大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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☆日々の出来事
☆不条理日記

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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A,日々の出来事

☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

しづめばこ 7月9日 P317

2014-07-09 18:35:40 | C,しづめばこ
しづめばこ 7月9日 P317  、大峰正楓の小説部屋で再開しました。


小説“しづめばこ”は読み易いようにbook形式になっています。
下記のリンクに入ってください。(FC2小説)

小説“しづめばこ”



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日々の恐怖 7月8日 ボロ家

2014-07-08 17:53:41 | B,日々の恐怖



     日々の恐怖 7月8日 ボロ家



 数年前に実家で、甥っ子や姪っ子達とテレビを観てた。
映っていたのは、昔の田舎の家。

「 そういや、うちも昔はこんなお風呂だったよねぇ。」

と俺は言った。
家族全員が何故かきょとんとした顔になった。

「 ほら、まん丸い五右衛門風呂でさ、スノコみたいなの踏んで入るの、覚えてない?」

不思議そうな顔をした妹が言った。

「 兄ちゃん、どこでそんなお風呂入ったの?」

両親も似た様な表情で俺を眺めている。

「 何を言ってるんだお前は?」
「 いやいやいや、この家昔はすげーボロ家だったじゃん。」

じれったくなった俺は、その辺にあったチラシの裏に、間取りをスラスラ描く。

「 ここが凄い狭い廊下で、その先が土間になってて、土間のすぐ横が風呂場で・・・。」
「 ちょっと待て。」
「 ?」

父親が描きかけの空白部分を指差して言った。

「 ここには何があった?」
「 えーと、井戸があって、ポンプが1日中ウンウン言ってた。」

俺は井戸の印に丸を描いて、そこからパイプを家の外に向かって伸ばした。

「 なんか、近所に住んでた鯉飼ってる人の家に売ってたとか・・・・、あれ・・?」

そこで奇妙な感覚に陥る。
スラスラ描けるほどハッキリ覚えていた記憶が、描くそばからほろほろとあやふやになって行く。

「 それ誰に聞いた?」
「 誰って、爺ちゃん・・・、あっ・・・・!」

祖父は自分が生まれる前に他界していた。

「 確かに昔は五右衛門風呂だったし、井戸の水を近所に送ってた。
だけど、お前が生まれた年に建て替えたんだぞ?」
「 えっ?あれっ・・・??」

すっかり描き上がった古い平屋の見取り図は、もう知らない家になっていた。














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日々の恐怖 7月7日 七夕

2014-07-07 18:28:34 | B,日々の恐怖


    日々の恐怖 7月7日 七夕


 小学校のクラスメイトにMというのがいて、父親は地元の名士で有名な産婦人科医でした。
外壁に蔦がはっているようなかなり古い2階建ての洋館を病院にしていて、近所の子供たちの間では、お化け屋敷などと言うものもいました。
 何でも、関東大震災後に建てられた建物だということでした。
実際は、医師として大変評判のいい父親のおかげで、病院はとても繁盛していたようです。
 ところが、小学校の卒業をひかえた頃、Mの父親は突然亡くなり、病院はやめることになりました。
あとには、Mとその母親と妹、そしてお祖母さんが残されました。

 何年か経て地元の高校に入学し、当時またクラスメートになっていたMたちと話していた。
誰が言い出すともなく、Mの家の今は使っていない病院だった洋館で、怪談大会でもやろうということになった。
泊まりに行っていいかと尋ねたところ、

「 いいけど、今度の7月7日の晩ならいい。」

と、わけのわからないことを言うのでした。

「 何で?」

と聞くと、

「 その日は、オヤジが死んでから毎年、幽霊が出るようになったんだ。
だから家族は親戚の家に行って、家には誰もいなくなる。」

と、ことも無げに言うのです。
 そんなMの話が火に油を注ぎ、また、その年の7月7日が土曜だったこともあり、大変な盛り上がりになった。
そして7~8人の参加者が集い、待望の7日、つまり七夕の晩、夕方から家人のいないMの家へ集まった。
 ぼくたちは飲めもしないビールをちびちびやりながら、大いに楽しんでいました。
じゃあ、そろそろ病室で怪談をやろうということになり、Mの家族が生活している母屋から中庭を隔て、渡り廊下の先、元病院だった洋館へと移動しました。
 蝋燭を一本、元病室の真ん中に置き、思い思いにつたない怪談を始めたわけです。
で、Mの番になり、

