ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ユダヤの知性

2006年09月01日 | 読書
 内田樹さんの『私家版・ユダヤ文化論』を読んでいちばん疑問に思ったことは、ユダヤ民族がそこまで高度で世にも珍しい知性の発展のさせかたを民族的伝統として培ってきたというのなら、なぜイスラエルは殺戮をやめないのか、ということだ。

《 だから、「神=隣人を追い払う」という起源的事実は、善性を基礎づけるためには、決してあってはならないことなのであるにもかかわらず、私の善性を基礎づけるために、「かつて私は主を追い払った」という起源的事実にかかわる偽りの記憶を私は進んで引き受けなければならないのである。 実際に罪を犯したがゆえに、有責性を覚知するのではなく、有責性を基礎づけるために、「犯していない罪」について罪状を告白すること。それが「私は自分が犯していない罪について有責である」という言葉にレヴィナスが託した意味である。(略)

 人間は間違うことによってはじめて正しくなることができる。人間はいまここに存在することを、端的に「存在する」としてではなく、「遅れて到来した」とう仕方で受け止めることではじめて人間的たりうる。そのような迂路によってレヴィナスは人間性を基礎づけたのである。》
  p.223-225 原文の傍点省略

 これについてはぜひ内田さんに書いてもらいたいものだと思う。確か内田さんはブログで、「『ここはわれわれの父祖伝来の土地だ』と言い張る人間のタイムスパンが2000年というようなときには、もうハナから話が合うはずがない」という意味のことを書いていたな。

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