ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

クワイエットルームにようこそ

2007年11月10日 | 映画レビュー
 途中までのコメディタッチが後半は一転、シリアス調に。最後は切なくも爽やかで、しみじみしてしまった。


 主人公は28歳、ライターの佐倉明日香。彼女はうっかり睡眠薬とお酒を一緒にしこたま飲んでしまい、同棲相手のお笑い放送作家鉄雄によって病院に担ぎ込まれる。自殺未遂と間違われた明日香はそのまま精神病院送りとなり、クワイエットルームと呼ばれる閉鎖病棟内の特別監禁室で拘束されてしまう。この物語は、明日香がこの病院に入院させられていた2週間を描いたコメディでかつちょっとシリアスな感動作(ほんとか?)。

 松尾スズキとは相性が悪いと思っていたのだが、本作に関しては違和感がなかった。前半のお笑いぶりもそこそこに可笑しく、後半のシリアス調もごく自然に演出の流れが変わっていく感じに受けとめられて、なかなかいい。まあ、宮藤官九郎の演技がちょっと芝居がかっていて見苦しい部分もあったけど、映画的に許せるギリギリのところで抑えている感じがよくわかり、この人のうまさに感心した。お笑いだけじゃなくてもっといろんな役をやらせれば、すごい才能を見せるんじゃないかな。わたしはテレビを見ないから宮藤官九郎を見たのは本作が始めてなんだけど(あ、いろんな映画に出演しているわ、でも記憶にない!)、かなりいい役者だと思う。

 舞台となるのが精神病院の女子病棟ということもあり、けったいな人々がいくらでも登場する。その「けったいさ」にも濃淡があって、ほんの少し「ふつう」よりも過剰なだけ、という人々も病人として収容されていたりする。過食症、拒食症の女性たちがかなり重要な役を振り当てられているところが本作のみどころとなる。蒼井優が拒食症の女性を静かな迫力をこめて演じているのが卓抜で、大竹しのぶの過食症おばさんの意地悪ぶりも堂に入ったものだ。脇役たちの怪演ぶりを受けて内田有紀は堂々と「ふつうの女ぶり」を発揮している。

 本作のうまくできているところは(これは原作どおりなのだろう)、うっかり事故で入院した明日香がなぜ自分が精神病院に入院させられたのか、その真相を知っていくにしたがって、観客もまたこの「中身からっぽ女」の苦悩を知って心を揺さぶられていくことにある。確かにでたらめな生き方をしてきた自堕落なバカ女には違いないけれど、その姿が妙に自分と重なってぎくりとさせられる。特に彼女が仕事に行き詰って原稿の催促ぜめにあい、酒を浴びるように飲んでしまう場面なんて、「わかるわ~、その気持ち」。ま、大酒を飲むかどうかは別として、こういう苦しみやしんどさというのは誰しも見に覚えのあることではなかろうか。精神病院の中で自分だけがまともな人間だという思い込みが間違いであったことに気付くその過程は、そのまま現実の社会にあってわたしたちが陥る陥穽を反映している。

 ラストシーンは思わず笑ってしまう1カットが挿入されている。こういうリセット人生というのもいいね、しかしこれは若さの特権だろう。もう50歳近いわたしには同じようなリセットはきかない。

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日本、2007、上映時間 118分
監督・原作・脚本: 松尾スズキ、チーフプロデューサー: 小川真司、音楽: 門司肇、森敬
出演: 内田有紀、宮藤官九郎、蒼井優、りょう、塚本晋也、平田満、妻夫木聡、大竹しのぶ

紙屋悦子の青春

2007年11月10日 | 映画レビュー
 病院の屋上のベンチに老夫婦役の原田知世と長瀬正敏が暗い表情で座っている。二人はどうでもいいような会話を薩摩弁で延々と繰り返す。映るのは屋上と雲だけ。メイキャップで老けさせているけれど、この二人はどうみても老人に見えない。しかも延々と退屈な会話が続く。これはいったいどうなるんだろうと思わせておいて、いきなり時代は戦時中へ。あとは限りなく地味な室内での会話劇が展開されるだけなのに、画面から目が離せなくなる。黒木監督の遺作は、枯れて淡々とした味わいの悲しい悲しい物語だった。