「 7月7日に毎年出るという幽霊について話してもらおうじゃないの。」

ということになりました。
Mが言うには、

「 別に父親の幽霊が出るというのではない。」

だいたいMのお父さんが亡くなったのは冬ですし、脳溢血で亡くなったとも聞いてます。

「 じゃあどんな幽霊が出るの?」

と聞くと、お父さんが亡くなる前、同じ年の7月7日の夜のこと。
 その日は雨が降っていて、誰とも知れぬズブ濡れになった妊婦が、たった一人で、もう、ほとんど赤ちゃんが生まれそうになった状態で、病院を訪れたということでした。
 Mの父はとりあえず妊婦を病室に運んだのですが、結局赤ちゃんは死産でした。
女の子だったそうです。
母体の方もかなり衰弱が激しく、危ない状態だったそうですが、ともかく一命は取り止めました。
 朝方、徹夜となった看護婦さんと一休みしていると、ほんの30分ほど病室を空けただけなのに、その瀕死と思われた女は病室から消えていたそうです。
もともと何の持ち物もなかったそうですが、ズブ濡れの服とともに、名前も素性も何もわからないまま、いなくなってしまいました。
それで警察に連絡し、近所を探したりしたそうですが、最終的に女は見つからず、それっきりになってしまいました。

「 じゃあ、その消えた女が幽霊になって出るの?」

と聞くと、Mは、

「 いや、その時の死産だった赤ん坊が出る。」

と言うのです。

「 いや、出るというよりも、泣くんだ。」

と言うのです。
 いずれその消えた女が戻って来るのではないか、と考えたMの父は、その赤ちゃんを葬らずお骨にしました。
それを病院の空き室というか、物置のような部屋へ置きました。
そして、その消えた女が戻ってこないまま、Mの父は亡くなってしまったそうです。
 それからというもの、毎年7月7日の深夜、その空き部屋から赤ちゃんの泣き声がするようになった、と言うのです。
誰も幽霊を見てはいないけれど、確かに赤ちゃんの泣き声はする。
だからその夜は、気味が悪いので家族は外泊するようになった、ということです。
 Mというのは、度胸がすわっているというか、何も感じないというか、いま思えば変なヤツです。
その晩、ぼくたちが怪談をしていた部屋は、ご丁寧にも、その赤ちゃんの骨を安置した空き部屋の隣ということでした。
 日頃、何かれとなく実直なMが作り話をしているとも思えず、その話を聞いた段階で、友だちの何人かは帰ると言い出しました。
結局残ったのは、Mとぼくともう一人でした。
 とりあえず隣の部屋というのはヤバイということで、母屋の方へ移動しようとしました。
すると、さっき帰ったはずの友だちのうち二人が、血相を変えて戻って来ました。

「 どうした?」
「 出た!出た!」
「 何が?」
「 病院の入り口の方に、ズブ濡れの女がいたんだ!」
「 マジ?」
「 本当だよ、あとのヤツは逃げた」

 それなりに高い塀で囲まれたMの家は、母屋の裏の勝手口か、その元病院の正面玄関横の通用口を通らないと、外に出れないようになっていました。
それで正面にまわった二人は、パニック状態で戻って来たわけです。
 とにかくすぐに外へ出ようということになり、手近にあった自転車を踏み台に塀をよじ登りました。
その瞬間、確かに赤ちゃんの泣き声が聞こえて来ました。
 すすり泣くような声?
遠くで急ブレーキをかけているような音?
猫の鳴き声?
いろんな風に聞こえましたが、赤ちゃんの泣き声というのが一番ぴったりするような音でした。
その時、塀の上に腰掛けるような姿勢になっていたぼくは、病院の窓ガラス越しにこちらを向いている髪の長い女が見えました。
何か箱のようなものを持っていたと思います。
そして、ぼくは塀から落ちました。
一瞬気を失ったんだと思います。
 その後、すぐに後から塀を越えて来たM達に、道に倒れていたぼくは起こされました。
不思議と塀を隔てた外側では、赤ちゃんの泣き声は聞こえませんでした。
それでもぼくたちは夜の道をひた走り、とりあえずMの家からはそこそこ離れました。
 息を切らして互いを確認し合い、そしてMを罵りました。

「 バカヤロー!」
「 こえーじゃんか!」
「 アホー!」

などと皆でMに当たっていると、Mはポツリと、

「 うん、怖えな・・・。」

と言いました。
そして、さっき見た女を思い出しながら、

「 ねえ、赤ちゃんの骨って箱にいれてあんの?」

とMに聞くと、

「 うん、桐の箱。」

と答えました。
殴ってやろうかと思いました。
 Mはその後、高校を卒業すると家族で引っ越し、あの洋館のあった場所はコンビニになっています。
そして彼は、家族の期待を裏切り、医者にはなりませんでした。












