予想したよりもずっと淡々とした作品で、泣くだろうと思って用意したハンカチを使う場面がまったくなかった。これがハリウッド映画ならもっとわかりやすく描写しただろうに、日本映画ならもっとベタベタな母子物語になっただろうに、そうはならないところが、ヨーロッパ映画の枯れたスタンスなのだろうか? 語らない描かない部分にこそわたしたちの琴線に触れる物語があった、二十世紀最後の悲劇。
サラは12歳の少女。思春期を迎え、多感な時だ。母のエスマはボスニア政府からもらう援助金とお針子の仕事だけでは生活できず、夜のクラブでウェイトレスの仕事を始める。母子家庭の二人は慎ましく暮らすが、サラの修学旅行の200ユーロを工面できないエスマは焦って金策に走る。サラの父はシャヒード(殉教者)だから、証明書を出せば旅行費用は免除されるのだ。サラは母エスマに証明書をもらってくるように何度もせがむ。だがエスマは言を左右にして証明書をとろうとしない…
サラの父は本当にシャヒードなのか? 予告編でもかなりのネタバレがあったし、もう観客には真相はわかっていることなのだ。エスマは女性ばかりの集団セラピーを受けている。それが何のセラピーなのか、観客には理解できるし、ボスニアでムスリムの女たちに何が起こったのか、観客は歴史的事実として知っている。だから、この物語は彼女の再生の物語であり、娘との和解の物語であろうと先読みしながら映画を見ることになる。
この映画には、戦火のシーンもなければ残虐な回想シーンもない。ひたすら時制は現在である。戦火が消えて十数年の今を女たちはどのように生きるのか。徹底してその視点から描かれているから、慎ましい母子の生活に戦争はまるで存在していないかのようにも見える。しかし、戦争の傷は今もなお生きてエスマを苦しめる。
死者20万人、難民・避難民が200万人と言われたボスニア紛争の原因について語る力量はわたしにはない。ただ、この内戦をルポして『殺しあう市民たち』を書いた吉岡達也氏が、「ボスニアの民族の違いなんて、大阪人と東京人の違いほどもない」と言っていたという話を思い出す。現地の人々も、外見では民族の見分けがつかないという。それなのに、なぜ「民族浄化」などという恐ろしい事態が起きるのか、わたしには理解できない。チトーが生きていれば歴史は変わっていたのだろうか。映画の中でも「チトーにかけて誓うわ」というジョークが出るほどにカリスマだった共産主義者が死んだ後、タガがはずれてしまった共和国を統合するものは存在しなかったのだ。
サラを演じたルナ・ミヨヴィッチがとてもいい。存在感があり、愛らしく、けなげだ。彼女がこの映画の魅力のかなりの部分を負っている。母子の諍いを経て、泣きじゃくるサラ。彼女のふてくされた顔がそれでもかすかな笑顔を宿すラストが小さな灯りをともす。とてもとてもあっさりと拍子抜けするほど慎ましく終わる物語は、つまりそれほどに癒されることが困難な今のサラエボの女たちの心を表象するのだろう。戦争、傷、記憶、赦し、というテーマに興味のある人なら必見作。(PG-12)
ところで、「シャヒード」という言葉に接して、数年前に見た展覧会「シャヒード、100の命:パレスチナで生きて死ぬこと」を思い出したので、HPの「よしなしごと」にかつて掲載していた記事をこちらのブログに復活させることにした。古い記事ですがご参考までに。といっても、映画には全然関係ありません。
http://blog.goo.ne.jp/ginyucinema/c/2f039d1ed9ec06feb30ab57cf8024396
<以下、ネタバレ>
出生の秘密を知ったサラは髪を切って丸坊主にしてしまう。彼女は「わたしがパパに似ているとこはどこ?」と無邪気にエスマに訊いて「そうね、髪の毛ね」という返答をもらって嬉しそうに笑った、そのシーンが思い起こされる。泣きながら髪を切るサラ。忌まわしい父の記憶につながる髪の毛を彼女は許すことができなかったのだろう。そうして、自分の出生自身を罰したサラ。可哀想なサラ。けれど、エスマは言う。「この世にこれほど美しい存在があるとは」と。
子どもは希望だ。命を燃やす、希望の火だ。
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GRBAVICA
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア、2005年、上映時間 95分
監督・脚本: ヤスミラ・ジュバニッチ、製作: バーバラ・アルバートほか
