7月25日 (月)のち
平成17年1月1日より 2,397日目
歩いた歩数 その距離 m
本日 12,548 歩 8,784 m
総計 33,411,835歩 23,388、285m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 159,974 m
戸狩の民宿街
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国家のために滅私奉公などと云っていた兵士達も終戦で家に戻れることになると、欲が出て来て軍隊にある物を手当たり次第自分のものにするようになった。と云っても銃や帯剣などの武器を持ち出す者は居ない。せいぜいで帯革や巻脚絆位だが、薬室勤務の者はサッカリンを持ち出したり、病院の衛生兵の中にはレントゲンに付いていたカメラを隠した者も居たという。
私は医務室の事務室勤務だった。或る時私の机の上に「 桐の御紋章の入った三つ重ねの銀杯」が置かれていた。誰が持って来て置いて行ったのか判らないが、不思議なことにこの銀杯を盗む者は居なかった。そのうちに、私は「腸チブス」の疑いで松本陸軍病院に入院させられた。陸軍病院と聯隊は隣接していたので、衛生兵は自由に出入り出来たので私は歩いて行った。「患者は何処に居るか」と云うので【自分であります】と言ったが中々信じられず、手古摺ったがやっと個室に隔離された。そんな訳でその銀杯がどうなったかは知らない。
本土決戦が必至となったことから弾薬をはじめとして軍需品があちこちに分散して保存されるようになった。連合軍に関東平野を制圧されると【信濃1号】という作戦命令が出ると前出しで説明したが、その時の私の任務は【薬剤行李】の担当と決められていた。【薬剤行李】といっても聯隊の医療を賄う全医薬品や医療機器を管理するので、それは松本郊外の農家の3つの土蔵に収蔵されていた。
そうした軍需品が終戦で所有者が不確定になって、どさくさに紛れて不当所得された経緯がある。それで成金になった人もあるという。今、ふとこんなことを妄想した。
私の机のうえにあった銀杯は私に猫婆婆させて、私を窃盗の罪に陥れて拘束する目的で置いたものだったかもしれない。でも私が手を付け無かったので、私を伝染病患者に仕立てて病院に隔離した。何故か?私が薬剤行李の担当で3の土蔵に薬剤や医療機器を収納していることを知っているので、横取りするためには私を拘束しなければならなかったのではないか?妄想かもしれない。妄想であって欲しい。これも終戦の裏話になるか?、