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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

アイホーンで

2012-03-02 17:27:49 | 自分史

  3月2日 (金)  平成17年1月1日より 2,627日目
         歩いた歩数       その距離
本日      14,962歩       10,473m
総計 36,605,053歩 25,623,537m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツハノーバーを経てデュッセルドルフに向かう、後 219,613m 

 朝のウォーキングで昔の教え子T子さん宅を訪ねた。この間スーパーの前で出会い、住まいを聞いて「是非寄って」と言われ「キット行くヨ」と約束したので、顔を出したのだ。

 「ウォーキングの途中だから帰りに寄る」と言ったがどうしてもと乞われて寄ってしまった。立派な家を褒めると、息子が建てたと一頻り設計から新築の話。終わって同級生の名前を挙げてその消息を立て板に水、積もり積もった思いをありったけぶちまけられた。お互いに昔を偲んで語り合ったが、忘却の彼方、思い出せないものも有った。

 話が一段落した所で、私はアイホーンを取り出して「玉音放送」と言った。昭和天皇の終戦の詔勅が流れた。彼女は感動して聞いてくれた。終って、「石松の三十石船」と言った。広沢虎造の浪花節が出た。「懐かしい!」と彼女が言った。”飲みねぇ!食いねぇ!寿司食いねぇ!神田の生まれだってねぇ!そうだってねぇ!・・・」彼女が驚いているのを見て、私は「俵星玄蕃」と言ったら今度は三波春夫の歌謡浪曲が始まった。

 小さなアイホーンから次から次から私が声を出したものが出てきたので彼女は不思議に思って「何がどの位入っているの」と質問するので、「入っているわけじゃないが言えば何でも出るんだョ」と答えた。

 彼女は「何処に売ってるの?」「ダイソウの隣のAUで買えるよ」と答えると、半紙に書きだした。「いくら?」「五万七千六百円」「私も買って来よう!」と乗り気になったので私は慌ててしまった。アイホーンを買ってきて呼びかけても直ぐ命令通りに出る訳がない。効き過ぎたようだ。買ってきて、言った言葉に反応しなかったらどうしよう? 

 私は困った。私も此処まで来るには多少苦労もした。買わずに暫く我慢してくれとやっと説得して、帰途に着いた。【過ぎたるは及ばざるが如し】と反省した。

 

 

 

 

  


2/26事件の決起趣意書(全文)

2012-02-27 14:45:15 | 自分史

   2月27日 (月)  平成17年1月1日より 2,623日目
        歩いた歩数         その距離
本日     15,769歩        11,038m
総計 36,544,843歩 25,581,390m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツベルリンを経てハノーバーに向かう、後 3,460m
 

 2.26事件を 調べていたら蹶起部隊の「蹶起趣意書に行き当たった。文書は若干難解な面もあるが、青年将校は「天皇のもとに、世界に向かって進展しなければならぬ時に、天皇を取り巻く元老・重臣・軍閥・財閥・官僚・政党が私利私欲を恣にして、国民を塗炭の苦しみに呻吟させ、諸国の侮りも日を逐うて激化していると、その具体例を挙げてこのままでは国体の破滅も火を見るよりも明らかである。天皇を取り巻く奸臣軍賊を斬除して彼らの中枢を粉砕するのが我らの任務である。ここに同憂の同志が決起して奸賊を誅滅して国体を擁護するのである。皇祖皇宗の神霊よ!照覧冥助を垂れ給わんことを!と蹶起の赤心を述べている。

 単なる革命や政権奪取を目的にした反乱で無いことは判然としている。しかし天皇はこれを認めることはなかった。ここに全文を掲載する。 瞑目

決起趣意書
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 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる 天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。
 此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。
 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我欲を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元凶なり。
 倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にしてその滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自欲に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕せしむは火を睹るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして宏謨を一空せん。恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓い殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。
 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし。茲に同憂同志機を一にして決起し
奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす。
 皇祖皇宗の神霊冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを!

                   昭和11年2月26日
                         陸軍歩兵大尉 野中四郎
                                外同志一同


2.26事件を想う

2012-02-26 17:12:43 | 自分史

 2月26日 (日)  平成17年1月1日より 2,622日目
        歩いた歩数        その距離
本日      14,847歩       10,393m
総計 36,529,074歩 25,570,352m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツベルリンを経てハノーバーに向かう、後 14,498m

 2.26事件が起こってから75年が経った。私は西神田小学校の5年生だった。雪の日だった。教室には何人も居なかった。居なかったと言うより来なかったのだ。何でも総理大臣が殺されたと誰かが言った。そんな酷いことをと思ったが、後でそれは間違いだと判った。その日は大変なことが起こったので休校と言われて家に戻った。もうこんな事件に出会した老人は数少なくなってしまったろうから、思い出したまま記録して置こうと思う。

 家に帰ると、大渕菓子屋の兄さんが【近衛兵が土嚢を積み上げて宮城を守っている。見に行かないか】と誘われ竹橋へ行った。土嚢の上には機関銃が据え付けられていて、兵士に帰るよう怒鳴られた。殺気立って居た。夕方には駿河台の方にも軍隊がやって来て戦いが始まるかもしれないからコンクリートのビルの裏に隠れるような事も言われた。えらいことになったとは思ったが何か心は躍っていた。これが2・26事件の思い出だ。

