ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

キルソドム 再会のとき

2007年12月29日 | 映画レビュー
 かつて、朝鮮戦争で離散した家族たちを探す番組がKBSーTVで驚異の視聴率を誇っていたということは知っていたし、その番組の中で再会成った家族が号泣して抱き合う姿も見たことがある。いつのまにかその番組もなくなったのだろうか、この映画はその番組を通して再開した離散家族の悲劇を描く。

 おそらく当時のTV映像をそのまま使っているのだろう、何組もの家族がお互いのことを語り合って、本当に自分のきょうだいなのか、息子なのかを探り合い、「そうか、ではこれは覚えているか?」「はい、覚えています。あのとき、わたしはチフスに罹って動けなくなり、兄さんは重いわたしを背負って逃げてくれた」「そうだ、そうだよ」「アイゴー、兄さん!」と、泣き崩れる。この番組は視聴率80パーセント以上だったというから恐るべき数字だ。「離散家族2千万」というテロップが流れていたから、さもありなん。

 そして、釜山に住む裕福な家庭の主婦ファヨンもまたテレビの前で涙にくれていた。彼女はまだ十代の頃に産んだ息子を朝鮮戦争のどさくさに紛れて手放してしまっていた。そして、同じ時に生き別れになり死んだものと思いこんでいたかつての恋人にも再会し、息子とおぼしき男も見つかったのだが…

 血は水より濃いと朝鮮の諺にあるが、実際には、血は文化的差異に負ける。何十年ぶりに出会った「息子」は自分が考えていたような男ではなかった。貧しさと差別の中ですさんだ生活をする男とその強欲そうな妻。そんな二人を自分の息子と嫁だとはとても思いたくないし、思えない。これもまた戦争が生んだ悲劇だ。30年以上離れて暮らした家族には、それぞれの生活の重みと疲労がたまっている。もう取り返すことのできない時間。

 親子の愛も無償のものではなかったということに軽い衝撃を受けた作品だ。考えてみれば当たり前かも。親は子どもを選べないが、心密かに選んでいるのだ。自分の期待するような大人になっていなかった息子は息子とは思いたくない、思えない。その身勝手さを誰が責めることができよう。今の安定した生活を壊すこともできないのだ。一時の再会の歓喜はたちまち日常生活の重みの前に潰えてしまう。

 いまだに朝鮮半島の分断は続く。これ以上離散家族が再会できない時間が延びれば延びるほど、家族の間の亀裂は深まるだろう。50年ぶりに再会してももう、家族としては暮らせない。ましてや北と南の体制の違い・富の格差を考えれば、北に存在する離散家族は南の家族にとって重荷でしかない。この悲劇がまだ終わっていないということこそがまさに悲劇だ。悲しくてやりきれない映画。(レンタルDVD) 

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製作国 韓国、1985年、上映時間 101分
監督: イム・グォンテク、製作: パク・ジョンチャン、脚本: ソン・ギルハン、音楽: キム・ジョンギル
出演: キム・ジミ、シン・ソンイル、ハン・ジイル、キム・ジヨン、チョン・ソムン

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