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日々の恐怖 7月6日 手紙

2014-07-06 19:37:05 | B,日々の恐怖



     日々の恐怖 7月6日 手紙



 ある日の夕暮れ近く、勤めからの帰りがけに、一人の若い婦人が、クネーゼベックシュトラッセのひどく爆破された住宅街で電車を待っていた。
その時、一人の盲目の男が彼女に突き当たった。
 彼は背が高く、やつれた中年の男で、黒い眼鏡に古びたセーター、かかとにまでとどくだぶだぶのズボンを着込み、ステッキで道を探っていた。
もう一方の手に、彼は手紙を持っていた。
彼は腕に、黒い球三つで作られたピラミッドの模様のある、黄色い腕章をつけていたが、それは外を歩く時、すべてのドイツ人の盲人や聾人が身につけるものであった。
 その盲人は、夫人に突き当たったことをわびた。
彼女は別になんでもないと彼にいい、さらに何かのお役にたつことがあったらと彼に聞いた。
そこで彼は手紙を彼女に渡し、その封筒の宛名に連れて行ってくれますかと尋ねた。
 手紙は、大変遠いクネーゼベックシュトラッセに住んでいる誰かにあてられたものであり、 それにはよほど歩かねばならないと婦人は彼に言った。

「 やれやれ、今日はもうこんなに歩きましたのに。
この手紙を、私の代わりに届けて頂けませんでしょうか?」

と彼は言った。
 彼女は喜んでそれを引き受け、家に帰る途中にそこを通るから少しも面倒ではないと答えた。
盲人は彼女に厚く礼をいい、2人は別れ、盲人は彼女が来た方の方角に杖をついていった。
 2、30ヤード歩いたところで、彼女は盲人がちゃんと歩いて行ったかどうか振り返ってみた。
彼はステッキを小脇に抱えて、急ぎ足にすたすたと歩いていたのである。
彼がペテンであることには間違いなかった。
 手紙をもって行く代わりに、彼女はそれを警察に差出し、どうして手に入ったかを説明した。
警察が封筒の宛名のアパートに行ってみると、2人の男と1人の女が、たくさんの肉をしまっていた。
その肉は医者が検査したところ人間であった。
封筒の中の手紙には、ただ一言、次のように書いてあった。

「 今日は、この人でおしまいです。」


     雑誌『ニュー・ヨーカー』 ジョエル・サイア(1946年) 












      東京からのお便り





 昔、地下鉄の駅前で、白い杖を持ったおじいさんに、

「 階段を下りたいから、肩を貸してください。」

と頼まれたことがある。
目が不自由な人用のブロックはあったけど、階段の利用者が多いから、誰かに掴まって下りた方が安全だよなと、おじいさんに肩を貸すことにした。
 私が快諾すると、おじいさんはさっさと私の腕に腕を絡ませてきた。
その時点でちょっと驚いたけど、そのまま階段におじいさんを誘導した。
 すると、下りてる間、おじいさんは手を不自然にさわさわ動かしてくる。
手の甲を私の胸に当てるような感じ。
かなり気持ち悪かったけど、我慢して階段を下りきった。
 後に同じ駅でそのおじいさんを見かけた時、おじいさんは特に杖を使う様子もなく、一人ですたすたと階段を下りて行った。

“ やっぱり見えてんじゃん!”

今思い出しても、むかつく出来事です。












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日々の恐怖 7月5日 金色の魚

2014-07-05 21:21:46 | B,日々の恐怖



       日々の恐怖 7月5日 金色の魚



 4ヶ月前、ちょっとした出来事で思い出した不思議な思い出です。
ずっと小さい頃の幻覚だと思っていました。
 4歳くらいから10歳くらいまでの小さい頃、熱が出たり夜中に起きたりしたときに、金色の魚が空中をゆっくり漂っているのを、よく見かけました。
凄くグロテスクな魚なんですが、長い帯状で金色に輝いていて、凄く綺麗だったのを覚えています。
 その魚は私の周りを、ゆっくり囲むように泳いでいくんですが、その魚が現れると周りの空気が変わるって言うか、重くなるような感覚があるんです。
耳もちょっと詰まった感じになります。
 小さいときに見たからなのか、不思議と恐怖心は全然なくて、私は何故かその魚の事を、キンピラって呼んでいました。
 最後に、キンピラを見たときの事です。
風邪の熱でボーっとしてその魚を眺めていたら、いきなり口に入ってきて凄く焦りました。
 しばらくしたら出てくるかもってじーっとしてたら胃の中で暴れまくって、暴れてる内に、私の胃の中で気泡みたいなものに変わりました。
そして、勢い良く体内を廻った後、体中の毛穴から散っていく感覚がしました。
その後はキンピラを見なくなりました。

 大きくなって、キンピラの事は幻だと思ってたし、長い間忘れていました。
4ヶ月前に、友達の薦めでヒーリングに行った時の事です。
私の周りの空気がずんっと重くなる感覚があり、そのとき初めてキンピラの事を思い出しました。

“ ああ、これって、あの感じだ・・・。”

目は閉じていたので何も見えなかったんですが、キンピラの気配はしました。
 ヒーリング後、ヒーラーの方から、

「 あなたの周りを、金色の帯状のものが、ゆっくりと浮遊しているのが見える。」

って言われて、初めて、

“ ああ、あれって幻じゃなかったんだ・・・。”

って思ってしまいました。 
 なんだろうと思って、

「 それって、なんですか?」

と聞いてみました。
しかし、ヒーラーの方も、その金色に漂っているものが何なのか判らなかったみたいです。
まあ、しかし、悪いものでは無いようだとは言っていました。
 それから後はキンピラは一度も見ていないし、気配も感じません。
その正体って、判る方いますか?












