今年いちばん泣いた映画。
これを見ると「無法松の一生」が見たくなる!
京都の下町の小さな映画館を支えてきた男女の物語。それはもう限りなく「ニュー・シネマ・パラダイス」。映画ファンのための映画なのだ。名作「ニュー・シネマ・パラダイス」も映画ファンの紅涙を絞ったが、こちらもやはり女性ファンたちの号泣を誘った映画。わたしは後半泣きっぱなしで、仕舞いにはしゃくり上げそうになるのをこらえるのに必死。後でトイレの鏡でうさぎ目になった自分の顔を見て絶句したけど、劇場からしゃくり上げながら出てくる若い女の子たちを見てちょっと一安心した。「よかった、わたしだけじゃない」
いえね、そんなに素晴らしい映画だったかって? 実を言うと、辻褄のあわないところとか説明不足のところとかたくさんあるのです。でもそんなの関係ねぇ! 理性的な批判や疑問をふっとばすような、映画への愛情がこの映画には溢れている。
原作は未読なので、どこがどう違うかはわからない。劇場用パンフレットによれば、かなり恋愛映画の色彩を濃くしてあるそうだが、それがやはり女性ファンの心をつかんだようだ。
物語は、2007年の現在、57年間続いた小さな映画館を閉めるからぜひご来臨あれという招待状が中年夫婦のもとに届くところから始まる。今はふるさと京都を遠く離れて離婚寸前の一組の夫婦が、かつて幼い頃、二人の憩いの場であった映画館「オリヲン座」の想い出を何十年ぶりか振り返るという物語。映画は、オリヲン座の館主である留吉(原田芳雄)の回想と、招待状を受け取った良枝(樋口可南子)の回想の形をとる。
昭和32年、オリヲン座のもとへ17歳の留吉(加瀬亮)が流れ着いた。京都の路地の突き当たりにあるその映画館は、映写技師の松蔵(宇崎竜童)とその年若い妻トヨ(宮沢りえ)の二人が切り盛りする小さな映画館だった。松蔵に頭を下げて雇ってもらうことになった留吉は、つらい徒弟奉公仕事もこなせるようになり、やっと映写機にも触らせてもらえるようになった矢先、「おやっさん」と慕った松蔵に死なれてしまう。遺されたトヨと留吉は、オリヲン座を守ることを決意するが、「未亡人と出来た」と噂する町の人々の中傷やら折しもテレビ時代が始まって観客は激減の一途をたどる…
映画ファンとしては、映画館に人が来ないのはほんとうに寂しい。だんだん観客が減るオリヲン座を見ていると切なさが募るが、とうとう一人の観客も来ない日が来ると、それだけで泣けてしまう。そして、誰もいない観客席でトヨと留吉が語り合うシーンでは、堪えきれずに涙が溢れた。二人は、極貧の中を耐えて耐えて映画館を維持していく。夫亡き後、自分より遙かに年下の留吉に慕われてトヨは二人で映画館を守っていくのだ。だが、周囲の中傷をはねつけるように、留吉はじっと想いを秘めたまま、耐え続ける。ある夜、留吉は、川辺で捕まえた螢を両手の平に包んで家に戻り、蚊帳の中で眠れずにぼうっとしているトヨに届ける。その場面の美しいこと。今思い出しても涙が出てくるほどだ。蚊帳の中を飛ぶ2匹の螢はまるで留吉とトヨのようだ。恥じらうように微かに光をともしながら飛ぶ螢、それは互いを求めながら一緒になれないもどかしさを抱えていく二人の愛の姿なのだ。
やがてオリヲン座には常連客ができる。それが幼い良枝とユウジだ。家庭がすさんでいる子どもたちは、オリヲン座で映画を見ることを何よりの楽しみにし、留吉とトヨをほんとうの両親のように慕う。
時は流れ流れて、21世紀となった。今日はオリヲン座閉館の日。トヨは瀕死の重態で病院で寝たきりである。留吉は一人、館主として観客の前に立ち、挨拶を述べることになるのか…
オリヲン座は昭和30年代の時点で既に死に体だ。いったいそれから何十年もの年月をどうやってしのいできたのだろう? 幼い頃に別れたきりの良枝とユウジのことを留吉はどうやって知ったのだろう? と、数々の疑問がわく。実際、オリヲン座をどうやって支えてきたのかを描いていないために、ラストの説得力に欠けるのだ。
