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土とl風(1)黄塵碑:一宮ゆかりの小説家上田廣を偲ぶ

googleで「上田廣」を検索していると、
ブログ TeaBook - 上田廣『黄塵』
を発見した。

記事に、
「ってことで、上田廣『黄塵』をgetして読む。蚊が押し花のようにして挟まってたんだけど、いつからいたのかなぁ。まさか、1938年?」
とあった。

心当たりがある。

7年前に、町内(千葉県長生郡一宮町)を
男性最高齢でなくなった方(明治生まれ)の空き家を整理していると
上田廣氏の小説がたくさんあるのがわかった。

「関門トンネル第一号」「新橋ステーション」
興味を寄せる題であった。
「駅猫」の表紙は印象的であった。
「-ある分隊長の手記-」「初年兵物語」
戦争に行ったのだろうか。

一冊ずつ手に取り、奥付を見ながら整理はしていた。
戦前からの作品が、20冊以上あった。
みな、初版本である。

しかし、
小説にはもともと関心が少ないので、
読むことはしなかった。
(そんな暇はなかったし・・)
(「小説は時間を作って読むもの」だそうだが・・)

確かにその中に、「蚊が押し花のようになった『黄塵』」もあった。

昨年のゴールデンウィークに、別の片づけをしていると
たまたま東金の古道具屋が通りかかり、
古い物はないかと訪ねてきた。

タンスなどの大物はすでになかった。
家にはシロアリが入っており、
毎年毎年、少しずつあちらこちらがやられていっていた。
タンス類も気がつくと、少しずつ食われていたのである
(ヤマトシロアリでしょうか、地道に少しずつ)。
これでは、使ってくれる人はいないだろうと、
一昨年、仕方なく全部ばらして燃やしてしまった。
(灰をあつめると、バケツ2杯になった。
これも使おうと思っているが、未だになかなか減らない)

大きな鉢は、両者の意見が簡単に合い、
片づけてもらうことができた。
自分では、運び出すだけで、大変である。
助かった。

本や雑誌は、いずれ古本の専門店に出せればいいなと思って
少しずつ分類しておいた。
将棋関係(段ボール箱4箱)
調理関係(2箱、戦前からのものも)
俳句関係(雑誌(野火が中心)、句集棚一つ
・・これは玉石混淆なのだろうが、一冊ずつ思いがこもっているのだろな)
理工学書(戦前のものが中心、和文英文)
早稲田の関係(早稲田学報や大隈重信関係
・・早稲田理工学部卒 学生時代のノートなどもあった)
華道関係(池坊 20年前になくなられた奥様の関係)
などなど

このうち古道具屋は、棚にある本を見て、
持っていきたいと交渉してきた。
自分としては、手元に置いて、もっと調べたいとも思っていたが
年々痛んでくるので、
これ以上ひどくならないうちに、
本当に必要としている収集家の手に渡った方がいいのではないかと
考え、応談することにした。

これらのうち、段ボールにしまっていないものの中から
(段ボールの山は、開けて見せませんでしたが)
小説関係と理工学書(日本語)が引き取られることになった。

その中には、戦前の英語の学習雑誌や、ドイツ語の学習雑誌もあった。
ドイツ軍の軍服の人物が表紙になっていたので
好きな人には好きなものではないかという印象である。

記憶に間違いがなければ、ちょうどそのころ、5月上旬である。
「ゲットした」というのが、5月下旬であれば、つじつまが合う。

「蚊が押し花のようになった『黄塵』」も
本当に必要とする収集家のところに収まって、
よかったと思う。
あのまま置いていたら、
シロアリがいて、紙魚がちょろちょろする空き家で
ぼろぼろになっていってしまったことであろう。

ところで、
どうして、昭和41年になくなられた上田廣氏の作品が
ほとんどすべて(と思わせるぐらい)そろっていたのだろう。
最近さらに一宮町のことを知りたくなったこともあり、
興味深く、あれこれ想像してしまう。

上田氏が、一宮町在住であったことは、もちろん重要である。
さらに
直筆の色紙があったこと、
昭和56年に建立した「黄塵碑」の除幕式の資料があったことから
交友関係にあったと考えられる。
夫妻の仲人が、海野十三氏であったことから、
もともと文人との交際があっても不自然ではない。
(海野十三という名前は聞いていたが、作品は読んだことはない。
そういえば、海野氏の小説はその家には一冊もなかった。)

上田氏は、疎開して一宮町に移り住んだが、
どういう縁で一の宮を選んだのだろう。
九十九里浜が気に入っただけなのだろうか。

空き家の主のご夫妻の
日記類も手紙類も以前に燃やしてしまったので、
そこに知る手がかりがあったのかどうか
わからないままとなってしまった。

上田廣氏が亡くなってから、40年を過ぎた。
氏をさらに知るためには、
今の内に、聞き取り調査をしておく必要だな、
と感じた。

「蚊が押し花のようになった『黄塵』」の
その後から
いろいろなことに、思いをめぐらすことができた。

「黄塵碑」は、 国民宿舎「一宮荘」の前に
「芥川龍之介愛の碑」とともに建っている。
(一宮町船頭給2512-81)

上田廣ファンの方々、是非一度おいでになり、
九十九里の荒波とともに、ご覧いただければ幸いです。
また、
上田廣氏のことについて、ご存じのことがあれば、お教え下さい。
(上田廣氏の家は、玉前神社の裏にあったそうです)

---
<碑文>
小説家上田広本名浜田昇は明治三十八年
千葉県長生郡豊栄村に生る 幼少にして
千葉市に転住鉄道省教習所を卒業後国鉄
に勤務かたわら文学に志す 昭和十二年
日華事変勃発と同時に応召陣中にて小説
を執筆 黄塵 建設戦記 等で一躍文名
たかまる 帰還後日本文学者会の幹事と
して活躍昭和十六年太平洋戦争開戦後軍
報道班員として従軍 地熱 など優れた
作品を書く 戦後は国鉄に取材した 関
門トンネル第一号 をはじめとしていく
つ□の傑作を発表する さらに行進の育
成にあたりつつも昭和四十一年病のため
六十一才で歿する 上田がこよなく好み
住みなれた上総一の宮のこの九十九里浜
に旧友知己相計り碑を建立してその面影
を永く偲ぼうとするものである
 昭和四十六年春
          文学碑建立委員會
          一   宮   町
           揮毫 浅見喜舟
           選文 田中定治
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