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日々の恐怖 7月4日 RESERVED

2014-07-04 18:47:11 | B,日々の恐怖



    日々の恐怖 7月4日 RESERVED



 学生時代、叔父が経営する小さな小料理屋(居酒屋)で手伝いをした。
常連客で、70代のMさんという、真っ白な頭の爺様がいた。
ほぼ毎日、開店の16時くらいから24時くらいまでいる超顧客。
 現役時代は物書き系の仕事をしてためか、ちょっとクセがあり、他の常連客は一線を引いていた。(挨拶程度のみ)
3年くらい前に奥さん(子供はいない)が亡くなってから、ほぼ毎日通ってくれているんだそうで、叔父も大切にしていた。
 そんなMさんはいつも特等席のカウンター奥で、1人でチビチビ飲んでいた。
なんとなくちょっとかわいそうで、俺はわりと話しかけていた。
仲良くなると意外とおもしろく、古く興味深い話なんかも聞けるので、俺はいつのまにか自然と、Mさん担当みたいな役割になっていた。


 Mさんがある日を境に、急に来なくなった。
叔父は気にしながらも、

「 Mさん、携帯もってないし、自宅番号も知らんから連絡とれない。
そういえば、前にも急に来なくなったことあったなあ。
なんだか、『隣に座った客が気に入らない』とかが理由だったかな。
ちょっと変わった感じの人だから、ほとぼり冷めたらまた来るだろ。
病気とかっていう話は聞いてないから、だいじょうぶだと思う。」

叔父からしても、他の客がいない時間帯の話し相手なので、態度にはあまり出さないが、かなり気にかけていたようだった。

 ある日の開店直後、叔父に買い物を頼まれたので近所のスーパーへ行った。
戻ってきたときにチャリを置いてる最中、

“ お客さんいるかな・・・。”

という感じで、なにげに店内をチラっと見てみた。
カウンター奥にMさんの姿がいたので、ああ久々だなと。
 しかし、店内へ入ったら、叔父しかいなかった。

“ あれ・・・・?”

と思い、

「 叔父さん、Mさん来てないの?」

すると叔父は、

「 は?まだ誰も来てないよ、なんで?」

と真顔で答えた。
今、外から見えたということを話すと、叔父に、

「 誰か通り過ぎた爺さんでも、硝子に映って見えたんだろ~。」

と言われた。
俺は、

“ いや、たしかにMさんだった。”

とは思ったが放置した。


 それから約2週間後の午後のことだ。
叔父から、

「 すぐ店に来い。」

と突然の電話が掛かって来た。
 急いで行くと、開店準備中の店内には、叔父と60歳くらいの女性がいた。

“ 誰だこの人・・・?”

と思ったら、その女性は、Mさんの妹さんだそうな。
時々、1人で暮らすMさんを心配して家に行くそうで、1ヶ月ほど前に家を尋ねたときに、Mさんが倒れていたとか。
それでMさんは、そのまま入院して息を引き取ったと。
 その後、妹さんが遺品整理をしていたら日記が出てきて、それを読んでいたら、店で飲んでることばっか書いてたらしい。
それで妹さんが店を探して電話をかけて、挨拶に来たということだった。
 日記は少しだけ読ませていただいたが、叔父や俺や数少ない仲の良い客と、何を話して楽しかったとか。
俺のことはけっこう書いてあったので、読んでいて涙が出た。


 その日さすがに店は休んで、チビチビと2人で飲んでいた。
少し前に俺が見たMさんを、

「 死ぬ前に来てたのかな・・・・。」

などと話していた。
酔った叔父は、

「 Mさんの特等席は、半永久的に使うのやめるか!
3年間毎日通った皆勤賞だ!」

と言い出したので賛成した。
そして叔父は『予約席ーRESERVED』のプレートを買ってきて置き始めた。
事情を知っている常連客の人は、その席にリンゴを持ってきたりしていた。


 以後、叔父の店には、不思議なことがたまにある。
叔父が大好きな演歌歌手や、大好きな元プロ野球選手が突然訪れた。
急に雑誌で『飲み屋だが飯が激ウマ』と紹介されたこともあり、それが原因で客足が増え、昼間の営業を再開することとなった。(以前、昼営業をやった時期があったが、客入りが悪くてやめた。)