 明石少尉は海軍の若き将校で、特攻の志願をして散っていく。彼は死ぬ前に自分が愛した女性を親友に託していくのだ。愛した女性といっても相手にはその想いを伝えたわけではなく、相手の紙屋悦子も想いを誰にも伝えていない。奥ゆかしくただひたすら想いを忍び忍んで胸にしまい込むだけの二人が、一言の愛の言葉を交わすこともなく別れていく。残った明石少尉の親友永与少尉は悦子と見合いをしてすっかりその気になる。

 ストーリーはただこれだけだ。なんの盛り上がりもなく、ただただひたすら戦時下の日常生活を、じっと据えられたカメラが見つめていくのみ。小津ばりの低い位置の固定カメラで長回しをする黒木監督、この人はこういう作風だったっけ? 戦時下・戦後の三部作としては、「父と暮らせば」や「美しい夏キリシマ」とも雰囲気が違う。随分昔に見た「TOMORROW」に近いかも。黒木さんの作品としてはもっとも感動したのが本作だ。

 今ではもう都会では見かけなくなった卓袱台を挿んでの夫婦の会話。カメラは固定のまま、延々と二人を撮りつづける。戦時下の食事は質素この上ないけれど、それでもまだ若い夫婦はしっかりと食事をしている。その食事風景が失われた何かを思い出させる。本上まなみと小林薫という夫婦がご飯を食べながらああでもないこうでもないと妹の悦子のことを案じ、東京大空襲で両親を亡くしたばかりの二人は、それでも鹿児島には空襲もほとんどないと語り合う。「お父さんたちも東京へ行ってなければ死ぬことはなかったのに」という後悔は、帰りが遅い悦子の身を案じる気持ちへと繋がっていく。このシーンは役者には大変な負担だったと思うが、二人とも実にうまく演じていて、感心した。

 そんなふうに戦時下の日常生活が描かれる。戦場はまったく登場しない、銃声も聞こえない、空襲警報もない、ほんとうに戦争をしているのか?と思うほどだ。だが、そこには確かに戦時下にしかない緊張感が漂い、言葉の端々と、人物のたたずまいに戦争の悲劇を感じさせる。見合いにやってきた相手に悦子はぼた餅を作って供する。それがどれほどの貴重品であるか、観客たるわたしでさえ知っていることなのだから、登場人物たちが生唾を飲み込むようにぼた餅を眺める気持ちが手に取るようにわかる。それでも、カメラはあくまで淡々と距離を置いてほとんど動かない。決して扇情的な動きはしない。

 悦子が愛する明石少尉がいよいよ出撃のために基地へ異動する前夜、紙屋家に挨拶に来る。もう二度と会うことのない人に、悦子は固い表情で精一杯、ただ、「御身御大切に」(※註)と言う。「御身御大切に」。この言葉は単なる挨拶語ではない。愛する人に語るべき言葉も失った女が、精一杯魂の底から絞り出した言葉なのだ。「御身御大切に」。もうすぐその御身は喪われる。二人は愛し合いながら互いにそのことは一言も言わず、手も握らず別れて行く。そんな時代だったのだ。好きな人に好きということさえ憚られる、未来などなにも考えることのできない、そんな戦争の時代だった。


 役者たちの年齢がちぐはぐなのだが、舞台劇そのままのような雰囲気を残すこの映画ではさほど違和感はない。とにかく淡々とした映画で、けれど脚本がしっかりしているので、だらだらとした日常会話の中にしっかりと戦争の暗い影を掴むことができる。悲恋ものはやはり涙腺が緩む。悦子が「御身御大切に」と言った瞬間に泣けて泣けてたまらなかった。(レンタルDVD)


<追記、2008.6.22>
「御身御大切に」は間違っているというご指摘がありました。正しくは「御身体御自愛下さい」だそうです。わたしは「御身御大切に」のほうがこのさい悦子に似合っている台詞だと思うのでこのまま表記しておきます。

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日本、2006年、上映時間 111分
監督: 黒木和雄、製作: 川城和実ほか、原作: 松田正隆、脚本: 黒木和雄、山田英樹
出演: 原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫

ハッピーフィート

2007年11月10日 | 映画レビュー
 フランスのドキュメンタリー映画「皇帝ペンギン」の成功にあやかろうとしたのか、南極に住む皇帝ペンギンのヒップホップなアニメを豪華なキャストで声の出演させた映画。音痴なペンギン、マンブルは、歌を歌うかわりにステップを踏んでしまうといういっぷう変わったペンギン。この世界では歌を歌えないとつれあいにめぐり合えないという掟があるというのに、マンブルは超音痴で、しかも誰も見たことも無いようなペンギンらしからぬタップダンスのステップを踏んでしまうのだ。で、変わり者として周囲から白い眼で見られるマンブルも、いつしか彼の素晴らしいタップで周りを魅了し、やがては感化させるまでになる。というお話。