 2.26事件を検索すると「反乱軍となった青年将校率いる近衛兵の行動を善とする見方と悪とする考え方が錯綜していて、当時軍部の皇道派と統制派の争いであるとか、新興財閥と三井三菱ら大財閥との闘争であるとか、いう議論もあって真相や正邪は未だ霧の中のようである。ただ言えるのは皇道派の青年将校らが【昭和維新】を唱えてクーデターを起こして、当時の政治を司どっていた指導者や財閥を排除して天皇親政の理想国家を興すことを目指したが、逆に天皇から反乱軍と認定されて挫折し、処刑されたのが実情のようだ。

 今また大阪で【維新の会】が政治の変革を目指して立ち上がった。昭和初期の日本は貧しく、血気盛んな青年将校らは政党政治に飽きたらず、理想に燃えて起ち上がった姿は、今の政局の混乱と似通っているように思われてならない。

 民主党はマニフェストが現実的ではない、将来の日本を考える時、社会保障と税の一体化を図るべきと舵を切ったことに対し、党内からマニフェスト尊重こそ大義だと異論を唱え、野党はこれを口実に政策協議にも入らず、国家国民をないがしろにして党利党略にうつつを抜かす中、国民は【維新の会】の「船中八策」に関心を動かしつつあって、正に政局は維新があってもおかしくない様相だ。

 


夫婦で運転免許証更新

2012-02-20 17:37:02 | 自分史
 2月20日 (月)  平成17年1月1日より 2,616日目
         歩いた歩数       その距離
本日      15,311歩       10,718m
総計 36,437,304歩 25,506,113m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツベルリンを経てハノーバーに向かう、後 78,737m

雪のドライブ

 カーホルダーを付けたので 公民館から我が家まで雪のドライブを試写する

 
 今日、私達夫婦は揃って運転免許証の再交付を受けた。私たち夫婦が同じ2月生まれだったのが幸いして一緒に貰えたのだ。高齢者の為3年なので、平成27年3月までだが平成27年には、私が90歳、妻が88歳になる。【卒寿」と「米寿」だ。
 
 私の区には3年経っても、亭主が【卒寿」で妻が【米寿】になる家はない。私たちは幸せ者だ。私が運転免許を貰ってから60年目で妻は50年目だが、大過なく今日まで過ごすことが出来たことは有難い話だ。二人が一緒になれたのも、くじ運が良かったのかも知れないと天に感謝している。
 
 1993年、中国の国慶節に、「天は一人で支えるものではない。夫婦で支えたもの」だから、と言って時の李鵬総理から人民大会堂の晩餐会に夫婦揃って招かれた思い出もある。私の【歩いて世界一周】のフィナーレでは、内地のテッペン大間崎から飯山まで、妻が食事や洗濯のサポートが有ったからこそ達成できたものだと思う。
 
 今日、新しい免許証を貰って、私たち夫婦は3年後まで人生を保障されたような気がする。向こう3年間、生きていられるような気もする。気のせいだが・・・。
 
 第2回目の【歩いて世界一周】が達成するには百歳までかかるのだが、余生はそんなには永くは無いだろうから、他人の厄介にはならずに、少しでも役に立つような仕事をして生きて行きたいものだと今日改めて思った。
 

聞くは一刻の恥 聞かぬは一生の恥

2012-02-09 14:03:57 | 自分史

  2月9日(木) 小雪 成17年1月1日より2,605日
           歩いた歩数          その距離
本日      16,515歩        11、561m
総計 36,268,139歩  25,387,697m
イタリヤ・オーストリア・ドイツベルリンを経てハノーバーに向かう。後197,153m

 昨日、Sさんが来訪サれた時、iphine4sで「121wey」の活用で「くまひげ先生のWord」の講義の録音を聞いて貰おうと「ボイスメモ」をクリックするとマイクの画面が出るので【スピーカー】に切り替えようとすると切れてしまう。何回繰り返してもどうしても先に進めないので諦めてしまった。

 Sさんが帰られた後、ソフトバンクに電話して、ボイスメモが切れて、録音できないことを告げ、改善の方法を尋ねると、「iphoneの電源を切ってから改めて、電源を入れ直してください」といわれ、電源ボタンをプッシュして、改めて再びプッシュした。しかし依然として同じ動作を繰り返すばかり。

 再びソフトバンクに電話して、使えないことを知らせると、「電源ボタン」の押した時間が短かったのではないですか?5秒間は押し続けてください」という。その指示に従ってやってみたところ、今度は成功した。スピーカーから講義の内容が流れたが、時遅く、Sさんは帰った後だった。残念!

 ソフトバンクに電話して【使用可能】になったことを告げ、感謝の意を伝えると、係員も喜んでくれた。喜びの声に私も気分が良かったが、自分のiphoneの操作が日頃の惰性で漫然とやっていて、基本を忘れて居ることにやっと気づいた。

 電源ボタンを押すと、iphoneは目覚めて動き出すし、更に押せばiphoneは眠る。夜は充電をするのが通常の操作なので、なんの不自由もなく使っていたが、iphoneはスリープ状態になっていただけで、電源が切られていたのでは無いことをここでハッキリと確認することが出来た。