 最近、俺が客として久々顔を出したときのことだ。
新しい常連客らしい、若く子供連れのご夫婦がいた。
まだ4歳くらいの娘さんが、突然カウンターの奥を指さして、

「 そこにおじさんがいるよ!」

と言い出した。
 母親があわてて、

「 すいません。この子時々へんなこと言うんです。」

と苦笑いで謝っていたら、叔父が、

「 どんな人なの?」

と聞いた。
 小さい子は、

「 頭が白くてね、こっち見て笑ってるよ。」

と言った。
 叔父と俺は目を合わせた。俺は鳥肌がたったが怖くはなかった。
叔父は、

「 頭真っ白っていったら、Mさんしかいないよな!今そこか、へへへ。」

と。
 すると一瞬、店内の薄暗くしてある電気が、ブワーっと光が強く明るくなり、すぐにまた薄暗くなった。
叔父は嬉しいんだか、怖いのを隠しているのかわからんけど、ひたすら、

「 んへへ、へへっ・・・。」

とだけ笑っていた。
 それから叔父は店の片隅に、店内で撮ったMさんの写真をさりげなく置き、開店前には手を合わせて、

「 今日もよろしく。」

と言っています。













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しづめばこ 7月4日 P316

2014-07-04 18:46:43 | C,しづめばこ
しづめばこ 7月4日 P316  、大峰正楓の小説部屋で再開しました。


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日々の恐怖 7月3日 写真

2014-07-03 20:11:01 | B,日々の恐怖



      日々の恐怖 7月3日 写真



 以前、私の住んでいたアパートにはインターホンが付いているんですけど故障していて、管理会社に申し出てても中々直しに来てくれなかった頃の事です。
1人暮らしなので、実家からの荷物とか通販で購入した商品とかが宅急便で届いた時には、自分で受けとらなければならないんです。
 ノックがすると、インターホンが故障してるので、ドアまで行って覗き穴から確認してドアを開けます。
何回かはセールスとかの招かれざる人の時も有りますので、正直気の弱い
私はそっと忍び足でドアまで行きます。
 宅急便の人もインターホンが反応しないので少々イライラしながらノックしてる人もいて、ドアを開けると『ああ、いらっしゃったんですか』と不在通知とかを書きかけながら不満そうに言ったりします。

 本当に不在だった時の事、帰宅するとアパートの入り口に並んで設置されてる郵便受けに手作りっぽい数枚の本みたいな物が入っていました。

“ 何だ?これ??”

って感じで郵便受けの下のゴミ箱に棄てようとした時、パタパタって足音がして小さい女の子が走って来ます。
 アパートの入り口からジッとこちらを見ていた女の子は、何と言うかとても汚い格好で雨なんか降ってないのに濡れたセーターと赤い長靴を履いていました。
しかも深夜です。
 私と目が合うと又道路の方へパタパタと走って行きます。
変な女の子だな、と思いましたが、郵便受けから他のダイレクトメールと電気料金とかの請求書を持って部屋のドアを開けようとしていると道路の方で、

「 いたよ!」

と声がするのです。

“ ええ?俺の事・・・?”

と思い慌ててドアを閉めて覗き穴から見ていると間一髪のタイミングで、さっきの女の子とその母親らしい中年の背の高い女性がアパートの入り口に来ました。
 息を潜めて見ていると、母親は女の子に、

「 どこ?」

と尋ねている様でした。
 母親の問い掛けに女の子は首を振っている様でした。
なおも覗いていると、今度は母親が郵便受けを開け始めました。
 私の住んでいたアパートは二階建で、入り口に有る郵便受けは一階と二階の合計10部屋分が集合していて上下二段になっていました。
母親は一階用の下段を覗いています。
 私の部屋は一階の一番奥の105号室でしたが、103号と104号と私の所の三部屋分の郵便受けから手作りの冊子が棄ててあった様でした。
 どうなる事かと見ていましたが、母親はバッグから小さなノートを取り出して、何か書き込み始めました。
しゃがんだ母親はペンライトを口に咥えてノートをてらしながら書いているのですが、時折、フッと顔を上げてこちらを見ました。
 口のペンライトの光がノートに反射して母親の顔がボウッと見えるのですが、釣りあがった目をしていて髪はストレートというのでしょうか、ピタッと顔の両側に張り付いている様な感じです。
それも、しゃがんだ姿で振り向いたせいでスカートの下のストッキングが見えてしまって、これが何か子供のはく様な分厚いタイツみたいなストッキングでひどく破けていて気味が悪いのです。
 母親は立ち上がると、103号の前に行きインターホンを押しました。
こんな深夜に非常識極まりないと思いましたが、しばらくすると中の人がインターホンに出てきたのか母親が何か喋っている様です。
 母親は驚いた事に女の子を抱っこしてドアの覗き穴の場所に上げました。
まるで女の子をドアの向うの住人に見せている様でした。
 5分くらいそうやっていたでしょうか、今度は104号に向かいます。
104号のインターホンには応答が無いようでした。
遂に母親は私の部屋のドアに近付いてきました。
 ドアの目の前に来た親子がはっきり見えました。
母親の顔は汗でびっしょりと濡れています。
ストレートスタイルと思った髪は汗で濡れて顔に張り付いていて、まるで水から上がったばかりの様になっていました。
 インターホンを押してきましたが、当然反応は有りません。
ジッと顔をインターホンにくっ付ける様にして、何度もボタンを押しています。
押し方が弱いと思ったのでしょうか、グイグイと何度も押しているのです。
 私はドアの前で、一切の物音も立てないようにしていました。
居留守がばれるとあの親子の様子ですから、何をしでかすか分かったものじゃありません。
それこそ息も止めていたほどでした。
 インターホンを押すのを止めた母親はドアノブに手をかけました。
信じられませんが下を見るとドアノブが動いています。
何度もガチャガチャとやった後、親子はやっと諦めたようでアパートの入り口の方へ
戻っていきました。