 とにかくダンスが素晴らしく、カメラワークが雄大で絵が美しい。中盤のリュージュに乗っているようなスピード感も文句なし。歌は懐かしいスタンダードナンバーが目白押しで、歌も踊りもたっぷり堪能できるし、なんといってもペンギンが可愛い。DISCAS評では、前半の歌と踊りはいいけど後半の環境問題が出てくるあたりが興醒めという意見が多かったけど、それほど説教臭いわけでもなかった。とはいえ、人間の乱獲によってペンギンのエサが減っているという主張にはなにやら捕鯨禁止のプロパガンダも臭うような気がするのはうがちすぎか…?

 ストーリーには意外性もなく、異質な他者を排除してはいけないという表層を流れる思想もありきたりで、これが「カーズ」を押さえて2006年度アカデミー賞長編アニメ賞を受賞したとは納得できない。ストーリーの質よりもキャストの豪華さや絵と音楽の楽しさというハリウッドらしさのほうに軍配が上がったということか。(レンタルDVD)

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HAPPY FEET
オーストラリア、アメリカ、2006年、上映時間 108分
監督: ジョージ・ミラー、共同監督: ジュディ・モリス、ウォーレン・コールマン、製作: ジョージ・ミラーほか、脚本: ジョージ・ミラー、ジョン・コリーほか、音楽: ジョン・パウエル、アニメーションディレクター: ダニエル・ジャネット
声の出演: イライジャ・ウッド、ブリタニー・マーフィ、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、ヒューゴ・ウィーヴィング、ロビン・ウィリアムズ

ツォツィ

2007年11月10日 | 映画レビュー
 ツォツィとは「不良」とか「悪党」という意味。南アフリカ共和国・ヨハネスブルグのスラムに住むツォツィという渾名の青年が、仲間達と一緒にかっぱらい、強盗、追い剥ぎで生計を立てている。本名を捨てて一人バラックに住むそんな悪党のツォツィが、ある日、金持ちの奥さんを銃撃し車を奪ったところ、後部座席には赤ん坊がいたのだ。驚くツォツィだが、なぜか彼はその赤ん坊を捨てたりせず、自分の家に連れ帰って世話をするのだった。もちろん赤ん坊の世話などできようもはずもないツォツィは、泣き声にいらつき、ウンチの臭いに往生する。何よりも困るのは乳だ。町で見かけた若い女の家に押し入って、「この赤ん坊は俺の子だ。乳を飲ませろ」と銃で脅迫する。赤ん坊が乳を飲む姿を見ながら、ツォツィは自分の不遇な子ども時代を思い出していた。病気で寝たきりの母、暴力を振るう父。

 凶悪なツォツィの表情が、赤ん坊とふれあうようになってからみるみる優しくなるのが微笑ましい。しかし、人殺しでもやるような悪党が、なぜ赤ん坊にだけは優しいのか、ちょっと理解しがたいものがあるが、彼はほんとうはそんなに悪い子ではなかったのだろう。映画の視線は優しい。親の元を飛び出して土管の中で暮らした少年時代。ストリートチルドレンだった彼にはほかに生き方がないのだ。

 赤ん坊を扱う手つきの危なっかしさには思わずハラハラさせられるし、ほんとに泣かせているのだから、この赤ん坊役の親はよくこんな映画に出演させたもんだと感心する。


 すさんだ生活をしていた男も、赤ん坊を育てようと決心したことから変わっていく。映画はそのことを救いのように描く。確かにラストシーンは感動的なんだけれど、このどうしようもなく厳然と存在する貧富の格差を見ていると、ツォツィはいくらでも生まれてくる、と思える。人は変わるし変われるが、それには本人の努力だけではなく、周囲の協力や眼差しが必要なのだ。そして何よりも根本的な解決は格差をなくしていくことだろう。ツォツィの未来は決して明るくない。だから、この感動的なラストシーンをわたしは複雑な思いで見ていた。かの国の貧困とわたしたちは無縁だろうか?と。(レンタルDVD)(R-15)


