7月15日 平成17年1月1日より 2,387 日目
歩いた歩数 その距離
本日 14,085 歩 9,860m
総計 33,279,267歩 23,295,487m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 252,771m
今日は特記すべき話題は無い。無いからと言って【歩いた歩数】だけを記して終われば私のブログを見て呉れる人は居なくなるだろう。そこで思いついた。先日Mさんが訪ねてきたのだが、ママがNさんと紹介したので、その接待に戸惑って、Iphoneで「玉音放送」を聞いてもらい、戦争中の裏話をしたところ、すっかり打ち解けて語り合い、やがてNさんではなくMさんであることが判った。Mさんは戦争中の裏話を是非後世の為、して欲しいと言ったが、彼が新興宗教の信者と知って断った。戦時下の語られざる秘話”裏話”がそんなに貴重なものであり、興味あることならばと思い、平穏無事な日には取り上げることにした。
今日は第一話。「帰休兵】の話。主戦も間もない昭和20年の2月下旬、夜の点呼で先任兵長から「戦局重大な折から皆の覚悟を聞く。戦地に行きたいものは手を挙げろ!」と。威勢よく手を挙げた者に引き続いて徐々に手が挙がった。班内60人中最後まで手を挙げなかったのは私一人ダケだった。班長は私に班長室に来いと命令した。半殺しに会う覚悟で行くと、意外に紳士的な対応で私を説得した。私は一兵卒と戦地へ行くより国家のために役に立つ仕事は出来る。行きたいものは・・・と言ったので手は挙げなかったが行けと命令されれば何時でも行きます、といと班内に戻された。
その後、数日もあったろうか、【帰休兵除隊を命ず】という命令が出て、2月28日軍服のまま、襟章を取られて汽車に乗り、3月1日飯山に帰着した。夢のような出来事だった。手を挙げた兵隊が何処に行ったか、その消息はそれっきり知らない。
終戦の年は大雪で、親類に除隊の挨拶回りで行った時、4Mの高さで張られている電線を跨いで柏尾へ行った思い出もあるし、電車の中は女性ばかりで羨望の眼でみんなから見詰められて照れ臭い思いをしたことをことも覚えている。3月10日の後、新町の老夫婦と廃墟の東京まで妻の兄貴の安否を訪ねて行った思いでもある。
ところが3月下旬私に「帰休兵召集令状」が来た。白紙で【現役復帰を命ず】とあった。松本聯隊に入隊したが、私は小学校時代の同級生からも【古兵殿】などと呼ばれ洗面器の水まで張って厚遇された。
iphoneで帰休兵を検索すると、まさかと思って居た【帰休兵】の詳細が出て来たのには2度ビックリ!
旧日本軍における帰休兵制度の概要
日本軍の召集制度
召集の対象となるのは帰休兵・予備兵・後備兵・国民兵の他、予備役・後備役にある将校・下士官で、召集される者を召集員と呼ぶ。通常召集等の兵事事務は一個から数個の都府県(北海道他外地は別体制)を管轄する連隊区司令部が行う。召集員の現住所に関らず、本籍地にある連隊区司令官から市町村長を経て本人に通知される。充員召集や臨時召集など、戦地に赴く事のある召集は、召集令状が淡い赤色であったことからこれを俗に赤紙という。召集員となった者は召集令状・軍隊手牒・適任証書・勲章記章及び徽章・印形を携帯し出頭する。
召集の種類として充員召集・臨時召集・国民兵召集・演習召集・教育召集・帰休兵召集と防衛召集があり、召集とは多少異なるが在郷軍人を対象とした簡閲点呼がある。これらの召集の内、演習召集・教育召集及び簡閲点呼は平時でも行われ、部隊への配属もない。召集についての根幹は兵役法に定められているが、動員計画令などの軍令によって多少の補完が行われ、1927年には召集猶予制度や1942年に新たに防衛召集として在郷で民間に働く者をそのまま警備などの任に当たらせる事とした。この制度には徴兵検査を受けていない未成年者も対象となった。