“ いや~まいったな、やっと帰ったか・・・。”

ドッと疲れた私は玄関から部屋へ入り、照明のスイッチを押そうとして手に持った鞄を床に置きました。
 部屋のドアを開けようとした時にフッと思いついたのですが、私のアパートの一階の各部屋には、外に洗濯機なんかを置いておくスペースが有ります。
アパートの入り口から横へ廻ると各部屋のそんなスペースに容易に入れるのです。
 まさかとは思ったのですが、

“ さっきの親子が部屋の外の洗濯機置き場にいたら?”

と思うと恐くなって部屋の明かりを点けるのを躊躇いました。

“ もし外で待っていたら?そこで部屋の明かりが点いたら?”

そう考え始めると、カーテンの向うが不気味で仕方有りませんでした。
 あれこれと余計な想像もはたらいてしまって、結局玄関に30分程ジッとしていました。それからドアの覗き窓を確認して誰も居ない事を確認したあと部屋へ入ったのですが、足音を立てないように慎重にして、結局部屋の明かりは点けずにスーツだけ脱いで床にゴロンとして寝ました。

 断続的な眠りをとってようやく外が明るくなり、我慢していたトイレにも行きシャワーも浴びて一息ついたところで、昨夜の郵便受けを見に行きました。
 103号のフタが半分開いています。
悪いとは思ったのですが覗いてみました。

【昨夜は夜分遅く、大変失礼致しました。○○(例の女性と思われる名前)】

と書かれたノートを数枚折った物が置いてあります。
さすがに中身を読むのは躊躇われ、すぐに元に戻しました。
104号を覗くと、

【ご不在に伺い、お会いできず残念です。○○】

とあります。

“ うわあ、気持ち悪いなぁ・・・。”

と思いながら、自分の郵便受けを探ってみました。
案の定ノートを数枚たたんだ紙片が入っていました。

【深夜までお仕事だったようですね。ご苦労様です。○○】

と書いてあります。

“ なんだ、これ?”

と思いながら広げてみると

【U様(私の名前です)。昨夜はお仕事でお疲れの所、突然伺いまして失礼致しました】

とあり、以下その親子が山陰のS県出身であり、親子で△△教に入信していて全国各地を廻りながら“この人は”と思った人に会って△△様の話をしている、云々と書かれていました。
なんでも一昨日は隣のK県にいて昨日、徒歩で私の住むO区にやって来たそうです。(因みに私が住んでいたのは都内某空港のそばです。)
 5月の大型連休の直後でしたから、

“ 夜とはいえ徒歩でずっと来たからあのように大汗をかいていたのだろうか?”

などと思って読んでいますと最後の方に、

【U様のお宅はインターホンが壊れておいでのようですね。】

とあります。

【娘が是非お会いしたいと裏でお待ちしていましたが、お気づきになられなくて残念でした】

心臓がドキッとしました。

“ まさか。やっぱりあそこにいた?”

慌てて部屋に駆け上がり、カーテンを開けました。
するとガラスにくっきりと小さな手形が付いており、両手の間には丸い湿った跡が有るのです。
あの女の子は両手を付いて、顔をガラスにピタッと付けて中を覗いていたのです。
いったい何時までそうやって私の部屋を覗いていたのでしょうか。

 近所には交番がありまして、そこのお巡りさんは非常に防犯に熱心な方のようで、防犯パトロールという活動をしています。
私の様なアパートの1人暮らしを中心に部屋を訪ねてくるのです。
偶然なのですが、夕方にお巡りさんがやってきたので今回の話をしました。

「 近所でも、そのような届け出は出ていませんが。」

と言いながら郵便受けを確認しています。
 101号と102号にはしっかり例の冊子が有りました。
さすがに不在者の私物は押収出来ないので、私の他3人が棄てた冊子を証拠として持ち帰ろうと、とり合えず私の物を、

