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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

中国学童の作品展の夢

2011-12-30 17:06:41 | 自分史

 12月30日(金 平成17年1月1日より 2,564日目
          歩いた歩数         その距離
本日       14、384
歩       10、069m
総計 35,717,764歩 25,002,435 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 243,
435m

 いよいよ明日で今年も終わる。今年一年、色々と計画し、夢を描いいて追い求めてきたが、あまり周囲の協力が得られず、【燃えないストーブは囲まれない】【徳不孤、必有隣】と自分の不徳を反省していたが、年末になって河北省承徳市対外友好協会の肖振玲さんから吉報が入った。「隆化の学童の作品が集まった。何処へ送れば良いか?」というのである。

 私は今年の目標に、① 日中友好育英基金会員と受給生との心の交流 ②両国のペンフレンドの紹介と斡旋 ③ 日中両国の学童の作品展の開催 ④新会員の入会運動 ⑤ 近隣友協への参加呼びかけを掲げて働きかけてきたが、「笛吹けども踊らず」で燃えた闘志も次第に勢いを失い欠けて来ていた。そこへ吉報が舞い込んできたのだ。手の舞足の踏む所を知らずという心境だ。勇気凛々、百万人と云えども我征かんだ。

 飯山日中の正副理事長と共に、教育委員会に出かけて、中国学童の作品展を開催したいが受け入れて貰えるかどうを打診した。教育長は校長会に受け入れる気持ちがあれば有難いとの消極的な賛成意見だった。早速校長会長の飯山小学校を訪ねて要請したところ、「間もなく夏休みに入る。夏休みが終わると、運動会の準備に入る。この運動会は何処の学校でも一大事業だ。これが済んで落ち着いたところでこの議題を討議したい」と回答された。随分先の話になるるが、我慢して受けざるを得なかった。運動会も終わり返事が無いので諦めかけていたところ、紅葉の時期になって「有り難く受け入れます」との嬉しいご返答を頂いた。

 早速、肖さんに電話して 「受け入れ態勢は整った。学校側の取り組みは出来るだろうか?」と中国側の対応を促したが、何時まで待ってもその回答は来なかった。新年になったら改めて打診しようと考えて居た矢先の吉報だ。「受け入れ態勢が整った」という情報で、直ちに行動を起こして呉れたようだ。

 日本の片田舎の86歳の老人が提唱したプランに直ちにゴーサインを出してくれたことに、何といって礼を申し上げれば良いだろう。これが契機となって児童生徒の文通交流が始まって、両国の教育の交流に繋がれば自ずと日中友好のムードも高まり、相互理解も深まるというもんだ。その道筋の突破口が開かれたと思うと心が踊る。仲介をしてくれた「肖振玲さん」「外事弁の関係者」「隆化の皆さん」に心から敬意を表したい。

 


70年前の12月8日

2011-12-08 17:09:17 | 自分史

  12月08日(木 平成17年1月1日より 2,542日目
          歩いた歩数         その距離
本日       15,326歩        10,728
総計 35,448,655歩  24,814,059
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後431,812m

 余りよく覚えてないのだが、先日、経済に「うそ」は許されないが、「戦争」には【騙し合い】は常識だ、と聞かされた記憶がある。「真珠湾攻撃」は卑怯だ、という者も居るが、70年前の今日12月8日は今思い出しても血沸き肉躍る思いだ。午前6時、私は朝の掃除をしていた。勇ましい軍艦マーチに続いて「大本営陸海軍部発表 帝国陸海軍は本8日未明西太平洋方面においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れリ。」と。

 当時の日本は、白人に虐げられ、植民地となっている黄色人種の独立を目指して「大東亜共栄圏」の建設を推し進める旗頭として先頭に立っていたが、これを許さじと、ABCDラインを以って、石油や鉄などの軍需物資の物流を禁止して、日米交渉を有利に進めてきたアメリカはついに「中国から日本軍の全面撤退」という最後通告をしてきた。 多大な尊い命を犠牲に東洋平和を打ち立ててきた日本国民としても、日本軍の撤退など受け入れる筈もなく、日米交渉は暗礁に乗り上げ、国民感情は鬱勃としてやりきれない思いをしていた。「ジリ貧か、ドカ貧か」ついに 時の東条内閣は御前会議において「開戦やむなし」の決断を下した。

 国民にやりきれない気分は、この大本営の発表によっていっきに吹っ切れた。そして続いて発表される思いがけない奇襲の戦果に酔いしれ、手の舞足の所を知らずという有様だった。

 大本営発表は「我が軍の被害は軽微なり」と常に報道してきたが、やがてはミッドウェイ海戦の敗戦から次第に形勢は逆転して、ついに降伏の止むなきに至ったが、この大戦あったればこそ、世界の植民地が解放され、民族の独立が達成いされたことを想えば、12月8日は記念すべき意義ある日というべきではないか。