結局のところ、留吉とトヨが最後までプラトニックな関係だったのかどうかは、映画では釈然としない。二人の純愛に涙した観客は、自分の望むままに二人の関係を想像するだろう。映画は、そのように観客の好みによって最後の仕上げを幾通りにも用意してくれる。ただ、間違いなく、映画を愛し映画館を愛し支え続けた人がいたこと、そして、そこに集う映画ファンがいたこと。映画への愛をいくつも運んでこの映画はそのことを教えてくれる。留吉が同じように古い映画をかけ続け、トヨが何年もアンパンとピーナツを売り続けたように、この映画館では時が止まっていた。何年も何年も二人はひたすら同じ日々を繰り返したに違いない。そして、止まった時の流れのなかで、この映画館を愛し守りぬいた館主たちは、古びた映画館の階段の手すりを錆びさせることなくいつも磨いていたのだろう。市井の人々の日常とはかくも同じことの繰り返しに耐えることによって築かれるのだ。
原田芳雄と加瀬亮の演技は特筆すべき素晴らしさだ。新旧の役者が本作を素晴らしい作品に仕上げてくれた。いくら瑕疵があっても気にならない、映画ファンのための映画がまた一つ生まれた。望みうるならば、描かれなかった数十年の物語を加えてさらに長尺のディレクターズカット版を作ってほしい。
劇場用パンフレットの監督インタビューを読むと、この映画の中で上映される作品のなかでも特に「無法松の一生」が大きな意味を持つことが解る。未亡人への想いを描いた「無法松の一生」に託した留吉の想いの切なさに再び思い至る。軍部の検閲によってずたずたにされたという戦中の「無法松の一生」をぜひ完全な形で見てみたいものだ。
なお、映画観賞後に原作を読んだ。原作については別エントリーで。
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オリヲン座からの招待状
オリオン座からの招待状
日本、2007年、上映時間 116分
監督: 三枝健起、プロデューサー: 佐々木亜希子、原作: 浅田次郎、脚本: いながききよたか、音楽: 村松崇継
出演: 宮沢りえ、加瀬亮、宇崎竜童、田口トモロヲ、中原ひとみ、樋口可南子、原田芳雄
これを見ると「無法松の一生」が見たくなる!
京都の下町の小さな映画館を支えてきた男女の物語。それはもう限りなく「ニュー・シネマ・パラダイス」。映画ファンのための映画なのだ。名作「ニュー・シネマ・パラダイス」も映画ファンの紅涙を絞ったが、こちらもやはり女性ファンたちの号泣を誘った映画。わたしは後半泣きっぱなしで、仕舞いにはしゃくり上げそうになるのをこらえるのに必死。後でトイレの鏡でうさぎ目になった自分の顔を見て絶句したけど、劇場からしゃくり上げながら出てくる若い女の子たちを見てちょっと一安心した。「よかった、わたしだけじゃない」
いえね、そんなに素晴らしい映画だったかって? 実を言うと、辻褄のあわないところとか説明不足のところとかたくさんあるのです。でもそんなの関係ねぇ! 理性的な批判や疑問をふっとばすような、映画への愛情がこの映画には溢れている。
原作は未読なので、どこがどう違うかはわからない。劇場用パンフレットによれば、かなり恋愛映画の色彩を濃くしてあるそうだが、それがやはり女性ファンの心をつかんだようだ。
物語は、2007年の現在、57年間続いた小さな映画館を閉めるからぜひご来臨あれという招待状が中年夫婦のもとに届くところから始まる。今はふるさと京都を遠く離れて離婚寸前の一組の夫婦が、かつて幼い頃、二人の憩いの場であった映画館「オリヲン座」の想い出を何十年ぶりか振り返るという物語。映画は、オリヲン座の館主である留吉(原田芳雄)の回想と、招待状を受け取った良枝(樋口可南子)の回想の形をとる。
昭和32年、オリヲン座のもとへ17歳の留吉(加瀬亮)が流れ着いた。京都の路地の突き当たりにあるその映画館は、映写技師の松蔵(宇崎竜童)とその年若い妻トヨ(宮沢りえ)の二人が切り盛りする小さな映画館だった。松蔵に頭を下げて雇ってもらうことになった留吉は、つらい徒弟奉公仕事もこなせるようになり、やっと映写機にも触らせてもらえるようになった矢先、「おやっさん」と慕った松蔵に死なれてしまう。遺されたトヨと留吉は、オリヲン座を守ることを決意するが、「未亡人と出来た」と噂する町の人々の中傷やら折しもテレビ時代が始まって観客は激減の一途をたどる…