充員召集は、動員によって諸部隊の要員を充足するために在郷軍人を召集するものである。動員令または応急動員令によって実施され、令状を警察署長から受けた町村長は在郷軍人名簿に点校のうえ直に応召員に交付する。不在のときは戸主、応召員または戸主と同世帯にあって家事を担当する家族、召集通報人(あらかじめ決定届出を要する)、召集通報人と同一世帯内にあって家事担当の家族に交付する。これも不可能であるときは適当の方法で応召員に交付し、または召集の旨を伝達する。演習召集、教育召集、または帰休兵召集中の者に対しては召集部隊長から充員召集を伝達する。応召員は令状をたずさえて指定日時に到着地に至り召集事務所に届け出るが、もし通報を受け遅着のおそれがあるならば令状をたずさえる必要はない。指定日時に到着することができない者は所在地の憲兵または警察官吏に就き令状または通報を受けた日時および出発日時の証明書を受け、着後届け出すべく、万一事故のためであるならば疾病は診断書を添え、伝染病予防のため交通遮断隔離停留などは届出置き、その地町村長、憲兵、警察官、船長、駅長の証明書をたずさえて着後差出し、犯罪または所在不明などの事故者は令状を代受した者から連隊区指令官宛の届書に憲兵または警察官吏の証明書を添え直に本籍地市町村長に差出し、非常事態によって交通遮断された者はその旨最寄部隊(支庁長、市町村長、憲兵または警察官吏)に届出る。以上の充員召集の解隊は復員令によって実施される。臨時召集は、臨時動員令または陸軍大臣の命令で実施され、充員召集実施後の欠員補充は師団長が実施する。国民兵召集は国民兵動員令によって実施し、その欠員を補充するかその他必要なときにも臨時に召集を実施するが、手続きなどはほぼ充員召集に準ずるものである。演習召集は各兵科各部上官、士官、准士官、下士、兵共予、後備役を通し2回(幹部候補生出身の士官下士は3回、補助看護兵各兵第一補充兵は1回)、それぞれ21日(各部准士官下士官看護兵磨工兵は14日)、教育召集は第一補充兵の歩兵、戦車兵、野砲兵、山砲兵、野戦重砲兵、重砲兵、高射砲兵、工兵、鉄道兵、電信兵、気球兵として召集された者のなかで行ない、服役期間1回90日である。ただし歩兵で青年訓練所の訓練を修了し検定に合格した、成績特に優秀な者の召集日数は75日で、陸軍武官進級令による進級のための召集日数は7日で、勤務演習召集に引き続き師団長が命じる。
昭和20年本土決戦を覚悟し一億玉砕を唱えていたこの時期に誰がこの決定をしたのだろうか?未だに判らない。こんな兵隊が外にも居たのだろうか?変な話だが、ホントの話。
兵役法によって現役は陸軍は2年、海軍は3年であるが、上述の定員超過によって、兵種の本務によって、あるいは本人の資質によって、教育期間が短縮されることがあり、兵役法11条から14条に、在営期間が短縮される場合が規定された。 この短縮退営後の期間を帰休期間という(16条)。 また現役期間中入営までの期間を未入営期間、未入営期間にある現役兵を未入営現役兵と言った。
どのような場合にどれほど期間が短縮されて帰休兵となるかはきわめて煩雑である。以下、概要について述べる。
(1)青年訓練修了者にたいする短縮は6月以内と定められ、兵役法施行令31条によって歩兵科の兵(戦車兵をのぞく)は6月で、他の陸軍兵(輜重兵、特務兵、看護兵、磨工兵および補助看護兵はのぞく)および海軍兵は60日以内と勅定されているが、陸軍では省令で40日とされている。ついで青年訓練と同等以上と認める修了者は数項目あるが、昭和3年11月6日陸軍・文部省告示 1 を参照されたい。
(2)一般兵にたいする短縮(12条)は、青年訓練を修了しない者、検定に合格しない者、検定に合格して在営間の成績の不良である者の在営期間は軍事上妨げのないかぎり勅令の定めによって60日以内短縮することができる。現役は12月1日が始期であるが、入営は翌年1月10日である。
(3)短期教育兵種にたいする短縮(13条)。1年6月以内に教育を修了し得る兵種に属する現役兵(輜重兵、特務兵、看護兵、磨工兵および補助看護兵)は上述各種の短縮にかかわらず、勅令の定めによって在営期間を短縮することができる。
(4)成績優秀者および定員過剰者にたいする短縮(14条)。