「ローマ帝国の興亡」を見る

2011-12-02 17:31:19 | 自分史

 12月02日(金) 平成17年1月1日より 2,536日目
         歩いた歩数          その距離
本日      1 4,763歩        10,334m
総計 35,370,509歩  24,759,356
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後485,514m

 ユーキャンから買った【世界の古代遺跡】のDVD第2巻を見た。

 今から約2千年前、地中海沿岸を中心に、四十余りの異なる民族を統合して大帝国を築いた国、ローマ帝国。皇帝の力はヨーロッパから北アフリカ一帯に及び、征服した都市には首都ローマと同様に凱旋門・劇場・円形闘技場・公共浴場・水道橋まで造られた。「ローマは一日にしてならず」と言うが、何百年もかけて築き上た理想都市の遺跡が今尚残っている。

王政ローマ時代は日本の縄文時代に始まり、共和制ローマ時代を経て帝政時代となって繁栄を極めた頃、日本にも勢力を誇った豪族が現れ漸く古墳時代を迎えた。しかし三世紀に入ると流石のローマ帝国もその力は衰え始め、395年にはコンスタンティノーブルを首都とする東ローマ帝国とローマを首都とする西ローマ帝国に分裂、西ローマ帝国は476年滅亡して歴史の幕を閉じた。日本はその頃やっと歴史の幕開けを迎えたのだった。

 世界の推移の中で、現在、ギリシャが破綻しイタリヤが破綻の危機を迎えて日本やドイツ・フランスが経済援助の手を差し伸べている姿を見るにつけ、平家物語を思い出す。

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ。偏に風の前の塵に同じ。

 しかし、古代史のロマンと古代人が築きあげた数々の遺跡には頭が上がらない。

祗祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


凄いアプリ見つけた

2011-11-27 17:41:18 | 自分史

 11月27日(日) 平成17年1月1日より 2,531日目
         歩いた歩数          その距離
本日      1 4,879歩        10,415m
総計 35,296,628歩  24,707,640m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後538,230m

           

 その名はHIT SONG(ヒットソング)だ。何のことは無い。歌を呼び出すアプリだ。見出しに 19|8|  0|とあって、1980年から2010年まで30年間3000曲以上                        20|1|12|の歌が呼び出せる。しかもヒット順に並んで居る。
 

 年間100曲以上の歌が入って居て、すべてYOUTUBEで見ながら聞かれる。しかも一曲ごとに、再生回数が出ている。中には数万回も再生されたものもある。そしてコメントもついているし、関連動画も見られるようになっている。高評価・低評価の数も表示されている。

 しかしそればかりではない。その年の出来事が判るようになっている。年間のニュース・芸術・訃報・フィクションまで分類されて細かに出る。ホントに凄いアプリだ。月日に世界の出来事が記されている。驚きだ。

 素晴らしいアプリと評価して良い。評価すべきだ。これを自分史に活用すれば【鬼に金棒】だ。だがそれを自分史の使おうとすると、余りにも中身が多すぎて、取捨選択に迷うし、時間もかかり過ぎて何時自分史が完成できるか判らない。体力も知力も持たないだろうと思う。【帯に短し、襷に長し】に長しとはこの事か!

 


懐かしい写真が出て来た

2011-11-26 18:11:49 | 自分史

   11月26日(土) 平成17年1月1日より 2,530日目
         歩いた歩数          その距離
本日      1 5,554歩        10,888m
総計 35,281,749歩  24,697,224m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後548,646m  

          

 自分史の骨組み作成も昭和58年まで到達した。その資料の中に一通の手紙に写真が添えられていた。手紙の主は向かって左の万年幹事の泉さん。右は早大総長の清水さん。この場面は潮香会で一ツ橋出身(と言っても高等小学校)の3人が勢揃いして談笑しているところだが、これを撮影して下さったのは、時のNHKの解説委員長、家城先輩なのだ。

 添えられた手紙には「先日の潮香会の出席ご苦労さん。卒業後、何十年経っても顔を合わせると、学生に戻る不思議さを感じた。このスナップ写真は家城先輩が撮ったものです。思い出してご笑納のほどを・・・」と記されていた。

 私達3人は戦時中の昭和17年12月芝商を繰り上げ卒業をした同年生で、校歌の冒頭の”潮の香薫る・・・”から同年会の名称を潮香会と名付けた。泉さんは一ツ橋では2年ほど先輩だったが、芝商では清水さんと私の3人が一緒になった。謹厳居士でもあり、年上でもあったので、永久幹事としてずっと潮香会を引っ張って居てくれる存在だ。

 私は今は禿頭だが、この写真では黒い房々した髪の毛で若々しい。ビールが空くほどに話は弾み、清水さんと私は今迄見たことも無いような笑顔で、泉さんは相変わらずの謹厳実直居士。なんとも懐かしい写真だ。30年近い昔を思い出す。