・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十町(旧窪川町)一斗俵
田園に沈下橋のよく似合う風景があった。流域最古参のこの沈下橋は、小糠雨に煙っていた。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十町(旧窪川町)一斗俵
田園に沈下橋のよく似合う風景があった。流域最古参のこの沈下橋は、小糠雨に煙っていた。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧西土佐村)口屋内
人々の暮らしの歩調に合わせるかのように、川の季節は巡ってくる。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十町(旧窪川町)一斗俵
川で遊ぶ子供たちの歓声は清流をいっそう極だたせるものがある。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)佐田
流域では最も下流に架かる佐田沈下橋。夏のにぎわいが橋を渡って行く。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)佐田
佐田沈下橋の下流、長々と続く石筑工法の護岸が見られた。昔はこの水辺に添った石畳が散策の道だったと聞く。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)勝間
勝間沈下橋の上流は、大きく成長した柳や榎、笹竹が密生し、美しい川辺景観を誇っている。ここは40年前、蛇籠工法による護岸改修がされた所であった。みごと自然に回帰された姿を見ることができる。昨今、人の行き来はおろか動植物までもシャットアウトするような切り立ったコンクリート擁壁を見るにつけ、この工法の今に語りかけて来るところは大きい。
これは近自然工法ではなく近未来自然工法だと思う。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)佐田
夕日をついて家路に急ぐ家族があった。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十町(旧十和村)茅吹手
見馴れた風景に虹がアクセントとなって、私を出迎えてくれた。 (1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧西土佐村)岩間
豊かな水をたたえ、幾重にも曲流蛇行を繰り返しながら流れ下る四万十川、大古の輝きが私にはまぶしい。
1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)佐田
沈下橋に立って見る開けた風景が好きだ。雲の割れ目から西陽が射るようにさし込んだ。
水面から立ち登る蒸気霧はやがて、私の眼下にも押し寄せてきて、幻想の世界を演出した。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)勝間
昨夜来の雨あがり、一瞬黄金色に輝く沈下橋を見た。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧中村市)高瀬
風の吹く朝、自転車の少年は学校へと急いだ。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十町(旧十和村)茅吹手
四万十川には伝承民俗が多く残っている。中流域では、祖霊は清流を行き来すると考えられている。施餓鬼供養は、村人が川原に集い、若竹を組んだ棚に供物を捧げ、御念仏を唱えながら、川に深い祈りを捧げる。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧西土佐村)大宮
四万十川には伝承民俗が多く残っている。中流域では、祖霊は清流を行き来すると考えられている。施餓鬼供養は、村人が川原に集い、若竹を組んだ棚に供物を捧げ、御念仏を唱えながら、川に深い祈りを捧げる。
また、朝の川水を仏前に迎え、精霊舟を盆の暮れには川に見送る。
祖霊や肉親が今も行きかい、やがては自分自身も渡るべきはずの清流が汚されていいはずがあろうか。半端な自然保護論を超えたリアリティが、そこには息づいていた。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)
・・・沈下橋に立つと川の表情が見える、水の声が聴こえてくる・・・
四万十市(旧西土佐村)上半家
のどかな秋日和の中、対岸の御旅所に祭り行列が渡って行った。
(1993.7.7発行・武吉孝夫著「沈下橋よ永遠なれ」より)