出演: ミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ、レオン・ルチェフ、ケナン・チャティチ
サラは12歳の少女。思春期を迎え、多感な時だ。母のエスマはボスニア政府からもらう援助金とお針子の仕事だけでは生活できず、夜のクラブでウェイトレスの仕事を始める。母子家庭の二人は慎ましく暮らすが、サラの修学旅行の200ユーロを工面できないエスマは焦って金策に走る。サラの父はシャヒード(殉教者)だから、証明書を出せば旅行費用は免除されるのだ。サラは母エスマに証明書をもらってくるように何度もせがむ。だがエスマは言を左右にして証明書をとろうとしない…
サラの父は本当にシャヒードなのか? 予告編でもかなりのネタバレがあったし、もう観客には真相はわかっていることなのだ。エスマは女性ばかりの集団セラピーを受けている。それが何のセラピーなのか、観客には理解できるし、ボスニアでムスリムの女たちに何が起こったのか、観客は歴史的事実として知っている。だから、この物語は彼女の再生の物語であり、娘との和解の物語であろうと先読みしながら映画を見ることになる。
この映画には、戦火のシーンもなければ残虐な回想シーンもない。ひたすら時制は現在である。戦火が消えて十数年の今を女たちはどのように生きるのか。徹底してその視点から描かれているから、慎ましい母子の生活に戦争はまるで存在していないかのようにも見える。しかし、戦争の傷は今もなお生きてエスマを苦しめる。
死者20万人、難民・避難民が200万人と言われたボスニア紛争の原因について語る力量はわたしにはない。ただ、この内戦をルポして『殺しあう市民たち』を書いた吉岡達也氏が、「ボスニアの民族の違いなんて、大阪人と東京人の違いほどもない」と言っていたという話を思い出す。現地の人々も、外見では民族の見分けがつかないという。それなのに、なぜ「民族浄化」などという恐ろしい事態が起きるのか、わたしには理解できない。チトーが生きていれば歴史は変わっていたのだろうか。映画の中でも「チトーにかけて誓うわ」というジョークが出るほどにカリスマだった共産主義者が死んだ後、タガがはずれてしまった共和国を統合するものは存在しなかったのだ。
サラを演じたルナ・ミヨヴィッチがとてもいい。存在感があり、愛らしく、けなげだ。彼女がこの映画の魅力のかなりの部分を負っている。母子の諍いを経て、泣きじゃくるサラ。彼女のふてくされた顔がそれでもかすかな笑顔を宿すラストが小さな灯りをともす。とてもとてもあっさりと拍子抜けするほど慎ましく終わる物語は、つまりそれほどに癒されることが困難な今のサラエボの女たちの心を表象するのだろう。戦争、傷、記憶、赦し、というテーマに興味のある人なら必見作。(PG-12)
ところで、「シャヒード」という言葉に接して、数年前に見た展覧会「シャヒード、100の命:パレスチナで生きて死ぬこと」を思い出したので、HPの「よしなしごと」にかつて掲載していた記事をこちらのブログに復活させることにした。古い記事ですがご参考までに。といっても、映画には全然関係ありません。
http://blog.goo.ne.jp/ginyucinema/c/2f039d1ed9ec06feb30ab57cf8024396
<以下、ネタバレ>
出生の秘密を知ったサラは髪を切って丸坊主にしてしまう。彼女は「わたしがパパに似ているとこはどこ?」と無邪気にエスマに訊いて「そうね、髪の毛ね」という返答をもらって嬉しそうに笑った、そのシーンが思い起こされる。泣きながら髪を切るサラ。忌まわしい父の記憶につながる髪の毛を彼女は許すことができなかったのだろう。そうして、自分の出生自身を罰したサラ。可哀想なサラ。けれど、エスマは言う。「この世にこれほど美しい存在があるとは」と。
子どもは希望だ。命を燃やす、希望の火だ。
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GRBAVICA
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ドイツ/クロアチア、2005年、上映時間 95分
監督・脚本: ヤスミラ・ジュバニッチ、製作: バーバラ・アルバートほか
出演: ミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ、レオン・ルチェフ、ケナン・チャティチ