニタビラコ); スズナ(蕪) · スズシロ(大根). )を刻んで食べるのが昔からの大方の風習だと知った。

 1月7日に白米のお粥に白砂糖を掛けて食べるシキタリを今もやっている地方・場所・家・人をご存知の方、居りましたら教えてください。


中国からメールで年賀状が来た

2012-01-06 17:26:00 | 自分史

 1月6日(金) 平成17年1月1日より 2,571日目
         歩いた歩数        その距離
本日       17、268
歩      12、088m
総計 35,802
,336歩 25,061,635m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 172,147m

 今朝メールを開くと、曹さんという方から「謹賀新年」というメールが来ていた。

【新年明けましておめでとうございます。 石家庄学院から卒業しました曹◯◯と申します。先生が来た頃は当時2年生でした。「百歳までもう一度世界を歩いて」って講演しました。私は励されました。今は青島で日本向けの貿易の仕事しています、カーペットとか。また中国に来ることをお待ちしております。】

 早速、返事を送った。

 【年賀状 ありがとう!私の事を良く覚えて居て呉れましたネ! 嬉しいです!今は 日中友好育英基金の理事長をしています。今年は日本で、承徳地区隆化県の小学校の作品展をやって、日本の子供たちに中国の子供達を紹介して、血の通った友好を推進する計画です。またメールください。】

 メールはタダです。そして直ぐ着きます。こんな便利なものは無い。どうして使わないのか、不思議な位です。実は暮れの裡に肖さんからもメールで年賀状は来ていたのです。例年だと、お金の掛かった豪華な年賀状なのですが、今年に限ってメールでした。二人は今後メールで対話しようと約束したばかりでした。でも私は既に年賀状は発送済みだったのでメールは使わなかったのです。

 曹さんのメールにある【石家庄学院】は石家庄のカレッジで朋友の邢春さんが日本語教師をしている学院で、学生は7千人余りとか。日本語科は200人程で90%は女性だった。

 2009年10月27日午後と28日午前の2回の講義だったが、大いにモテ友好ムードいっぱいだった。私が教室に入るやいやな一斉に拍手に見舞われた。Kさんの宣伝が効いていたようだ。私は「ホンモノの日本人がホンモノの日本語で講義を致します」と挨拶するとどっと湧いた。

 27日は【歩いて世界一周】の話から上杉鷹山の「為せば成る」「やればできる」28日は「大きな物差し 富士山」で自分の健康管理の話から「大きな夢のある目標を持て」「継続は力なり」で締めくくったが、学院からは高価な茶器を頂いたり、学生からはサイン攻めに遭ったり、感動で目頭が潤んだ。いい思い出だ。

         
             石家荘学院 正門で

             
                             思い出の講義

       
                     


箱根駅伝 復路を見る

2012-01-03 17:45:44 | 自分史

 1月3日(火) 平成17年1月1日より 2,568日目
         歩いた歩数         その距離
本日       14、555
歩       10、189m
総計 35,775,104歩 25,042,573 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 203,297m

 箱根駅伝の復路は、予想通り東洋大の圧勝となったが、往路柏原の独走で新記録で制覇した勢いを加速しての大会新記録での総合優勝は美事というほかない。

 前年度総合優勝の早大は終始2位を維持していたが、終盤執念の駒大に2位を奪われ、更に長距離界のエース鎧坂にも交され4位にとどまった。3位明大は予想では有力校にも挙がっていない中で、何十年ぶりかの入賞は素晴らしい。

 それにしては東海大の12位。19位の日体大。ともにシード権を失い、予選会からのスタートとなったとは情けない。佐久長聖出身の選手、中央の代田、駒大の千葉、早大の佐々木と今日も健闘してくれて頼もしかった。

 


今年を振り返えって

2011-12-31 14:45:54 | 自分史

 12月31日(土 平成17年1月1日より 2,565日目
         歩いた歩数          その距離
本日       14、106
歩         9、874m
総計 35,731,870歩 25,012,309 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 233,
561m

いよいよ大晦日、紅白歌合戦を見る日になってしまった。一年間を振替えってみようと思うが、歳のせいか物忘れが酷くなって皆忘れていしまう。これは意外と悪いことでは無さそうだ。特に「反対運動の仲間には入らない」ということを信条としている私には意外と都合が良い。

 今年一年、一番大きな事件はなんといっても東日本大震災だ。そして翌日には長野県北部地震もあった。私の家は、新築時に軟弱地盤ということで50トンものセメントを注入した上に建てたので慌てなかったが、それでもかなりの揺れを感じた。

東北地方では巨大地震ばかりか巨大津波に襲われ多くの人が亡くなくなったばかりか、土地建物まで破壊され、その上、福島の東電の原発事故にまで巻き込まれ、生活の基盤まで失うという大災害に見舞われた。お気の毒というほかはない。しかし被災者の冷静な対応、秩序有る行動は世界の人の驚嘆と尊敬の念さえ与えたし、全世界から救援を受け入れることもできた。

 原子力発電が果たして人類にとって必要なのか?危険なのか?国論を分ける大論争になっているが、私は「羹に懲りて膾を吹く」の譬え、大事故に喘いでいる多くの被災者への肩入れから、社会の進展を逆戻りさせる政策をとってはならないと思っている。有史以来幾多の災害に見舞われながら科学技術を尽くして克服した過去を思い出して、乗り越えて行くべきだと信じている。

 今年はまた独裁政権が次々と崩壊した年でもあった。その革命の原動力となったのが、インターネットの普及、就中「ケイタイ」の威力に依ってだ。今までは独裁政権が発信する情報を国民は受け入れるばかりであったが、ネットが普及し、ツイッターやフェイスブックが蔓延して国民すべてが発信者になった。たくさんの意見が溢れ出し、様々な情報が伝えられ、その結果、独裁政権が倒されたのだ。私は地方事務所から講演を頼まれ、iphoneっを掲げてこの事実を訴えた。

 またギリシャに始まった経済破綻で、世界が大きく揺れた年にもなった。まだユーロが破綻するか、ドイツやフランスがこれを食い止めできるかまだ分からない。お陰で日本も大きなダメージを受けた。円高はドルからユーロにも及び、輸出企業は軒並み赤字対策に苦しんでいる。その上、タイに大水害が発生して製品から工場まで水没、操業不能にまで落ち込んでいる。泣き面に蜂だ。TPPの問題もある。消費税増税の問題もある。

 そしてお隣の北朝鮮では独裁者金正日総書記がなくなった。日本を取り巻く諸般の環境は益々複雑化してきている。2012年は果たして日本はどうなるのだろうか。

でも私は、中国学童の作品展という金ピカな材料を与えられた。これを活用、展開して日中両国の絆を更に強固に、血の通うルートの拡充・充実に全力を挙げるのみだ。2012年よ!幸アレ!!