「 いいですか?」

と言って調べました。
私自身、昨晩ちょっと見ただけで棄ててしまった物ですから、改めてお巡りさんとジックリ見てみました。
 最後のページに写真が貼り付けてありました。
若い女性が赤ちゃんを抱いて笑っている写真です。

「 昨夜の人、この人ですか?」

と聞かれました。

「 非常にきれいな女性で、歳も若くとても昨日の親子には見えません。」

そう答えると、

「 う~ん、新興宗教とかの手口ですかね。
こういう若くてきれいな女性が大勢いって言いたいんだろうけど・・・。」

と言い、

「 でも、夜中に押し売りみたいな事しといて、こんな写真残したってねぇ。」
と苦笑いしていました。

結局、二度とあの親子が現れる事はなく、お巡りさんも度々パトロールでお会いする様になり(やっぱり警戒してくれてるんだなぁ)と、変に安心したりするうちに会社の転勤でそこを引っ越す事になったのです。
 幸いこれといったその後の事件のような事には遭っていません。
しかし、一つだけこんな考えが今でも頭をよぎるのです。

「 あの時の写真、お巡りさんが言ってた、客引きの為のニセモノ写真なのかなぁ。」

あの写真は、彼女達のような信者が何もかも捨てて信仰に邁進した結果なのではないだろうか、入信する前は本当にあの写真のような幸せな親子だったのではないだろうか。
今でも全国各地をあの親子の様な変わり果てた姿になって、一心不乱に布教活動している親子がいるのではないだろうか・・・。














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日々の恐怖 7月2日 ノック

2014-07-02 19:27:45 | B,日々の恐怖



   日々の恐怖 7月2日 ノック



 まだ10代のころ、生まれて初めて一人暮らしをした。
住み始めて3~4ヶ月経った頃、夜中にトイレに行くと、玄関のドアを「トントン」叩く音がした。
ちゃんとインターホンもあったんだけど、気付かなかったのかな?と思い、玄関ドアの覗き穴を見ると誰もいない。
そのときは気のせいかなと思って、そのまま寝た。


 そんなことはすっかり忘れて数か月、私は深夜のバイトを始めた。
ある日、深夜に帰宅して玄関で靴を脱いでいると、また玄関のドアを「トントン」と叩く音がした。
 覗き穴を見てみると誰もいない。
ドアを開けてみても誰もいない。
少し不気味だったけど、時間も時間だったし、帰宅の音がうるさかったから、ご近所の人が消極的な抗議に出たのかなと思った。


 しかし、それからというもの、帰宅が深夜の時はほぼ毎日ドアをノックされた。
イタズラにしても気持ち悪かったので、管理人に連絡して、アパート全体にポスティングしてもらったり、いろいろしてもらったがノックは止まらず。
 そのうちこっちも慣れてきて、ノックされるのは深夜3時半~4時の間に集中していることがわかり、ある日、どうしても犯人を突き止めたくなった私は、3時10分頃からドアの前に張り付いて、覗き穴を見続けるというヒマな手段に出た。
 覗き初めて30分くらい経ったとき、「トントン」と音がした。
覗き穴には誰も映っていない。
というより、ドアから音がしない。
後ろから聞こえる。
 開け放ったワンルームのドアを通り越して、ベランダのドアを叩かれた。
私が覗き穴を覗いているのは、その時点で私しか知らない。
なのに覗き穴ではなく、ベランダのドアを叩かれた。
私はそのときまで、ノックは人為的なものであるとしか考えていなかった。
人外のものがノックしているなんて、考えたこともなかった。
 私はその時、初めて背中が薄ら寒くなった。
しかし、引っ越し費用なんて用意出来ない私は、その後もその部屋に住み続けた。
ノックは相変わらずされる。
たまに玄関に張って見るが、見透かすようにベランダをノックされた。
ノック以外のことは何もしなかったので、怖くもなくなっていた。


 住み始めて2年が経った頃、うちのベランダ側のガラス戸に、車が突っ込む事故があった。
うちは1階だったんだけど、前の駐車場に止めようとした車が、誤って突っ込んできたらしい。
 私の部屋のガラス戸はフレームごと大破。
しばらくベニヤ板が打ち付けられていた。
事故のとき私は家にいなかったんだけど、管理人と警察から事情を聞いて、ベニヤ板をはめるときは立ち会った。
 一通り終わって、部屋でビール飲みながらベニヤ板見てたら笑えてきて、ふと、トントンしてるヤツは玄関にいるのか駐車場にいるのかと思い、思わず「大丈夫だった~?」と呟いた。
そしたらベニヤを「トントン」と叩く音が聞こえた。
 時間はいつもの時間じゃない。
なんか嬉しくなってしまって、それからもまったくヤツのことを嫌いになることもなく、5年ほどその部屋にはお世話になった。
 一人暮らしだけど、なんとなくヤツを認識してからは、「いってきます」「ただいま」って言うようになった。
引っ越しする前日に「元気でっておかしいか。達者でな。」って言ったら、ちゃんと「トントン」て、いつもと同じで2回、いつもよりゆっくりノックが返ってきた。
ちょっと泣いた。













