ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ためらいの倫理学 (角川文庫)

2003年09月09日 | 読書
ためらいの倫理学 (角川文庫): 戦争・性・物語
内田 樹著 : 角川書店 : 2003.8


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単行本は既に買って読んだというのに、新しいテキストが4本入って高橋源一郎の解説文も掲載されているとか聞くと、ついつい買ってしまったではないか。わたしってほんとうにウチダ先生の忠犬ハチ公みたいやねぇ。

 といいながらまた悪口を書いてしまいそうな悪い予感が…

 本書は二度目に読んでもやっぱり面白い。今回新たに加わったテキストのうち、「有事法制について」などはその論理展開の見事さに舌を巻いた。
 曰く、「単純計算すると、わが国が「有事」を経験したのは「有史」以来4回。平均のインターバルは182年。……次に日本が外国武装勢力に本格的に侵略されるのは2309年頃である」から、今の日本は「有事」に直面する前提などない、今は「無事」なのだ、とな。

 ウチダ氏は、「有事法制」を「無事法制」だと言い切り、賛成する者も反対する者も全員が「ほんとうに日本の国家主権が危機的な状況」など絶対に来ないということを気楽に信じている、と述べる。だから、有事法制に対しては「情けない」と自嘲する以外に批判の方途がないという。本気で有事法制に立ち向かうには、徹底した軍事大国化の道しかないそうだ。
 なんかもう天晴れな論理なので、わたしはその牽強付会の解釈にも「恐れ入りました」とほんとうに恐れ入った。

 本書の内容詳細については既に単行書と文庫に優れた書評がついているのでそちらに譲るとして、今回改めて感じたことを手短かに述べよう。

 ウチダ氏のおもしろさとわかりやすさの最大の理由はそのユーモラスな文体にあるのだが、これが高橋源一郎にそっくりであることを知ってしまった(今ごろ知ったのかと突っ込まないよーに)。寡読にして高橋源一郎の作品を知らないものだから今ごろ気づいたが、飄々として控えめでその実きつーいことをきっぱり言う。この物言いが読者を惹き付けるのだろう。

 だが、「私は審問の語法で語らない」とか「『私は正しい』ことを論証できる知性」はよくないと言いつつ、ご自分でちゃっかりその位置取りを守っているのだから、ちょっとズルイ。「私は自分が間違っているかもしれないという留保をいつも担保しているよ」と言うことによってしっかりご自分の後背地を守っている。頭のいい人だ(まあ、こういう論はつきつめれば循環論法に陥るのでやめておく)。

 また、「私はよく知らない」とか「わからない」と何度もウチダ先生は言うが、実は「知らない」ということを知っているというのはすごいことだ。すっとぼけているようでいてそうではない。このあたりの奥義も読者の腋の下にこちょこちょと指が届くような心憎さである。

 ウチダ氏の魅力はユーモラスな文体にあるだけではなく、「とほほ主義」とご自分でおっしゃる「ためらい方」にある。つい耳を傾けたくなるような深遠な反省の思弁を謙虚さのオブラートに包みつつ辛辣に語る、その批評精神の鋭さではないだろうか。

 こうしてまたわたしは、なんじゃかんじゃと文句を言いつつ、悪魔に魅入られたようにウチダ先生の虜になったのであった。(bk1)



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