五台山カヌークラブ通信

自然豊かな高知で、カヌーに親しむ!

「みんなぁ~が言いいう」と言う表現について考える

2014-01-27 22:24:10 | 日記

「みんなぁ~が言いいうでぇ~!〇〇君が〇〇しよったからこんなことになったがでぇ~」。「みんなぁ~が言いいうでぇ~!〇〇先生の教え方が悪いから勉強が分からんなったって!!

「みんなぁ~って誰で?」と聞くと「〇〇ちゃんやろう、〇〇ちゃんやろう!まあほとんどの人が言いいう」なんて返答を聞きます。しかし突き詰めれば、実際のところ「みんなぁ~」というのは全員でないことが多いです。大概は、ある一部の人だけということがほとんどのように感じます。この表現方法は、大人より一般的に若い人たち(高校生以下)が多く使うように思います。現に管理人が知っている限りでは、同年代でこういう表現をする人はいません。

自分の考えを表明する時に、「みんなぁ~」と表現することで、自分の考え方をより正当化させ、さも大多数の意見かのように主張します。この表現は、一種の自己防衛であり自己の弱さを少しでも和らげるため、そして自分を傷つけないために発するものではないでしょうか?

五台山カヌークラブは、「監督の教え方が悪いから〇〇だ」と言われることもあるかも知れません。もちろん、それはゼロではないです。しかし、なんでも主体はやろうとする本人の「強い意志」であったり、「向上心」を持ちつつ、選手個人が「工夫をしながら練習に取り組もうとする意欲」が上達の近道だと思います。この意識は、小学生よりも中学生が、中学生よりも高校生や大学生、一般と、段階を追うごとに高まってこなければ、きっと成績は向上しないと思います。

ところで、「学ぶ」の語源は、「真似る」からきています。監督の言うことを聞いて練習する(真似る)ことは大切ですが、「真似た後」どうするかは各個人が工夫をしないといけません。同じ監督の指導を受けたとしても、良い結果を出す選手もいれば、そうでない者もいます。と考えれば、監督のアドバイスを聞いた後、「どのように工夫をして技の習得に励むか」という努力は、選手サイドに求められることだと思います。現に、体格が違う選手がパドルを漕ぐ時、水をキャッチする場所も人それぞれですし、骨格自体も違います。「漕法」のスタンダードはあるけれども、自分に合った漕ぎ方は自らが工夫して求めていかなければならないものだと思います。

「結果は努力に比例する」。「結果が出なければ努力が足りない」と考える。では、その努力の内容については選手個人が考えていく必要があると思います。「工夫すること」かな?

 本日、コーチングクリニック3月号が届きました。監督サイドの勉強を頑張らねば・・・

一無尽。

たっすいがは、いかん。

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