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TSOTSI
南アフリカ/イギリス、2005年、上映時間 95分
監督・脚本: ギャヴィン・フッド、製作: ピーター・フダコウスキ、製作総指揮: ロビー・リトル、原作: アソル・フガード 『ツォツィ』、音楽: マーク・キリアン、ポール・ヘプカー
出演: プレスリー・チュエニヤハエ、テリー・フェト、ケネス・ンコースィ、モツスィ・マッハーノ、ゼンゾ・ンゴーベ ブッチャー

デビルズ・バックボーン

2007年11月10日 | 映画レビュー
 「パンズ・ラビリンス」を見てギレルモ・デル・トロ監督に興味を持ったので、前作を見てみた。で、「パンズ・ラビリンス」よりこっちのほうが気に入った。「パンズ・ラビリンス」と同じく、スペイン内戦を背景にした子どもたちの成長物語。しかし、「パンズ・ラビリンス」が現実逃避した少女の物語だったのに比べて、こちらは現実と果敢に戦った男の子の物語。後味はまるっきり逆だ。わたしは現実逃避よりも現実と戦うほうが好きだから、こちらの作品のほうに軍配を上げる。

 しかし、作品の出来は「パンズ・ラビリンス」のほうが上だと思う。なにしろあの特殊メイクの面白さや想像力は群を抜いていたからね。ラストの切なさもよかったし。スペイン内戦を扱ったという点でも、「デビルズ・バックボーン」はまったく物語の背景の一部にしかなっていないが、「パンズ・ラビリンス」のほうはきちんと描こうとしていたところが評価できる。ところが、ギレルモ・デル・トロ監督というのはどうやら政治劇が向いていないと見た。この人、無理にスペイン内戦を描こうなどとすると馬脚を現すのではなかろうか。いっそ、本作のように内戦のドロドロは完全に後景に押しやったほうが正解だった。


 じつは本作がホラーだということを知らずに借りてしまったのだ。ホラー苦手なわたしにとってはこんなものでもじゅうぶん怖い。特に子どものおばけって怖いのよね。幽霊が出てきたのにはびっくりした。スペイン内戦という、死が身近にあふれていた時代の物語、どこにでも幽霊は存在したことだろう。物語の舞台は町から遠く離れた孤児院だ。ここは共和派の隠れ孤児院であり、中庭には不発弾が突き刺さっているという不気味なところ。院長先生は義足をつけた老婦人で、おそらく共和派の一人として戦って足を失ったのだろう。老婦人とはいえ、えらく美しい人で、どこかなまめかしい。その院長に言い寄るのは60歳を過ぎた老医師だ。老医師は幼児の死体を酒に漬けて、その酒を強壮剤として売っている。地下室には不気味な濁ったプールがあって、何やら怪しげな雰囲気を湛えている…

 内戦、迷信、金に目のくらんだ亡者、年老いてなおエロスを忘れない男と女、孤児となった少年の戦い。この映画に描かれたモチーフは、ある意味雑然としているけれど、ギレルモ・デル・トロ監督の将来性をじゅうぶん表していると言える。まだまだ若い監督、「パンズ・ラビリンス」で本作よりいっそう完成度の高さを見せた。さらに次回作が楽しみ。(レンタルDVD)(PG-12)

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EL ESPINAZO DEL DIABLO
スペイン、2001年、上映時間 106分
監督・脚本: ギレルモ・デル・トロ、製作: ペドロ・アルモドバル、音楽: ハビエル・ナバレテ
出演: エドゥアルド・ノリエガ、マリサ・パレデス、フェデリコ・ルッピ、フェルナンド・ティエルブ、

蝉しぐれ

2007年11月10日 | 映画レビュー
 泣かせどころは三カ所。

 幼い頃からの20年に及び恋心を美しい四季の移り変わりとともに丁寧に描いた。…つもりなんだろうけれど、時間の流れが実感できないのは残念。人物の心理も丁寧に描いた。…つもりなんだろうけれど、これまたなんで幼い頃の恋がそんなに長く二人の絆となるのかよくわからない。江戸に上がってからのふくの様子がまったく描かれないからだろう、離れていても忘れがたい想いというものの実感がないのだ。

 それでもしっかり泣いてしまったから、よほどストーリーの軸がきちんとできていると言えよう。父親の無念の切腹、冷遇、幼なじみの初恋の少女は江戸の屋敷に奉公にいき、殿様の手がつく。今や殿の側女となった恋しい人は手の届かない人。こういう展開だと嫌がおうにも切なさは盛り上がる。