映画ファンとしては、映画館に人が来ないのはほんとうに寂しい。だんだん観客が減るオリヲン座を見ていると切なさが募るが、とうとう一人の観客も来ない日が来ると、それだけで泣けてしまう。そして、誰もいない観客席でトヨと留吉が語り合うシーンでは、堪えきれずに涙が溢れた。二人は、極貧の中を耐えて耐えて映画館を維持していく。夫亡き後、自分より遙かに年下の留吉に慕われてトヨは二人で映画館を守っていくのだ。だが、周囲の中傷をはねつけるように、留吉はじっと想いを秘めたまま、耐え続ける。ある夜、留吉は、川辺で捕まえた螢を両手の平に包んで家に戻り、蚊帳の中で眠れずにぼうっとしているトヨに届ける。その場面の美しいこと。今思い出しても涙が出てくるほどだ。蚊帳の中を飛ぶ2匹の螢はまるで留吉とトヨのようだ。恥じらうように微かに光をともしながら飛ぶ螢、それは互いを求めながら一緒になれないもどかしさを抱えていく二人の愛の姿なのだ。
やがてオリヲン座には常連客ができる。それが幼い良枝とユウジだ。家庭がすさんでいる子どもたちは、オリヲン座で映画を見ることを何よりの楽しみにし、留吉とトヨをほんとうの両親のように慕う。
時は流れ流れて、21世紀となった。今日はオリヲン座閉館の日。トヨは瀕死の重態で病院で寝たきりである。留吉は一人、館主として観客の前に立ち、挨拶を述べることになるのか…
オリヲン座は昭和30年代の時点で既に死に体だ。いったいそれから何十年もの年月をどうやってしのいできたのだろう? 幼い頃に別れたきりの良枝とユウジのことを留吉はどうやって知ったのだろう? と、数々の疑問がわく。実際、オリヲン座をどうやって支えてきたのかを描いていないために、ラストの説得力に欠けるのだ。
結局のところ、留吉とトヨが最後までプラトニックな関係だったのかどうかは、映画では釈然としない。二人の純愛に涙した観客は、自分の望むままに二人の関係を想像するだろう。映画は、そのように観客の好みによって最後の仕上げを幾通りにも用意してくれる。ただ、間違いなく、映画を愛し映画館を愛し支え続けた人がいたこと、そして、そこに集う映画ファンがいたこと。映画への愛をいくつも運んでこの映画はそのことを教えてくれる。留吉が同じように古い映画をかけ続け、トヨが何年もアンパンとピーナツを売り続けたように、この映画館では時が止まっていた。何年も何年も二人はひたすら同じ日々を繰り返したに違いない。そして、止まった時の流れのなかで、この映画館を愛し守りぬいた館主たちは、古びた映画館の階段の手すりを錆びさせることなくいつも磨いていたのだろう。市井の人々の日常とはかくも同じことの繰り返しに耐えることによって築かれるのだ。
原田芳雄と加瀬亮の演技は特筆すべき素晴らしさだ。新旧の役者が本作を素晴らしい作品に仕上げてくれた。いくら瑕疵があっても気にならない、映画ファンのための映画がまた一つ生まれた。望みうるならば、描かれなかった数十年の物語を加えてさらに長尺のディレクターズカット版を作ってほしい。
劇場用パンフレットの監督インタビューを読むと、この映画の中で上映される作品のなかでも特に「無法松の一生」が大きな意味を持つことが解る。未亡人への想いを描いた「無法松の一生」に託した留吉の想いの切なさに再び思い至る。軍部の検閲によってずたずたにされたという戦中の「無法松の一生」をぜひ完全な形で見てみたいものだ。
なお、映画観賞後に原作を読んだ。原作については別エントリーで。
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オリヲン座からの招待状
オリオン座からの招待状
日本、2007年、上映時間 116分
監督: 三枝健起、プロデューサー: 佐々木亜希子、原作: 浅田次郎、脚本: いながききよたか、音楽: 村松崇継
出演: 宮沢りえ、加瀬亮、宇崎竜童、田口トモロヲ、中原ひとみ、樋口可南子、原田芳雄