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日々の恐怖 7月1日 悪戯好き

2014-07-01 18:29:40 | B,日々の恐怖



    日々の恐怖 7月1日 悪戯好き



 私は当時高校生で、かなり前の話です。
母が運転する車で、近場に犬を連れて買い物に出掛けました。
その帰り道、犬が鳴き始めたので、少し散歩させようと車を止めました。
 ふと横を見ると、いかにも村のお社といった雰囲気の神社がありました。
周りはごく普通の住宅街で、母はその辺りを犬を連れて歩いてくると言うので、私は神社を見てくることにしました。
 神社はこざっぱりとしていて、雰囲気も静かであたたかく、きれいに掃除もされていました。
社務所は無く、参拝客は私以外はいませんでした。
 二十段もないような石段を登ると、石段の一番上に小さな紙が落ちていました。
なんだろうと思って拾ってみると、そこには印刷で短い祝詞が書かれていました。
シンプルな短い祝詞で、覚えやすくて気に入ってしまい、私はその紙がとてもほしくなりました。
落ちていたものだしいいかな…とも思ったのですが、持って帰るのは盗みのような気がして、紙はしばらく眺めて祝詞を覚えた後に、賽銭箱の近くに置いておきました。


 お参りを済ませ、私は神社の建物が見たくなり、社殿の横に回りました。
拝殿と本殿の間は渡り廊下でつながれおり、その渡り廊下の横に行くと本殿がよく見えました。
人もおらずゆっくりと見ることが出来て、わあ、こんな風になってるのか、と私は喜んで眺めていました。
そして、ふと渡り廊下の向こう側を見た時、何故か、その渡り廊下を横切って向こう側に行かねばならない、というような気がしたのです。
 自分でも意味が解らなかったのですが、ともかくこの渡り廊下の手すりをよじ登って越えて、渡り廊下を横切らねばならない、なんとしてもそうしなければならない、という思いに駆られたのです。
 しかし、渡り廊下は神様の通り道のはず。
横切るなんてまずいんじゃないのか。
そんなことを考えながらも、私はいつの間にか手すりに手を掛けていました。
妙に頭がぼーっとし、周りの音が聞こえなくなりました。

“ ほら、ここには誰もいない、周りは杜だから外からも見えない。
この渡りの手すりをよじ登れば、真正面から本殿が見られる。
なかなか見られるものじゃない。
神様と同じ視点だぞ。”

と、何故か心の中で強く思いながら、私は手すりに足を掛けてよじ登り、渡り廊下に立っていました。
 すると、その時、母が神社の外から呼ぶ声がしたのです。
私ははっと我に帰りました。
見れば、神社の渡り廊下に突っ立っている自分。
外からは母が、姿の見えない私を心配して何度も呼んでいます。
私は急に怖くなりました。
母にちょっと待ってと返事をし、ちらりと本殿の方を見てから、私は入ったのとは反対側の手すりを乗り越え、渡り廊下を横切りました。
こうなったらいっそちゃんと横切ってやると、負けん気が起きたものですから。
 神社の裏側から出くると、母が入口で心配そうに待っていました。
犬は母とは対照的に、のんびりと座って待っていました。
気になって振り返ると、賽銭箱の側にきちんと置いたはずの祝詞の書かれた紙は、何故か最初の石段の所に戻っていました。


 なにがなんだかよくわからないまま、一ヶ月ほど後のことです。
再びその神社の前を通ると、ちょうどお祭りをやっていました。
この間のこともあったし少し気になって、私は神社に寄りました。
 たき火をしていたので、参拝の後にあたらせてもらっていたら、横にいたお爺さん達が話しかけて来たので、おしゃべりしていました。
お爺さんは地元に長く住んでいる人だというので、

「 叱られるかもしれないんですけど・・・。」

と前置きして謝ってから、お爺さんにこの間の渡り廊下のことを話したのです。
するとお爺さんは、

「 久しぶりにそういう話を聞いた。」

と言い出しました。
 なんでも、そこの神様は悪戯好きで、昔は時々人引っ張り込んでは、ご神木に登らせたり、神楽の舞台に上がらせたりしていたそうです。

「 あんた真面目そうだし、神様にからかわれたんだなあ・・。」

と、お爺さんは笑いました。
帰る前に、前に覚えた祝詞を唱え、お爺さん達からお餅を貰って帰りました。











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