 家老たちの暗躍になんだか説得力がないし、世継ぎを掠ってしまおうなどと強引なやり方にはリアリティが感じられない。ただし、チャンバラ大立ち回りはなかなか見せ所であった。血を見て腰の引ける武士というのはいかにもありそうだ。戦国時代とは違うと思わせるリアリティがあった。

 緒形拳の演技はさすがだが、とにかく全体に話がさらっと流れすぎたのは残念。洪水の場面がスタジオ撮影丸出しの迫力のなさには笑ってしまうが、室内の場面での固定カメラの使いかたなどはなかなか苦心の跡が見られて好ましかった。(レンタルDVD)


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日本、2005年、上映時間 131分
監督・脚本: 黒土三男、製作: 俣木盾夫、原作: 藤沢周平、音楽: 岩代太郎
出演: 市川染五郎、木村佳乃、ふかわりょう、今田耕司、原田美枝子、緒形拳、小倉久寛、根本りつ子、渡辺えり子、麿赤兒、田村亮、三谷昇、大滝秀治、大地康雄、緒形幹太、柄本明

ボビー

2007年11月10日 | 映画レビュー
 冒頭で、アンソニー・ホプキンスが「『グランド・ホテル』を見たか?」という科白があるが、その通りにグランドホテル形式の群像劇。タイトルロールのボビー・ケネディ役が登場しないといういっぷう変わった趣向だ。ボビー役の俳優はクレジットされていない。彼は実物が登場する。当時の実写フィルムの中だけでボビーの姿が見られるのだ。

 ロバート(ボビー)・ケネディが暗殺されたアンバサダー・ホテルの一日を描く群像劇なのだが、わたしはボビーの暗殺事件については予備知識がほとんどなかったので、なぜ群像劇なのかが理解できず、制作者の意図はなんなのだろう、いったい無名の多くの人たちのドラマがボビーとなんの関係があるのかといぶかりながら見ていた。だから、散漫な映画だという印象を抱いていたのだ。どうやって収束させるのだろう、この群像劇を? と思ったのだが、なるほど、そういうことだったのか。

 確かにこの群像劇は当時の世相を表している。世代も人種も異なる人々を登場させたために、アメリカが抱えていた様々な問題が浮き彫りになるのだ。

 ジョン・F・ケネディ暗殺事件を扱ったオリバー・ストーンの「JFK」が真っ向勝負の政治裁判劇だったのに対して、こちらは人間ドラマの体裁をとる。しかし、最後にボビーの演説を延々流したことにより、明らかに現ブッシュ政権への批判となるという点では政治劇の香りを一振りしたものと言える。ハリウッドがこんなに露骨に民主党に肩入れする映画を作るのかぁとちょっと驚いた。

 カリフォルニアのアンバサダーホテルは現在はないそうだが、当時の面影を再現した美術はなかなかのもの。また、暗殺の日にホテルに集まっていた人々の配置がうまいので、当時の社会を見せるにはいい脚本だと思う。これがノン・フィクションならものすごく制約があるのだが、あえてフィクションにしたのがよかったのではなかろうか。ホテルの従業員を多く登場させ、それぞれのドラマを一流の役者に演じさせたのはいいアイデアだったと思う。なにしろキャストが豪華だからねぇ。ハリー・ベラフォンテなんて何年ぶりに見ただろう? ただ、アンサンブルとしてはうまくいっているかどうかは疑問だ。最後の最後になるまで調和がとれているように思えなかったからだ。やっとボビー暗殺の場面にきて群像劇の意味が理解できたのだが、不自然な感じは否めない。

 そして、何よりボビー像がはっきりしない。彼の主義主張は最後に延々演説を流したからある程度わかったけれど、ボビーという人間についてのドラマではなかったのは期待はずれだったかも。まあ、こういう伝記映画も目新しい手法かもしれない。散漫な感じは否めないが。

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BOBBY
アメリカ、2006年、上映時間 120分
監督・脚本: エミリオ・エステヴェス、製作: エドワード・バスほか、製作総指揮: アンソニー・ホプキンス ほか、音楽: マーク・アイシャム
出演: ハリー・ベラフォンテ、ジョイ・ブライアント、ニック・キャノン、エミリオ・エステヴェス、ローレンス・フィッシュバーン、アンソニー・ホプキンス、ヘレン・ハント、ウィリアム・H・メイシー、デミ・ムーア、マーティン・シーン、クリスチャン・スレイター、シャロン・ストーン、イライジャ・ウッド